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読書

2019年11月30日
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テーマ:本日の1冊(3070)
カテゴリ:読書
元高校教諭の植山渚氏が執筆した「街かど歴史カフェ 日本と朝鮮の近現代史」について、17日の「しんぶん赤旗」が、次のような紹介記事を掲載している;


 明治維新から敗戦まで、日本と朝鮮の間に何があったのか。ヘイトスピーチに衝撃を受けた元高校社会科教諭の著者が、軽妙な筆致で歴史の細部を解き明かします。
 テーマは韓国併合、三・一独立運動、関東大震災での朝鮮人虐殺、徴用工、日本軍「慰安婦」など70超。渡辺治一橋大学名誉教授が、「国民的に議論するべき問題を提起している」と序文で推薦。



<小倉タイムス出版部・2500円十送料、名前・住所・電話・冊数を明記しファクスで申し込み:093・953・6062>


2019年11月17日 「しんぶん赤旗」 8ページ 「読書-街かど歴史カフェ 日本と朝鮮の近現代史」から引用

 高校の先生が書いた本なら、素人にも読みやすいのではないかと思います。長年、歴史の授業を担当した経験からも、素人が陥りやすい「誤解」などにも精通していて、それなりの配慮もしてあるのではないかとの期待もあり、興味を引かれる本です。






最終更新日  2019年11月30日 01時00分05秒
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2019年10月06日
テーマ:本日の1冊(3070)
カテゴリ:読書
加藤直樹著「トリック-『朝鮮人虐殺』をなかったことにしたい人たち」(ころから刊)について、歴史教育者協議会副委員長の関原正裕氏が、9月29日の「しんぶん赤旗」に、次のような書評を書いている;


 2009年と2014年の2回、工藤美代子・加藤康男夫妻は関東大震災で「朝鮮人虐殺はなかった」とする本を出版した。この虐殺否定論が、一つの「説」ではなく、人をだますために都合よく史料を「解釈」したり、切り取ったりすることによるデッチあげのトリックだと明らかにしたのが本書である。

 夫妻は朝鮮人暴動、放火、井戸へ投毒などは事実であり、日本人の行動はそれに対する正当防衛で虐殺ではないとする。これに対し著者は当時の司法省や警視庁などの公的な報告の原典にあたり、暴動などが流言にすぎなかったことを明確に論証している。また、夫妻が使った史料を一つひとつ原典にあたり、引用にあたっての省略や意図的に省かれた部分を復元して、夫妻の史料「解釈」がだましのトリックであることを明らかにする。この作業は膨大な労力を要しただろうし、また専門的な歴史研究に匹敵するものである。



 夫妻の「説」は荒唐無稽なものだが、ネットなどによって日本社会に拡散し、百田尚樹氏のベストセラー『日本国紀』でも書かれ、自治体の副読本から「虐殺」の記述が消え、さらに都知事が関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典への追悼文送付をやめるなど、歴史修正主義勢力を勢いづけ、社会を動かしている。こうした現状を著者は憂慮する。

 虐殺否定論は、単なる認識の誤りではなく、夫妻が「承知の上で発明した」トリックなのだが、このような歴史歪曲を放置すれば、これが一つの「説」として認知され、「あった」「なかった」の2説があるという構図になってしまう。こうなれば教育現場で朝鮮人虐殺事件を教えることは困難になる。その先にあるのは虐殺の記憶の「隠蔽(いんぺい)」であり、「忘却」だとの指摘は納得できる。

 労を惜しまずトリックを暴いた著者の努力に敬意を表するとともに、本書を普及することが歴史修正主義勢力を追い詰める闘いでもあると思った。


加藤直樹著「トリック-『朝鮮人虐殺』をなかったことにしたい人たち」(ころから刊)
かとうなおき 1967年生まれ 『九月、東京の路上で』他


評者:関原正裕・歴史教育者協議会副委員長


2019年9月29日 「しんぶん赤旗」 8ページ 「読書-原史料を使い意図的歪曲を暴露」から引用

 工藤美代子が2009年に産経新聞出版から出版した『関東大震災 「朝鮮人虐殺」の真実』は、その後文庫化するときに何故か夫の名義に書き換えられているところをみると、この本は本人の評価からしても、デタラメを書き連ねた駄作だという所が本音ではないかと推量されます。文学的に、また歴史学的に駄作であっても、本当の歴史に向き合いたくない「右翼」には便利な書物ということになりうるから、上の記事が取り上げた加藤直樹氏の著作は、わが国の世論の健全性を維持するうえで重要な書籍であると言えます。






最終更新日  2019年10月06日 01時00分06秒
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2019年06月27日
テーマ:ニュース(79643)
カテゴリ:読書
内藤正典著「外国人労働者・移民・難民つてだれのこと?」(集英社刊)について、5月26日の東京新聞は次のような書評を掲載した;


 日本政府は労働力不足に対応するために出入国管理法を改正し、4月から新たな外国人受け入れ制度をスタートさせた。在留資格である「特定技能」を2段階に分け、まず「1号」の外国人を5年間で約34万5千人受け入れる計画だ。より高い技能をもつ「2号」になった人たちは、家族の帯同が認められ、上限なしに滞在期間を更新できるという事実上の外国人の永住システムが確立された。

 「移民政策はとらない」と安倍首相は主張してきたが、突然の方針転換である。日本では定義すらよく知られていない「移民」とは、家族と一緒に定住した人たちのことをその家族を含めて言う。本書は、ヨーロッパにおけるトルコ人などムスリム(イスラム教徒)移民を研究してきた著者が、外国人労働者受け入れ問題、移民・難民とは何かを、ドイツなどの事例とともに平易に解説する。



 欧州では、文化や慣習が異なるムスリム移民や難民たちが、彼らの排斥を唱える極右勢力の台頭をもたらしている。ムスリム移民が欧州社会に溶け込めない疎外感からテロを起こしたこともあった。

 日本人や日本の社会は、外国人労働者の受け入れ拡大に伴い、接触することが多くなかったムスリムたちに偏見なく接することができるだろうか。日本では、イスラムはテロや紛争と絡んで報道される場合が多く、少なからぬ日本人にイスラムは危険な宗教という認識ができあがっていることは、著者の言う通りだ。

 また、日本が外国人労働者を受け入れる相手国の数が多すぎて母語で裁判を受けられない危惧など、様々な問題点も指摘され、彼らに日本人と平等な権利が与えられるべきだと強調される。

