女性を性搾取の被害から守る「女性人権センター」の設立を目指して、一般社団法人Colaboが活動を始めたことについて、法政大学名誉教授で前総長の田中優子氏は、1月23日の「週刊金曜日」に、次のように書いている;
昨年8月29日号の本誌に掲載した「これからどうする?」で私は、「『女性人権センター』の設立がどうしても必要だ」と書いた。その時は、性搾取をされている女性たちに対するマスメディアの扱い方がひどく、そのことを中心に書いた。自らの差別感を顧みず、実態を知ろうともせず、被害を受けている女性たちを自己責任論でしか語れない人々が多い。メディアもその観点で女性を見る。だからこそシェルターの整備と、ごく基本的な人の関わりを作っていく「女性人権センター」の設立が、どうしても必要なのである。
その運動が一般社団法人Colaboを核にして動き出した。政府は女性支援新法を作ったが、これは自治体と民間が動かすもので、案の定法律はあるが問題解決が進まない。これからの日本は軍事に資金と関心を傾ける政府や、深く理解しないまま形式的な対応(たとえば女性たちの個人情報を求めるなど)をする自治体にも頼れないのだ。助けてもらうことはあるかもしれないが、任せることはできない。今ほど市民運動が必要な時代はない。軍国主義を掲げ始めた日本だけでなく、植民地主義の王様が君臨する米国でもそうなのであろう。時代は18~19世紀に戻ってしまったのだ。
しかしその時代の市民運動は今よりはるかに難しく、危険を伴うものだった。人知れず逮捕、拷問、抹殺が行なわれた。20世紀になると天安門事件の時はFAXが駆使され、たちまち情報が世界に飛びかった。今はインターネットを使うことができる。18~19世紀とは異なる。両刃の剣ではあるが、私たちはデジタル社会を賢く冷静に使いこなさねばならないし、それは可能だ。
しかし市民運動で忘れがちなのが「安全に集まる場所」である。そこは搾取され暴力を受けている女性たちをかくまい、共に自立の道を探ることができる安全な場所であり、同時に活動者たちが人知れず逮捕、拷問、抹殺されることを回避するためにも、必要な場所なのである。心を打ち解けて話すことによって、多くの解決策が生まれる場所にもなる。
デジタルと対面の両方を使いつつ、関わり合うことを軸にして、搾取とは何かを知り、新たな社会を構想することができる場所。女性たちにとっては、相変わらず家父長的な家族にからめとられない場所。暴力にさらされる家に帰らなくてもよい場所。そういう「女性人権センター」を一緒に作りませんか。
2026年1月23日 「週刊金曜日」 1553号 3ページ 「風速計-女性人権センター運動が始まった」から引用
政府は女性支援新法を作ったのに、その新法を運営する自治体や民間組織に女性の人権を守るという意識が希薄なため、相談に訪れた女性に、住所・氏名・年齢などと書かせて、それを後日問い合わせて来た家族や知人が閲覧したりするので、問題が解決するどころか益々悲惨な被害になったりする。そのような事態を解決するには、田中氏が提唱するような「女性人権センター」が必要とのことで、一般社団法人Colaboが、そのために活動を開始したというニュースは、久々に将来に明るい希望を感じさせる良いニュースだと思いました。