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歴史認識

2016年07月26日
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カテゴリ:歴史認識
 昨日の日記に引用した記事について、ジャーナリストのむのたけじ氏は、15日の「週刊金曜日」に次のように書いている;


 6月18日付けの『朝日新聞に朝刊に許しがたい記事を見つけました。子どもは大人の従者とみて導くか、独立した権利の主体とみるか、このふたつの「こども」観の対立が各地で起こっているとのことです。大人の従者とみて導く考えは、「自分で稼いで食べているわけでもない子供に下手に『権利』なんて覚えさせちや駄目よ。ろくな大人にならないわ」と日本会議政策委員の百地章・日本人学教授か監修した冊子にある言葉に代表されるようです。

 まず、それに対する反論のひとつは、従者として育てることを望む人たちは、結局国家に従う人を育てたいと思っているからだ。日本はかつて、子どもだけでなく、国民全体を従者としました。すなわち、昭和22年現行憲法が施行されるまでの大日本帝国憲法では、今国民と呼ばれている人を臣民と呼んでいました。臣民とは「けらい」、従者です。その結果どうなったか? 一部の人々の暴走をとめられず、皆さんご存じの通り、国民全体の生活をどん底にした無条件降伏を受け入れることになったのです。国家に従うだけの人間に育てることは国を破滅させることにつながります。その反省でいろいろな国民の権利が保障されたのではありませんか。

 それでは、「権利」ばかりを主張することが悪いというなら、どう対処すればよいか。答えは簡単です。権利を主張するには義務も果たさなければならないことを一緒に教えることです。権利と義務は一対になっているのです。そのことを理解してはじめて一人前の人間になれるのではありませんか。

 反論のふたつ目、子どもは従者とみる人には心を開いてくれないです。わたしが94歳の時、当時行なわれていたゆとり教育の御陰で、14歳の中学生と交わることができました。そのとき、子どもたちと私には80歳という隔たりがあるのに、なぜかそれを感じさせない付き合いになった。それで、あるときに私が「君たちは私をムノクンと同級生みたいに呼びそうだね」と言った。男の中学生が応答した。「ぼくは大人に心を開いたことはない。むのさんに会って初めてのことを経験した。親は、自分は親でお前は子どもだと言った。先生は、私は教師でお前は生徒だと言う。近所の大人は、おれたちは大人でお前らはガキだと言う。大人たちの声はいつも上から下へ斜めに走ってきた。むのさんに会ったら両方の声が同じ高さで行き交う。だから安心して自分をさらけ出してものを言っているのです」と。相手と本気で付き合いたいなら、おなじ目線が必要です。子どもは一人の人格を持った独立した人間とみて付き合い、導くべきです。

 この幼い子の問題は、この連載の6回目でも述べましたが、90歳代半ばを越えてから考え始めたことです。そこで、幼い子もまた人類を構成する大事なひとつのかたまりで、それが人類の根幹であると結論した。

 そして、生死を考えなければならない状態を経験して「いのち」をいっそう深めて考えたとき、幼い「いのち」を壊すことは、人類のすべてを壊すことになるとの思いを強めています。だから、このことは、人類は生きものとしてやってはならないこと、やらせてはならないことのひとつだという思いをいっそう強めています。

 人間の「いのち」は区別されないはずです。その重さ、軽さはないのです。その「いのち」のすべてが責任と誇りをもつことがたいせつです。誇りとは、人類が73億人いてもあなたはあなた一人しかいないのです。これほど貴重なものはないはずです。この誇りと、それに伴う責任を感ずることは、人間が生きる時に一番大切になることと思いを強めています。

 7月10日には、その多くはまだ経済的に自立していない18歳19歳の若い人々がはじめて投票する参議院選挙が行なわれました。今や、経済的に自立あるなしにかかわらず、国のあり方を決めることに参加する時代なのです。


2016年7月15日 「週刊金曜日」 1096号 56ページ「話の特集 - たいまつ・子どもは人類の根幹」から引用

 むのたけじ氏は戦前は朝日新聞の従軍記者として活動し、敗戦時に責任をとって朝日を辞職したジャーナリストで、戦争責任については大変厳しく反省したジャーナリストの一人だと思います。それだけに、「子どもは黙って親の言いなりになればいいのだという発想は、国の言いなりになる国民を育てる」という洞察には鋭いものがあるように思います。








最終更新日  2016年07月26日 15時54分26秒
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2016年07月24日
テーマ:ニュース(79756)
カテゴリ:歴史認識
 子安宣邦著『「大正」を読み直す』(藤原書店・3240円)について、ルポライターの鎌田慧氏が、6月12日の東京新聞に次のように書評を書いている;