 少子高齢化が進む日本は、経済を維持するために外国人の労働に頼らねばならない。その日本の制度的不備を指摘しつつ、移民社会を隔絶させないで絶えずコミュニケーションを図ることを説くなど、日本人の心構えや振る舞いはどうあるべきかについて有意義な示唆を与える一冊だ。

評・宮田律(現代イスラム研究センター理事長)


2019年5月26日 東京新聞朝刊 9ページ 「読む人-移民社会への心構えを説く」から引用

 単なる書評記事と思って読んでいると、いきなり「安倍政権は重大な政策変更を行ない、これまで否定していた移民政策を180度転換しました」と知らされることとなり、びっくりである。多分、大方の国民はこの記事を読まない限り安倍政権が先日、国会の会期末にわずか数日という短期間にろくに審議もせずに強行採決しているのにその意味を理解せず、「これは移民を認めたものではありません」という安倍首相の発言を信じて、「日本にはこれからも移民が来ることはない。それにしても、最近は外国人が増えたなぁ」と思っているに違いありません。しかし、事実はこの記事が示しているように、日本は現在の経済を維持していくために移民を導入しなければならない、これは経済界からの要求であり、安倍首相の支持基盤である右翼が目の敵にしている「移民導入法」なのであり、近い将来、右翼は安倍に騙されたと気づくときが来ると思います。しかし、近頃の右翼は筋が通っておらず、安倍首相のトランプ大統領に対する屈辱的な外交姿勢を平気で容認するなど、かなり曲がりくねっていますから、ストレートに安倍批判などはできず、うやむやになるだけだろうと思います。そんなことよりも、これからの日本には「移民社会への心構え」が必要と思います。中でも大切なのは、移民労働者にも邦人労働者と同等の権利を認めることです。厚生年金に加入し退職後は年金を受給すること、健康保険にも日本人同様に加入できること、などを認めるべきです。






最終更新日  2019年06月27日 01時00分06秒
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2019年04月19日
カテゴリ:読書
集英社新書の新刊「『通貨』の正体」(浜矩子著)について、3月17日の東京新聞は次のような書評を掲載した;

 異色の通貨論である。腕のいいカメラマンのごとくに、さまざまなアングルから被写体たる通貨に接近して、その正体を明かしてみせる。しかも、ウイットと諧謔(かいぎゃく)を交えた文章で。取り上げるテーマへの著者のスタンスが、各章のタイトルに端的に表現されている。例えば、「バラと通貨はどう違う?(第一章)」。バラは、たとえ名前がクマと変わっても、美しい色もかぐわしい香りも変わらないが、通貨は、人々がそれを通貨と認知しなくなれば通貨ではなくなってしまう。つまり、通貨は「人本位制」の所産なのである。

 「嘆きの通貨、ドルの行方(第二章)」。今やドルは、かつてのような力も権威も失ってしまったが、「そんなら通商でリベンジ」と息巻く大統領が登場するにいたった。



 「ユーロ その混乱の源(第三章)」。そもそもユーロは、経済的必然性ゆえに誕生したのではなく、政治的な思惑から作り出された極めて不安定な通貨で、その存続がおぼつかない。そして「隠れ基軸通貨『円』の本当の姿(第八章)」。アジア通貨危機やりーマン・ショックで深刻な影響を被った日本経済だが、実はそうした危機やショックは、ゼロ金利や量的緩和によって生み出された膨大なジャパン・マネーがその一因でもあったという二面性がある。

 とりわけ興味深いのは、第五章「幻の通貨 バンコールが夢見たもの」。かつてケインズが提唱した国際通貨バンコールは、実現こそしなかったものの、いま再び評価され始めている。第二次世界大戦末期に、戦後の国際通貨体制をどう構築するかをめぐって、米英間で繰り広げられた虚々実々の政治的、経済的な駆け引き。そんな中で、深謀熟慮を重ねながら少しでもイギリスの立場を有利なものにしようとしたケインズの苦闘の様を、さながらノンフィクション・ストーリーのごとくに語っていて印象的。通常の貨幣論や金融論のテキストブックではお目にかかれない通貨の「正体」を、著者流に解き明かしていて、大いに楽しめる。
(評・中村達也)


浜矩子著「『通貨』の正体」(集英社新書)886円

はま・のりこ 1952年生まれ。同志社大大学院教授。経済学者。著書『新・国富論』など。


2019年3月17日 東京新聞朝刊 9ページ 「人本位制の所産 多角的に」から引用

 経済とか通貨と聞くと、急に抽象的な世界の話のような気がしてきますが、浜先生のユニークな説明は素人には分かりやすいような気がします。今やドルは、かつてのような権威が失われたと言われますが、我々庶民には何のことかすぐにはピント来ません。しかし、ユーロは経済的必然性というよりは政治的な思惑から作り出された、と言われると、「なるほど、そういうことか」と納得がいくような気がして、これは中々面白そうな本だなと思いました。






最終更新日  2019年04月19日 01時00分06秒
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2019年02月28日
テーマ:本日の1冊(3070)
カテゴリ:読書
笠原十九司著「増補 南京事件論争史」(平凡社刊)について、10日の東京新聞は次のような書評を掲載している;


◆過ちを直視

 記者の仕事をしていると多くの方に会う。初対面で怒られることもある。「前にあんたとこの先輩にひどいことをされた」などと、詳細が分からない場合、反論も弁解もしない。「同じ過ちはしないよう、気を付けますね」と答える。

 私が記者として毎日働いていられるのも、多くの先輩がこの新聞を守り育ててきたおかげなのだ。その人たちの良い遺産も「負の遺産」も、ともに引き継がねばならないだろう。

 ここで「先輩」を「父母や祖父母の世代」と置き換え「新聞」を「国」と置き換えれば、ほぼ日本の戦争責任に対する私の態度-特に、私たち戦争を知らない世代の取るべき態度への考え方となる。この国を築いてきた先達(せんだつ)も、時に数々の過ちを犯してきたのだ。

 だが、その過ちを決して直視したくない人がいて、たとえば「南京大虐殺はなかった」と言う。日中両国の共同研究でも事実だと認められたのに? 歴史の修正主義というかヽ改竄(かいざん)主義というか、そうした人に贈りたいのが本書。事件の実相を豊富な史料で詳述し、「否定論」の問題点を明確に指摘する。重要な労作だ。平凡社ライブラリー・1620円。
(三品信)


2019年2月10日 東京新聞朝刊 9ページ 「記者の1冊-『増補 南京事件論争史』」から引用

 南京大虐殺は無かったとか、慰安婦問題は虚構だという主張をする人たちは、何故そのような虚しい主張を繰り返すのか。それは多分、祖先から受け継いだ祖国に、そのような負の歴史があったなどという不名誉な言説を認めるわけには行かないという、間違った「愛国心」があるのではないかと思います。しかし、実際には朝鮮半島を植民地として支配し中国大陸を侵略した事実は歴然と存在するわけで、それを言を左右にして否定しても何の意味もありません。これからの国際社会を平和に維持していくためにも、私たちは「歴史」と正面から向き合う姿勢が大切と思います。






最終更新日  2019年02月28日 01時00分09秒
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2018年09月15日
テーマ:本日の1冊(3070)
カテゴリ:読書
集英社新書から「保守と大東亜戦争」を出版した東京工業大学教授の中島岳志氏は、9日の「しんぶん赤旗」に次のように書いている;


 政治学者で東京工業大学教授の中島岳志さんが、新著『保守と大東亜戦争』を出しました。「リベラル保守」の立場から戦中・戦後の保守の在り方を考察し、安倍晋三首相を「保守ではない」とズパリ指摘。安倍政権を倒すための野党共闘への期待を語りました。
(田中倫夫記者)


<自らを「リベラル保守」という中島氏。90年代中期以降、保守の一部から台頭してきた「『大東亜戦争』(アジア・太平洋戦争)は正しかった」という論調に、強い違和感を持つたといいます>

 戦前の日本では、大東亜戦争を正当化するために、「五族協和・王道楽土」とか「大東亜共栄圏」「八紘一宇」などというスローガンがもてはやされました。このスローガンの意味することは、国家を超えた世界を、天皇中心の神聖政治で構築できる、というものです。




 保守の一部論者は90年代中期以降、「慰安婦」問題で政府の見解を明らかにした河野洋平官房長官談話(93年)や、侵略と植民地支配を謝罪した戦後50年の村山富市首相談話(95年)への攻撃を開始します。「大東亜戦争は正しかった。解放戦争だった」という歴史修正主義というべきものです。私は、保守を標榜している人たちがなぜこのような議論に陥っているのかが不思議でした。そこで、その前の世代、戦争を体験し、戦後活躍した保守の論客たちがどういう議論をしていたのか、改めて調べなおそうと思いました。

◆戦争への懐疑

 <中島氏が『保守と大東亜戦争』で取り上げたのは、戦後保守論壇で活躍した猪木正道、福田恒存(つねあり)、池島信平、山本七平・・・。戦後民主主義や日本共産党を激しく批判してきた人たちでもあります>

 結論からいえば、彼らは大東亜戦争にきわめて懐疑的な見方を示していました。戦争に至るプロセス、イデオロギーに同調できなかった。たとえば文芸春秋社の第3代社長となる池島信平は、こう書いています。

 「朝、社へ出勤してみると、この人達の或る人は声高らかに自分の机で古事記を朗誦している。或いは日本書紀を朗誦している。そして私の顔を見て、これ見よがしに、日本精神のないヤツがやって来たねというような顔をする」(『雑誌記者』)

 『日本人とユダヤ人』『「空気」の研究』で知られる山本七平は陸軍に入隊し、激しいリンチに直面しました。軍内部で冷静な分析やリアリズムがなくなり、大言壮語ばかりがはびこるという、「空気の支配」の非論理性を告発します。

 歴史学者の林健太郎は、アジア諸国が独立したのは「日本のおかげ」とする「東亜解放のたたかい」論に、「賛同しない」「歴史の事実に反している」(『東京裁判史観というもの』)と批判しています。

 戦前・戦中派の保守は、大東亜戦争を賛美せず、反対していたのです。私は、哲学者の故・鶴見俊輔さんから生前、こう言われました。「あの戦争に至ったのは、日本が保守化したからではまったくない。むしろ、保守が脆弱(ぜいじゃく)であり、弱体化したからだ」と。


《 全身で強度を守ろうとしだ翁長さんこそ真の保守 》

◆妥協点を探る

くその視点から今の安倍政権をみると・・・>

 本来、保守というものは、人間の理性は完全ではないと考えています。違う意見が野党から示されれば、まずは対話、議論をする。相手の言い分に道理があると思えば、調整して妥協点を探る。だから、昔の自民党は議会でもそれなりに野党のいうことに耳を傾けてきました。

 私の尊敬する大平正芳元首相は、「政治は60点でなければならない」といっていました。60点とればいいのではない。60点でなきゃだめ、野党に40点は与えないといけないということです。

 しかし安倍さんのキーワードは「この道しかない」で、野党や国民のいうことなど聞く耳持たない。国会で議論せず、時間が過ぎれば最後は強行採決。選挙にさえ勝てば「民意を得た」とやりたい放題です。

 これはおよそ保守のとる態度ではありません。戦前の右派政治、軍人の政治に似ています。安倍さんは保守ではありません。

 安倍さんが尊敬してやまない母方の祖父・岸信介氏は、2・26クーデターの思想的バックボーンだった「国家社会主義者」の北一輝を尊敬していました。天皇中心の国家改造をめざすいわゆる「革新」官僚だった岸氏は、満州で統制経済の「理想国家」をつくり、東条英機内閣では商工大臣として戦争の物資動員を担当しました。安倍さんが保守でなく、戦前の右派政治、軍人の政治に似ていることもわかります。


 <安倍政治に、まじめな保守はついていけないということなのでしょうか>

 TPP(環太平洋連携協定)で日本農業をつぶしたり、「働き方改革」で「残業代ゼロ」制度をつくったり・・・カジノにしろ、水道民営化にしろ、種子法廃止にしろ、どれをとっても保守が共感する政策ではありません。それに反対している共産党の論理の方が、私のような保守には圧倒的に賛成できます。共産党の「日本の農業を守り、国土を保全せよ」との主張を素直に読めば、その正しさは明らかです。

 「まじめな保守」とは、亡くなられた沖縄の翁長雄志知事のような政治家のことです。立場を超え、郷土を守ろうとする。私は翁長さんが全身で示した「保守」の態度を受け継ぎたい。