 大正デモクラシーといえば、評者などは、字義通りに、大正元(1912)年、大逆事件直後の大杉栄、荒畑寒村が創刊した「近代思想」を想(おも)い起こす。この雑誌は、いち早く文化運動から大衆運動の再構築を図り、言論弾圧をかいくぐっていた。

 もちろん、その前後の足尾銅山暴動、米騒動、八幡製鉄所大罷業などの大衆運動の勃興が背景にあったのだが、本書が明治38(1905)年の最初の民衆騒擾(そうじょう)「日比谷焼き打ち事件」から書き起こされているのは、「マルチチュード」(協同的な多種多様な層)を評価しているからだ。大正期に活躍した6人の思想家や運動家を扱い、現在に残る痕跡が考察されている。

 幸徳秋水を巻き込んだ大逆事件は国家権力による「直接行動論」とその提唱者の肉体抹殺であるばかりでなく、「正当性」を主張する日本の社会主義者による思想的抹殺でもあると言う。

 「<民の力>を本質的に排除した<議会制民主主義>への道は、すでに『大正デモクラシ一』そのものが辿(たど)っていった道ではなかったのか」というのが著者のモチーフであり、戦前から戦後まで続く「昭和全体主義」を生みだした「大正」の検証作業である。

 この極めて論争的な本でもっとも力がはいっているのが、津田左右吉の『神代史の研究』の分析である。この時代に古事記と日本書紀によって構築された「神代史」を、完全な虚構と断じて解体し、ナショナリズムの根を断った。和辻哲郎の『日本古代文化』は、その偶像をまたもや再興させようとした営みである、と指摘する。

 大川周明の資本主義の危機を精神的統一による「アジア的原理」で革新しようとする思想は、満州国高官・岸信介に受けつがれ、「アジアの盟主」たらんとする欲望となって破綻する。

 立論のあら筋を紹介すると、論証の丁寧さの魅力が削(そ)がれるが、大正から現在に至るまで秘(ひそ)かに連結するナショナリズム復活の根拠が示されている。
(評者鎌田慧=ルポライター)

 こやす・のぶくに 1933年生まれ。思想史家。著書『日本近代思想批判』など。


2016年6月12日 東京新聞朝刊 9ページ「ナショナリズム復活の根」から引用

 津田左右吉という学者は勇気のある人で、万世一系の天皇が統治すると定められた明治憲法の下、歴史学の立場から「古事記や日本書紀に書かれた神話は作り話であり、天皇が天照大神の子孫であるというのはウソだ」という内容の本を出版して、不敬罪で起訴され禁固3ヶ月・執行猶予2年の判決を受けた。大正デモクラシーといっても、政府は国民に天皇は神様だと言いふらし皇居遙拝などをさせていた時代だから、津田の主張は「公の秩序に反する」と政府が主張し、学問の自由は認められなかった。自民党の改憲草案にはまたしても、「公の秩序に反する」場合は国民の権利は制限できるという内容の文言が書かれていることは重大な問題であり、「公の秩序」と「公共の福祉」は同じ意味だなどというデタラメを看過すべきではない。










最終更新日  2016年07月24日 16時09分28秒
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2016年07月18日
テーマ:ニュース(79756)
カテゴリ:歴史認識
 作家の姜信子氏は、玄武岩&パイチャゼ・スヴェトラナ著「サハリン残留」(高文研刊)への書評を、6月5日の東京新聞に次のように書いている;


 ときに人はみずからは動かずとも、不意に頭越しに動く国境線によって、望まぬ越境を生きることがある。勝手極まる国境線に翻弄(ほんろう)されながら生き抜こうとする者たちの中から、やがて、国境線を踏み越え、国家の枠を横断する生のありかたを形作る者が現れる。それは近代国民国家の落とし子であると同時に、近代国民国家をじわじわと揺さぶる存在でもある。本書が描き出しているのは、そんな人々の生きる姿。日本・韓国・ロシアにまたがる生活空間を、それぞれに選び取った形で生きる十の家族の物語である。

 そもそものことの起こりは敗戦を境に植民地帝国日本が一気に収縮したこと。日本領樺太がロシア領サハリンへと変ずる過程で、多くの人々が日本の外へとはじきだされた。植民地もろとも放り出された朝鮮人はもちろんのこと、朝鮮人と結婚した日本人女性やその子たちも打ち捨てられた。国家はその手で辺境の不可視の領域に追いやった者こそを真っ先に捨てたのだ。その歴史的・社会的・政治的背景については本書の解説に詳しい。