 安倍政権がいつまでも続くわけではありません。野党は共闘し、政権をとることを本気で考えるべきです。共産党にも閣僚を出すぐらいの責任をとってほしい。参院選、総選挙と共闘を積み上げ、野党は、少なくても3年間は政権をやれる体制をつくってほしいですね。


なかじま・たけし=1975年大阪生まれ。京都大学大学院博士課程修了。北海道大学大学院准教授を経て、東京工業大学リペラルアーツ研究教育院教授。専攻は近代日本政治思想史、南アジア地域研究。『中村屋のボース』『「リベラル保守」宣言』『保守と立憲』など著書多数


2018年9月9日 「しんぶん赤旗」日曜版 3ページ 「安倍首相は保守ではない」から引用

 安倍晋三という政治家が保守の政治家ではないという指摘は重要だと思います。彼が保守の政治家だということになると、保守を標榜する政治家が全員彼に賛同するのが当たり前ということになって、石破氏のような行動をとることが「保守」に敵対する者と見なされるようでは、日本は過去の過ちを繰り返す羽目になります。例えば「日本の農業を守り、国土を保全する」とか「憲法を護る」というスローガンは、保守にこそ相応しいものですが、安倍氏の言動も安倍内閣の政策も、ことごとくこれらのスローガンに反するわけですから、安倍氏が保守政治家ではないことは明白だと思います。






最終更新日  2018年09月15日 01時00分08秒
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2018年08月27日
テーマ:本日の1冊(3070)
カテゴリ:読書
筒井清忠著「戦前日本のポピュリズム」(中公新書 2471)では、日本が国際連盟を脱退する直前の国際情勢について、次のように書かれている;


◆「頬かぶり」主義の当否

 日本の連盟脱退について考察していくには、当時の国際連盟では満洲国承認問題以外にも各国の利害が対立する案件が起きていたことを知る必要かある。ここでほかの国際連盟案件を見てみよう。



 まず、第二次エチオピア戦争である。第一次エチオピア戦争で敗れたイタリアが、エチオピアの植民地化を意図して攻撃をしかけたものである。年表風にまとめると次のようなものであった。


 1934年12月5日、イタリアとエチオピアがイタリア領ソマリランド国境で衝突した。

 1935年3月17日、エチオピアか国際連盟規約第15条の適用を求め、国際連盟に仲裁を要求。イタリア・エチオピア間に仲裁委員会を設置。

 4月11日、英仏伊、ヒトラーの再軍備声明に対するストレーザ会議を開催。

 8月16日、英仏伊間の交渉開始。

 9月3日、仲裁委員会か結論を出すものの曖昧なものであった。

 10月3日、イタリアがエチオピア攻撃を再開。

 10月7日、国際連盟理事会、イタリアが第12条に違反と認定。第16条の適用を決定。

 10月10日、イタリア代表、総会で反対演説。54か国中50か国か理事会判断に同意。武器弾薬などの禁輸委員会を設置。

 12月2日、カナダが石油を対イタリア禁輸品目に入れることを主張。石油禁輸は宣戦布告と受け止めるとイタリアが表明していたので英仏は拒否する。

 12月9日、エチオピアの半分以上をイタリア支配下に置くことを認めるホーア・ラヴァル案(英仏外相案)が新聞に洩れ、エチオピアは拒否を発表する。英国世論も沸騰し、ホーア外相か辞任、イーデン外相が就任する。

 1936年3月3日、国際連盟、イタリア・エチオピアに停戦・交渉開始を提案、3月5日にエチオピア、3月8日にイタリアが停戦交渉に同意。

 3月7日、ヒトラーがラインラントの再武装を宣言、英仏はイタリアか対独包囲網から離脱することを怖れる。イタリア、エチオピア攻撃を再開。

 5月2日、エチオピア帝国のハイレ・セラシエ皇帝か亡命。

 5月5日、アディスアペバ陥落。

 5月9日、イタリア、エチオピアの併合を宣言。

 7月4日、国際連盟総会、イタリアへの制裁打ち切りを決定。


 この経緯からわかるように、イタリアの行為に対して英仏、とくに英国はたえず妥協的であったが、これはヒトラーがドイツで権力を掌握し、再軍備を実施して緊張か高まったので、イタリアに対して宥和的にならざるをえなかったのである。

 もっとはっきりしているのがソ連の国際連盟除名問題である。これも年表風にまとめよう。


 1939年11月30日、ソ連、フィンランド侵攻。

 12月2日、フィンランド、連盟に提訴。

 12月11~14日、総会開催。ソ連非難決議が可決。

 12月14日、理事会(7か国)、ソ連追放決定。


 こちらは弁明の余地のまったくない明白な侵略戦争であり、ソ連は国際連盟から除名されたのだが、その後第二次世界大戦が起きてソ連が戦勝国にまわると、1944年8~10月、ダンバートン・オークス会議が米英ソ中によって開かれ、国際連合の創設か決まっていく。

 このように見てくると、日本が「頬かぶり」主義でじっと黙って待っている戦略を取っていれば、その後の国際情勢の変化のなか国際連盟で生き延びえていた可能性はきわめて高かったと言えよう。勧告を聞きつつ脱退せずにすませるという「頬かぶり」戦略を放棄したことが、日本の失敗の最大の外交的原因であった。

 先に見た松岡の文章には「国家の前途は、一に国民精神の如何に依る、断じて一時の便宜、若くは物質的損得に依り決せらるべきものに非ず」とあったが、日米開戦の前にも政府は同種の決断をすることになる。これは政党政治といえば「党利党略を排斥すべきだ」という見方に類似している。外交や政治の主体を「利益」の観点から見ることができない、成熟のない政治観が根本にうかがえるのである。もちろん、「利益」がすべてではない。そこには例えば「価値」「理想」なども必要なのだが、「利益」の追求は合理性を担保することになり、政治主体を置かれた環境を無視した非合理的行動に走らせないという視点が重要なのである。それか現実性・合理性を踏まえた外交世論の熟成につながるのである。この視点をたえず保持していた石橋湛山から今日学ぶべきことが多い理由でもある。


筒井清忠著「戦前日本のポピュリズム」(中公新書 2471) 203~206ページから一部を引用

 日本が中国東北部に満州国を建国したとき、国際連盟は日本を批判する決議を採択して日本側全権として会議に出席していた松岡洋右が国際連盟脱退を宣言したと、私たちは学習したものでしたが、この本にはもっと詳細な状況が説明されており、元々この時の国際連盟の勧告は、単に日本を批判しているだけで罰則を伴うものではなかったため、日本側には「ただ黙って連盟の批判を聞いておとなしくしていれば、そのうちほとぼりが冷めて、国際社会は満州国を既成事実として受け入れる」という意見もあり、それを「頬かぶり主義」と称したらしい。もし日本が「頬かぶり主義」でじっとしていれば、その後米英を敵に回して戦争しなくても良かったことは、あり得る話で、当時の国際情勢はその程度には融通無碍であったことが、一度は国際連盟を追放されたソ連が、その後の日本やドイツの立ち回りの「結果」とは言え、素知らぬ顔で連合国側の一員となり戦勝国の一員に収まった事実が物語っているというわけです。しかし実際には、当時の日本はポピュリズムの嵐が吹き荒れ(?)、日比谷公園で新聞社が主催して開かれた「国民大会」で「国際連盟、即時脱退!」が決議され、それを新聞各社が大々的に報道して、政府をその気にさせてしまったのは「失敗」だったのではないかと、後知恵とは言え、つくづく考えさせられます。






最終更新日  2018年08月27日 01時00分10秒
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2018年08月14日
テーマ:本日の1冊(3070)
カテゴリ:読書
一昨日、昨日と引用した中野敏男氏の「解説」はその終段で、現在の日本の精神状況について次のように述べている;


 「『<戦後>の誕生』日本語版に寄せて」と題した本論では、これまで、安倍内閣が執権する現在の日本が「戦後」の「平和主義」を遺棄するという意味で、「曲がり角」にあると感じられる状況から出発して考えてきた。その考察をここまで続けてくると、それは、曲がり角と言っても「平和から戦争へ」というような単純なものではなく、戦争態勢の整備を含みつつその底で「戦後日本」が続けてきた「『朝鮮』の消去」をさらに進めてしまうという、ひどく内向的な「曲がり角」であるとわかってきた。それは、植民地支配の「影」を温存したままの「転換」なのであって、戦争法など表面に顕れたあれこれの制度上の改変よりもっと深刻な意味で、日本の精神状況の退行を示すと言わねばならない。そしてこれは、植民地主義をめぐって今日の世界が進んでいる趨勢から見ても、ひどく逆行的な事態だとわかる。

 思えば、冷戦体制が解体に向かった1990年代の世界は、それまで冷戦状況下に横行していた独裁政治や強権政治に対して抵抗が広がり、それが各地で社会体制の転換にまで発展して、旧社会にあったさまざまな人権抑圧や不正を告発し、歴史の真実、名誉の回復、責任者の処罰、被害の補償、社会の和解などを求める人びとの要求や行動が大規模に激発した時代であった(*8)。アパルトヘイト体制に反対してその転換を求めた南アフリカ共和国の事例が最も有名であるが、この時代にはそれに限らず、部族間対立が血みどろの内戦に発展したアフリカ諸国での虐殺被害、東ヨーロッパの社会主義政権がおこなった人権抑圧、そしてアメリカに支援された中南米の軍事独裁政権がおこなった人権侵害や虐殺被害、そしてアメリカや日本も支援した東アジア・東南アジア・南アジアの開発独裁型政権の人権侵害や虐殺被害など、まさに世界のあらゆる場所で人間の生命と権利を侵害したさまざまな問題が問われるようになっている。1991年8月14日、韓国の金学順さんが初めて実名をもって被害を訴えたことで始まった日本軍「慰安婦」問題の公論化の過程も、この90年代に進んだ真実と正義を求める世界の流れと無縁ではないのである。

 このような90年代に世界各地に広がった真実と正義を求める運動をとりわけ意義深いものにしたのは、そのようなさまざまな運動のなかから、やがて同時代としての「近代」に猛威を振るった人種主義、排外主義、そして植民地主義が共通の克服すべき課題だという認識が生まれ、これに対する国際的な議論が進んだということである。そんな議論が発展して、2001年9月には南アフリカのダーバンで国連の主催により「人種主義、人種差別、排外主義および関連する不寛容に反対する国際会議」が開かれ、奴隷制や奴隷貿易についてはここで初めて公式に「人道に対する罪」と認定されることになった。また植民地主義についても、その責任や罪がこの会議で公式に議論され、イギリスやフランスなどの反対で「人道に対する罪」と認定されるまでには至らなかったが、これについても議論が避けられないという認識は国際社会で共有されるようになっている。

 そのような90年代を経て、人種主義や植民地主義に対する世界の認識は、世界史に果たしてきたその罪責を厳しく問う方向に急速に変化していると言えるわけだが、この世界の変化に照らして見れば、ここで見てきた日本の現状はそれとは明らかに逆行していてやはり深刻な事態だと言わねばなるまい。そこで、今また反復されている「植民地主義の歴史の消去」あるいは「『朝鮮』の消去」を、それの出発点である「戦後」の始まりに立ち返ってその意味を問い直すという課題が生まれている。

 本書『〈戦後〉の誕生』日本語版は、そんな課題を抱える現在の日本の言説空間に提供されることになったのだ。そして、「日本の『戦後』は『朝鮮』の消去の上にある」と「本書の問題意識」を明示するこれは、その課題の中心に必ず突き刺さる問題提起になるはずだと認められるだろう。本書は、ほぼ同時に刊行されている権赫泰著『平和なき「平和主義」-戦後日本の思想と運動』(鄭栄桓訳、法政大学出版局)と問題関心を並行させる論集であり、これとあわせて読まれると議論の内容もより十全に理解していただけると思う。

 本書の主題に関わる戦後日本の植民地問題の認識については、「戦後思想」の中心人物と言える丸山眞男が1990年代になってその学問人生を回顧するインタヴューに応じ、次のように語っている。


 韓国との関係だけでなく、北朝鮮についても、すぐに当面することになるでしょうが、過去の歴史について、謝罪すべき問題と、そうでない問題があると思うのです。よく言われることだけど、帝国主義国で、謝罪した国があるかといえば、ありませんね。いつ一体イギリスはインドに謝罪したか。いつドイツは膠州湾について謝罪したか、いつソ連はツァール・ロシアのやったことに謝罪したか。こういうことと、たとえば、朝鮮人の強制連行など、植民地支配の下で行われた人権侵害とは基本的に違う。それは無条件にきちんと謝罪すべきことです。(*9)