 国家とは本質的に民を守らない。弱き者声なき者ほど守られない。それを思い知った民が生き抜こうとすれば、生きるということ自体がおのずと越境にもなろう、国家への異議申し立てにもなろう。ひそやかにしたたかに生きる者たちの声、この一冊から溢(あふ)れいずる。聴くべし。
(評者:姜信子=作家)

<著者紹介>
ヒョン・ムアン 北海道大准教授。
Paichadze Svetlana 北海道大研究員。


2016年6月5日 東京新聞朝刊 9ページ「読む人-強く生きる人々の声」から引用

 「国家とは本質的に民を守らない」という言葉は、正鵠を射ていると言えます。サハリンに限らず、敗戦時の満州(現在の中国東北部)でも、沖縄でも国家は国民を守ることを放棄した事実を、私たちは忘れてはなりません。国には、そういう後ろめたさがあるから、今さらのように「愛国心教育」だのと言うのではないでしょうか。慰安婦問題と同様に、中国に置き去りにした人々やサハリンに置き去りにされた人々への救済措置などは未解決のままになっており、戦後70年を過ぎてもなお日本政府の戦争責任は果たされたとは言いがたい状況です。








最終更新日  2016年07月18日 19時52分13秒
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2016年07月17日
テーマ:ニュース(79756)
カテゴリ:歴史認識
 日本テレビの南京大虐殺を描いたドキュメンタリー番組が、ギャラクシー賞テレビ部門優秀賞を獲得したことについて、2日の「しんぶん赤旗」は次のように報道している;


 放送界に政権への「何度(そんたく)」の空気が伝わるなか、困難なテーマに果敢に挑んだドキュメンタリー番組の数々があります。歴史や戦争、差別・・・。制作スタッフが番組に込めた熱い思いに迫るシリーズ「放送の現場から」を始めます。第1回は日本テレビ「NNNドキュメント’15 シリーズ戦後70年『南京事件兵士たちの遺言』」です。

 「南京事件」。1937年12月、日本軍が中国・南京攻略戦と占領時に、中国軍民に対して行った虐殺事件です。右派勢力が「虐殺はなかった」「中国のデマ」と激しく攻撃する題材を、日本テレビが「戦後70年シリ-ズ」の一つとして放送したのは、昨年10月4日でした。

 「視聴者からどんな意見が来るのか、正直構えていました」と清水潔チーフディレクター(58)。しかし、続々と寄せられた感想は、「今こそ必要なすばらしい番組」(57歳男性)、「制作者の方の意気込みと気迫が伝わってきて目が離せませんでした」(47歳女性)・・・。9割以上が肯定的だったと言います。

  ●   ●

 各局が戦後70年の企画に取り組む中、清水さんが「南京」をあえて選んだのは、「日本は”被害”の面だけを訴えていていいのか」という思いでした。「自虐史観だと言う人もいますが、近隣諸国への加害者的な部分を描かなければ、放送の公共性や公平性は保てない。南京事件を調査報道の手法で放送しようとスタートしました」

 清水さんは、入念な下調べを重ねました。南京事件関連の書籍を「家の床が沈むほど」買い込み、自費で南京へ事前取材。「『虐殺はなかった』というのは無理」だとの結論に達します。では、どれぐらいの規模だったのか、計画性はあったのか-。福島県の歴史研究家・小野撃一氏が収集した31冊の『陣中日記』に注目します。

 「捕虜セシ支那兵ノ一部五千名ヲ・・・機関銃ヲモッテ射殺ス」。日記には、射殺後に銃剣で刺し、石油で焼いて揚子江(長江)に流した模様が生々しくつづられています。捕虜を川沿いに半円に囲んで射殺した場面が措かれたスケッチは、CGを使って再現しました。

 「77年前の事件を証明するのは困難ですが、一つでも間違うと、『なかった』ことにされてしまう」と清水さん。31冊の記述に矛盾はないかを全部すり合わせ、部隊の行動なども現地取材を含め裏付けを徹底しました。

「僕ら報道の人間は、事実は何かを懸命に探すのが仕事。100取材したとして放送できたのは1ぐらいでしょうか」

  ●   ●

 番組は「日本人は多くの命を奪ったという一面も忘れてはなりません」というナレーションで終わります。清水さんらスタッフが、視聴者に一番問いかけたい言葉でもありました。「もし、広島の平和記念資料館でアメリカ人が『原爆投下はなかった』と言ったら、私たちはどう思うでしょうか。歴史の事実を踏まえたうえで未来を考える、それこそが国益だし、この国を守ることだと僕は思います」
(佐藤研二)
(随時掲載)