 丸山はここで、日本をイギリス、ドイツ、ソ連と並列し、それら「帝国主義国」の立場から自らの考えを述べているのは明らかだろう。しかもその内容が植民地支配の責任に関わることであってみれば、これはあたかもダーバン会議において植民地主義の罪を否認するイギリスやフランスの立場と一致しており、その位置から旧植民地地域の代表者たちの追及に対決していると言えるわけだ。

 植民地主義に関わる丸山のこの発言が、丸山眞男という傑出した政治思想史家の全生涯を考えようとする際にどのような評価のポイントになるのか。それについては、いかなる点から丸山を見るかによって随分立場は分かれるだろう。最晩年の丸山が何を言おうとも、多岐にわたる丸山の全言説の中から示唆的な言葉を選んでは拾い出し、それに学び続けるということだってなお充分に可能だからである。とはいえ、日本の戦後思想をまさに「戦後」という位置において、戦争と植民地主義の歴史に即してそれを考えようと企図し、その中心に丸山眞男を置く場合には、これは見過ごせない発言だとわたしは思う。90年代の丸山がここに立っているのは、ほかならぬ「戦後思想」そのものの帰結だと理解しなければならないからである。

 そうだとすると、その「戦後思想」はどのようにして生成しているのか、というより、それと並行して日本の「戦後」そのものが<誕生>したのはいかにしてか。ここに浮かび上がるこの問題は、本書の行論本体において明らかにされるはずの事柄である。



(1)孫崎享『戦後史の正体』創元社、2012年。
(2)白井聡『永続敗戦論-戦後日本の核心』太田出版、2013年。
(3)加藤典洋『敗戦後論』講談社、1997年。
(4)原彬久『岸信介i権勢の政治家』岩波新書、1995年。
(5)ジョン・ダワー『吉田茂とその時代』上・下、大窪悠二訳、TBSブリタニカ、1981年。
(6)韓洪九『韓洪九の韓国現代史 Ⅱ 負の歴史から何を学ぶのか』高崎宗司監訳、平凡社、2005年。
(7)和田春樹『金日成と満州抗日戦争』平凡社、1992年。
(8)1990年代のこのような状況については、金富子・中野敏男編『歴史と責任-慰安婦問題と1990年代』(青弓社、2008年)を参照されたい。
(9)丸山眞男『丸山眞男回顧談』下、松沢弘陽・植手通有編、岩波書店、2006年、177-178頁。


権赫泰、車承棋編「<戦後>の誕生」(新泉社刊) 「解説『<戦後>の誕生』日本語版に寄せて」から320~324ページを引用

 ここに引用した文章も大変教訓に富んでいると思います。90年代は世界のあちこちで独裁政治や人権蹂躙が告発され是正された時代で、韓国で金学順氏が従軍慰安婦の被害体験を告発したのもそういう世界の趨勢に添うものであったという解説は説得力があり、安倍政権の慰安婦問題に対する対応が如何に誤謬に満ちているかということもよく分かります。また、イギリスやフランスがかつての植民地支配を謝罪していないことを指して「だから謝罪は無用」というのは暴論であり、やがてはイギリスもフランスも謝罪させられる時代が来るだろうと私は思います。






最終更新日  2018年08月14日 01時00分06秒
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2018年08月13日
テーマ:本日の1冊(3070)
カテゴリ:読書
昨日の欄に引用した中野敏男氏の解説記事の続きは、近年刊行された加藤典洋著「敗戦後論」、孫崎享著「戦後史の正体」、白井聰著「永続敗戦論-戦後日本の核心」について、それぞれ次のように論じている;


(昨日の続き)
 もっとも、「植民地主義の歴史の消去」が「『朝鮮』の消去」と端的に具体化されて言い換えられると、なるほどそれが単に歴史認識上の問題にとどまるわけではないということがもっとはっきり際立ってくる。確かにそれは、たとえば前述した戦後70年談話などでの戦争に関する言及を「満州事変以前」にまでちょっと延ばして書き加えればそれで済んでしまうような問題ではなく、むしろ日本で「戦後」と言われている時代の存立そのものに構造的に関わる問題なのである。ここで仮にこう単純な問いを立ててみよう。「1945年以後の時代とは、いかなる時代であったか」と。

「平和と民主主義が実現され、復興から経済成長に向かった時代である」、これが一つの答え。そして、「戦争と南北分断が固定化され、独裁政権が民主主義を抑圧した時代である」、これがもう一つの答え。いずれも直ちに出てくるだろうと思われる答えなのだが、このように意識して並べてみると、前者は後者を「消去」してのみそれとして語りうると理解できるのではないか。事実を直視すれば、両者は東アジアの歴史として一体的であり、そこで構造的に連関した一つの事態が表裏で示すそれぞれ一面の像に違いないはずである。それなのに日本では、実際に後者を消去しつつ、前者のみをずっと「戦後」として語り続けてきた。

 そうであれば、この「戦後」が「曲がり角」にあるとされる今日、それがどこに進んでいくのか、あるいは進んでいくべきなのかを見極めるためにも、現在に続くと見られるこの「戦後」の構造をまずは全体として正視することが不可欠だろう。それなのに、そう考えて現在の日本の精神状況をあらためて見直すと、残念ながら現実にはそれとは逆行する事態がいくつも現れてきていると認めざるをえない。それは、たとえば、近年の日本でさまざまに注目を集めているいくつかの戦後日本論に見て取ることができる。

 2012年に刊行された『戦後史の正体』という書物は元外務官僚である孫崎享の著作だが、孫崎はここで日本の戦後史を「対米従属」路線と「自主」路線という2つの対米外交路線の相克という観点(のみ)から解析し、広範な読者を得ている(*1)。また、2013年には白井聡著『永続敗戦論』という書物がそれに加わり、これもかなり広く読まれて角川財団学芸賞や石橋湛山賞を受賞するなど高い評価を受け、「対米従属」と敗戦状況の「永続化」を語るその戦後日本論は、いわゆる「リベラル」の人びとにまで大きく支持を広げることとなった(*2)。かくて、占領期の「押しつけ憲法」を排して「自主憲法」の制定を目指すという極右勢力が政権を握ったそのときに、それに対抗するリベラルがまた「対米従属」に戦後日本の核心を見て日本の「主体性」を強く願望するという、どこか奇妙な対立構図がここに成立している。

 このような「永続敗戦」という議論が、リベラルな立場から戦後における日本の「主体性」の喪失を嘆いている限りで、その著者の白井自身が認めるとおり1990年代に加藤典洋が提起した「敗戦後論」の後継であることは間違いないだろう(*3)。しかし、ともあれ「アジアの2千万の死者」を哀悼する主体が不在だという問題から説きおこした加藤の議論と対比してみると、日本の「対米従属」にのみ照準する白井の議論はちっと自己憐憫的でずっと退行していると見なければならない。加藤と同じく「敗戦」を語るこの議論において、加藤とは異なって「アジアの死者」への関心はほとんど希薄だし、戦後処理の懸案として「竹島」や「尖閣諸島」や「千島」の問題は語られても、植民地支配の責任などという問題には論及の場すら与えられていないのだ。その意味で「朝鮮」はここでも見事に消去されている。これが現在の日本で広く受け入れられているしかもりベラルな「戦後」論なのだと思ってみると、加藤の「敗戦後論」が議論の的となった90年代からもさらに大きく後退し内向化した日本の思想状況に、あらためて心が痛む思いがする。それにしても、このような「朝鮮の消去」は、2010年代の現在に東アジアでなお顕在化している植民地支配の明瞭な影を考えれば、「戦後」を語る議論としてあまりにも不見識ではなかろうか。

 それでは、現在において「東アジアで顕在化している植民地支配の明瞭な影」と言うのは何のことか? それは、東アジアの現在の政治指導者たちの顔ぶれとそのルーツを見れば、そこに明示されているとわかる。日本の現政権は首相が安倍晋三で副首相が麻生太郎であるが、周知のとおり安倍の祖父は岸信介で、麻生の祖父は吉田茂である。そしてこの岸信介とは、1957年から60年まで首相を務めた人物であるが、元は戦前の農商務省出身のいわゆる「革新官僚」で、1936年からは満洲国国務院で経済政策の実権を握ってそれを支配し、日米開戦時には東條内閣の閣僚にまでなっている(*4)。また吉田茂は、1946年から数次にわたって首相を務めた「戦後日本政治」をまさに象徴する人物だが、出身は外務官僚で、1906年の奉天(瀋陽)の総領事館勤務を皮切りにほぼ20年にわたって中国勤務を続け、その間、明確な「帝国意識」を保持し、一貫して日本の帝国主義的な中国政策の先頭に立って精力的に働いている(*5)。すなわち岸と吉田とは、紛れもなく日本の中国侵略と植民地支配の現地実行責任者だった人物であり、その当人が「戦後」にはついに首相にまで登り詰め、その身をもって実際に日本の植民地支配の経験と戦後政治とを繋いでいるのである。この繋がりを戦後日本は黙認して温存し、彼ら本人だけでなく、ついには彼らの孫まで首相に押し上げた。

 その事実に気づいてみると、現在の南北朝鮮の政治指導者たちについても事態はやや似ているとわかる。まず、大韓民国の現在の大統領である朴槿恵の父は60年代から70年代にかけて軍事独裁政権の大統領であった朴正煕だが、この人物は日本の植民地時代には傀儡国家満洲国で国軍の将校となり、日本名を「高木正雄」と名乗って働いていた(*6)。また、朝鮮民主主義人民共和国の現在の最高指導者(国務委員長)である金正恩の祖父は金日成であるが、この人物は満洲国のあった地域で抗日パルチザンのリーダーとして活躍し、その実績から建国後は首相となって、国家の最高指導者としてそれを導いている(*7)。50年代に朝鮮を南北に分断した朝鮮戦争は、日本帝国主義が支配する30年代の満洲で、これら当事者によってすでに先行して戦われていたのである。要するに、現在の日本と南北朝鮮の政治指導者たちのルーツをたどると、いずれも「朝鮮」と「満洲国」の植民地支配をめぐる実際の戦争に行き着くのであり、まさにその影が、戦後・植民地解放後を経て現在にまで及んでいると理解できる。

 もっとも、植民地時代の父や祖父がそうだからといって、「戦後」の現実においては、その政治行動がそれ以前とまったく同じ枠組みで理解できるわけではなかろうし、いわんやその類推を子や孫にまで単純に広げているのだとすれば、確かに不当だと感じられるかもしれない。そもそも「戦後」という世界は「冷戦」の時代であり、そこでは米ソという両超大国が実際上覇権を握っていて、いかなる国も政治勢力もそれに従属して動いていたのではなかったか。そうだとすれば、東アジアの政治指導者における「戦前」と「戦後」のそうした人的つながりもその意味はさして重要ではないとも考えられる。

 しかしそれに対しては、冷戦体制と米ソの覇権という事態が、米ソニ国だけ主権を維持しその国益がもっぱら優先されて意思決定もなされていたなどという、単純な話ではない事実が指摘されねばならない。各国が連携して2つの陣営に分かれ世界を分割して覇権を競った連携帝国主義ともいうべきこの体制の下では、「自由主義か、社会主義か」という社会体制の選択に政治の外枠が大きく規制されていて、米ソすら単純な国益主義によっては対応が不可能だったのだ。このような世界体制であれば、そこからたとえば日米の二国だけを取り出し、この二国関係だけについて「自立か、従属か」などと論ずるのは笑うべき視野狭窄でひどくナンセンスなことなのである。

 しかもこの冷戦体制は、それも米ソの恣意によってはどうにもならない歴史的前提を抱え込んで出発し進行している。冷戦体制下では、とくに1950年代にアジア・アフリカなど旧植民地の地域で国家独立の動きが広がり、それが一時は東西両陣営に並立する「第三世界」と称されて独自な勢力結集の軸にもなっている。しかし、そこに成立した「独立国」には、その社会体制の内に植民地時代の分断・差別という母斑が刻印されていて、それが独立後も自立を困難にする要因となり、また旧植民地宗主国の新植民地主義的な介入を導く誘導路にもなってしまった。植民地時代の遺産であるさまざまな社会矛盾が、やがて地域対立や民族対立やイデオロギー対立に発展してそれらの地域に「内戦」を引き起こし、それに背後から米ソや旧宗主国が介入して、独裁政治や大量虐殺などとても重大な悲惨を実際に各地で生んできたことは、21世紀の現在、よく知られた事実である。