▲南京事件にかかわった兵士が記した『陣中日記』を緻密に検証。1937年12月16、17の両日を中心に、虐殺の実態を明らかにします。第53回ギャラクシー賞テレビ部門優秀賞、放送人グランプリ2016準グランプリはじめ、放送各賞を受賞。番組は動画配信サービス「Hulu(フールー)」で配信中。


2016年7月2日 「しんぶん赤旗」 14ページ「放送の現場から-南京事件兵士たちの遺言」から引用

 日本テレビといえば、読売新聞の系列で辛坊治郎がキャスターを勤めるような政府・自民党をヨイショする番組ばかり放送していると思ったら、中にはこういう骨のある番組を作るスタッフもいたとは驚きです。他の雑誌の取材に対し、政策スタッフは「忖度のソの字もないような番組を作りたいと常日頃考えていた」と、なかなか頼もしい発言をしてます。戦争といえば、広島・長崎の原爆のことばかりでは、まるで日本は単なる被害者であるかのような論調になるから、加害の事実もしっかり国民として認識しなければなりません。そういうことを国民に訴えて初めて放送の公共性や公平性を保つことができるという発言は大変重要です。私が思うに、安倍首相や高市大臣、日本会議の諸君にしてみれば、これは明らかな「偏向番組だ」ということになるのではないか、その辺に大変興味を感じます。








最終更新日  2016年07月17日 21時40分18秒
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2016年07月12日
テーマ:ニュース(79756)
カテゴリ:歴史認識
 戦時中に日本軍慰安婦にされた中国人女性の証言をまとめた映画の公開が始まった本年5月に、「しんぶん赤旗」は次のような紹介記事を掲載した;


 中国で日本軍「慰安婦」の被害女性を撮り続けてきた映画監督の班忠義さんが『太陽がほしい-「慰安婦」とよばれた中国女性たちの人生の記録』を出版しました。同名のドキュメンタリー映画のシナリオを中心にまとめたものです。被害女性に寄り添う思いとは-。<本吉頁希記者>


 班さんが中国人「慰安婦」被害者の存在を初めて知ったのは1992年12月でした。きっかけは「日本の戦後補償に関する国際公聴会」(東京)に、中国山西省から参加していた万愛花さん(2013年死去)との出会いでした。

 万さんは10代で日本軍に拉致され、ヤオトン(横穴式住居)に監禁されました。拷問と性暴力を繰り返し受け、背中や骨盤を骨折。体が変形し、身長が20センチほど縮む被害を受けました。戦後、絶望し、殺虫剤を飲んで自殺を図ったこともあります。

 「私は日本軍のせいで家も何もかも失った。うらみを聞いてもらうため日本に来た」

 万さんは公聴会でこう訴えた直後、失神し、演壇に倒れました。

 班さんはこの光景に「圧迫された女性の姿」を見た思いでした。当時、日本に留学していた班さんは、万さんと出会った衝撃が忘れられませんでした。95年8月、真相を調べるため山西省の省都・太原に住む万さんに会いに行きました。

 それから約20年間、斑さんは毎年のように万さんや他の被害女性を訪ね、聞き取り調査や医療費支援などをしてきました。その数80余人に上ります。

 映画「太陽がほしい」には7人の被害女性が登場します。班さんは「多くの女性が恐怖の情景と被害の瞬間を鮮明に語る一方、時期や場所など客観的な情報は不鮮明だった」と振り返ります。

 劉面換さん(12年死去)は銃床で左肩を強打され、日本軍の拠点に運行されました。劉さんは当時についてこう証言しました。

 「真っ暗なヤオトンに監禁され、用をたすときだけ外に出られた。食べていないので何も出ないが、外に出たいのでトイレに行って背をのばす。太陽の光がほしかった」

 班さんはいいます。

 「『太陽がほしい』というタイトルには、苦しい監禁状態のなかで発した『太陽の光を浴びたい』という劉さんの心の叫びと、日本政府を相手に裁判をたたかった『正義を取り戻す光がほしい』という万さんの心情がある」

◆正しい歴史認識

 13年夏、斑さんが危篤の万さんを見舞うと、万さんはうっすらと目を聞け、班さんに消え入るような声で話しました。

 「(日本政府は)罪を認め、頭を下げて賠償をするべきです。・・・何といっても真理がほしい」

 被害者の願いは、日本が加害の事実を明確に認めることです。ところが13年、当時の橋下徹大阪市長が「慰安婦制度は必要」と暴言を吐きました。翌年には過去の「慰安婦」報道の一部を取り消した朝日新聞を攻撃し、歴史を偽造する動きが起きました。