 そのような世界の歴史的事実を踏まえて振り返ってみると、「戦後」の東アジアにおいて、日本では吉田茂や岸信介が首相になり、南北朝鮮では朴正煕や金日成がそれぞれ権力を掌握したというのも、かつての植民地帝国日本による植民地支配の「影」であることは明らかではないだろうか。このような東アジア地域であってみれば、これに対するアメリカの政策も、日本にただ「従属」を強いるという単純で一方的なものではなく、この植民地支配の「影」を利用しそれと連携して展開してきたと考えねばなるまい。その「影」が、この2010年代の今日において、それらの子や孫による執権としてまた露頭しているのである。もちろんそれは歴史の「単純な反復」ではないだろうが、そこに否定不可能な系譜は厳にあり、しかもそれはトップの政治指導者の系譜のことだから、この地域の歴史と現在を論じようとするなら決して無視できないはずのものだ。それなのに、現在の日本に流通する「戦後論」においては、この「朝鮮」にかかわる歴史への意識が、それゆえ植民地主義の記憶が、まったく<消去>されている。と言うより、すっかり内向きに萎縮してしまってそこに意識が向かないのだ。これは、現在の日本の精神的境位そのものを示していると考えざるをえない。
(後半省略)


権赫泰、車承棋編「<戦後>の誕生」(新泉社刊) 「解説『<戦後>の誕生』日本語版に寄せて」から314~320ページを引用

 うっかりすると吉田茂は戦後の日本を経済発展に導く基盤を作った政治家という印象が強く、あるとき皇室に関係する文書に「臣 茂」と署名したとの記録があり、変なことをする人だなと思ったものでしたが、実は戦前は中国大陸で日本帝国主義の官吏として大活躍した人物であったと知り、「なるほど」と長年の疑問が解けました。戦前の中国東北部で、岸信介や吉田茂と朴正煕が抗日パルチザンの金日成と敵対し、戦後は朴正煕の娘と金日成の孫が朝鮮半島を分断統治した、これは確かに日本植民地主義の「結果」だと思います。しかし、大韓民国では民主主義の力で大統領を交代させました。日本でも、植民地主義者の孫を首相の座から引きずり下ろして、まっとうな政治家を首相に選んで、植民地主義を「精算」するべきではないかと思います。






最終更新日  2018年08月13日 01時00分07秒
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2018年04月30日
テーマ:本日の1冊(3070)
カテゴリ:読書
太田出版から「トマト缶の黒い真実」を出版したジャーナリストのジャン=バティスト・マレ氏は、22日の東京新聞・インタビューに応えて次のように述べている;


 「食料品の世界は大手企業が支配し、民主主義が守られていない。自分が日々消費するものについて深く知らないことは、非常に大きな罪だと感じました」。世界中に流通するトマト缶から、農業ビジネスの暗部に迫ったジャン=バティスト・マレさんは、2年半にわたる取材を終えた感想を語る。





 農業が盛んなフランス南部のプロバンス地方で生まれた。2004年、古里のトマト加工工場が中国企業に買収された。それを機に地元農家との取引が打ち切られ、情報もシャットアウトされるように。工場の中を見たいと交渉しても、決して許可されなかった。当時現場で目にしたのが、メードインチャイナと書かれた青いトマト缶。「なぜ中国のものがここに?」。その疑問が、長い旅路の出発点になった。

 濃縮トマトでビジネスを広げる中国の将官、産地を誤認して買い求める消費者、法の網をくぐって過酷な日雇い労働をする移民・・・欧米、中国、アフリカと世界を巡り、あまたの証言を集めた。それらがパズルのピースのように組み上がり、中国の経済施策の貪欲な実態や、弱者を搾取するグローバル経済のひずみが浮かび上がる。その旅の果て、著者はトマトが原料とは思えないほど黒ずんだ粗悪品「ブラック・インク」にたどり着く。

 取材対象が隠したがるものをいかに暴くかがジャーナリストの手腕。本書には監視の目を盗んで工場内を捜索したり、キーパーソンに取り入って情報を引き出したりと、スリリングな場面も登場する。「大事な情報を握る人の話は90パーセントくらいうそ。にこやかに聞きながら駆け引きをして、最後にしっかり裏付けをするのがポイントです」という。

 「私は楽観主義なので、よりよい世界をつくるために貢献できると思っている。ただし、それは座って眺めているだけでは実現しない。動くことが大事だ」と力を込めるマレさん。前作では巨大企業「アマゾン」の配送センターに潜入取材して内情を告発。フランスでベストセラーになった。第3作にあたる本書では、国際的なジャーナリストとして飛躍した。「自分はまだまだ駆け出し。取り上げたいテーマもたくさんあるので、これからもっともっと記者として成長したい」
(岡村淳司)

ジャン=バティスト・マレ著・田中裕子訳「トマト缶の黒い真実」太田出版・2052円。


2018年4月22日 東京新聞朝刊 8ページ 「書く人-暗部を探る駆け引き」から引用

 この記事はなかなか刺激的である。大事な情報を握る人の話は90%くらいうそだというのは、昨今の国会答弁などを見ると確かにその通りだと納得(?)する。無いと国会で答弁していた文書が、ほとぼりが冷めた頃に「実はありました」ということで、次々に出てくる。前防衛大臣はその問題で引責辞任したはずであったが、その後になって、その大臣よりも前の時代の日報が出てきているのであるから、これは一体誰がどう責任を取るのか、はっきりさせてもらいたい。財務省も一年前に改ざんした公文書を国会に提出していたことが、最近明らかになったのだから、財務大臣は当然引責辞任するのが、これまでの世間の常識だったはずで、早急に決着させるべきである。
 ところで、私がこの記事に興味を持ったのは「にこやかに聞きながら駆け引きをして、最後にしっかり裏付けをするのがポイントです」という発言です。取材活動とはどのようなものか、素人にも分かりやすく説明されている。今から50年くらい前に、ルポライターの鎌田慧氏がトヨタ自動車の工場で期間工として勤務したときのメモをまとめて「自動車絶望工場」というルポを出版してベストセラーになったとき、どこかの出版社がその年の「ルポルタージュ大賞」にノミネートしながら選から外すということがあり、記者会見した選考委員の一人が「『自動車絶望工場』も有力候補ではあったが取材方法がフェアじゃないので選考から外した」と説明したものだから、翌週の朝日ジャーナルで本多勝一氏が選考委員を厳しく批判しておりました。なにしろ当時は草柳大蔵という評論家が大企業をよいしょする本を次々と出版して、世間も企業ルポというのは草柳先生が書くような本のことを言うのだと思い込んでいた時代でしたから、その頃に比べれば少しは世の中が進歩したのかなと思いました。






最終更新日  2018年04月30日 16時47分22秒
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