 「歴史を覆すことは新たな犯罪」と危惧した班さん。20年かけて撮りためた400時間に及ぶ証言を1本の映画にすることを決意し、製作支援を日本の市民に呼びかけました。映画は15年夏に完成し、現在800人近くが賛同。上映会は全国に広がっています。

 映画で日本軍の元兵士も証言しています。登場する被害女性は全員亡く在りました。

 班さんは「当時の話に触れるたび、手が震えるほどの恐怖に襲われるおばあさんもいた。多くが健康被害を訴えていた。映画を通して事実を明らかにし、若い人たちが正しい歴史認識をもつ手助けになれば」と話します。

    ◇

 自主上映の問い合わせ=「ドキュメンタリー映画会・人間の手」電話080(9374)1294

各地の上映予定
▼5月15日=ニ松江市市民活動センター。監督トークあり。主催=アムネスティ・インターナショナル松江グループ
▼20日=東京・牛込箪笥地域センター。監督トーク。主催=上映実行委員会
▼21日ニ=つくばイノベーションプラザ。監督トーク。主催=実行番員会
▼6月11日=北九州市生涯学習総合センター。監督トーク。主催=日本軍「慰安婦」問題解決のために行動する会・北九州
▼9月10日=盛岡市プラザおでって。主催=岩手からアジアを考える会
▼詳しくは human-hands.com


はん・ちゅうぎ=ドキュメンタリー映画監督。1958年、中国・撫順市生まれ。『曽おばさんの海』(朝日新聞出版)で第7回ノンフィクション朝日ジャーナル大賀受贅。監督作品に「チョンおばさんのクニ」「ガイサンシーとその姉妹たち」「亡命」


2016年5月15日 「しんぶん赤旗」日曜版 29ページ「中国人『慰安婦』の苦しみ撮り続け20年」から引用

 この度の映画を作成した班忠義氏は、戦争が終わって13年後に生まれた人で、たまたま日本に留学中に、東京で慰安婦被害にあった女性が訴える姿を見て、証言を記録する映画を撮ることになったとのことで、92年と言えば韓国の金学順氏が実名で名乗り出た頃ですから、金氏の勇気ある行動がなかったら、慰安婦問題に関する一切の記憶がうやむやの内に消滅してしまったかも知れません。そういう意味では、金学順氏の功績は大きいと言えます。また、日本政府も河野談話で国際社会に約束したように、慰安婦問題のような人権問題を二度と繰り返すことのないように、教育を通じて過去の事実を子孫に継承する努力に取り組むべきです。この度の班忠義氏の映画も、教材の一つとして大変価値のある映画です。









最終更新日  2016年07月12日 19時28分32秒
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2016年07月07日
テーマ:ニュース(79756)
カテゴリ:歴史認識
 沖縄の戦没者追悼式に出席した安倍首相と翁長沖縄県知事を比較して、ノンフィクションライターの渡瀬夏彦氏は、1日の「週刊金曜日」に次のように書いている;


「沖縄全戦没者追悼式」(6月23日目)の式典会場には行かない。この国の首相によるうわべだけの哀悼の言葉を、同じ場にいて聞くのが精神的苦痛以外の何ものでもないからである。

 式典で黙とうを捧げる正午には、「魂魄(こんぱく)の塔」の前か、付近の海辺で合掌する。隣接する広場での国際反戦集会にも参加しやすい。

 魂魄の塔は、沖縄戦後その一帯に散乱していた無数の身元不明の遺骨を一カ所に集めて納骨した、最初の供養塔である。

 その場で祈るとき、「加害者」としてのヤマトウンチュの罪も、きちんと思い起こすことができる。

◆深刻な認識の差

 しかし一方では、地元紙の公式サイトの録画配信で、沖縄県知事の平和宣言と来賓としての首相の挨拶などを必ずチェックする。

 そうして今年も、沖縄県と日本政府の問の、深刻な認識の差を認めざるを得なかった。

 翁長雄志(おながたけし)知事は平和宣言の中で、先頃の凶悪事件(元海兵隊員による女性会社員殺害遺棄事件)に触れ、国土面積の0・6%の沖縄に米軍専用施設の74%という広大な米軍基地が押し付けられている現実とを関連付けて語り、強い憤りを示した。はたして沖縄県民には「日本国憲法が国民に保障する自由、平等、人権、そして民主主義」が保障されているのかと疑念を呈し、日米地位協定の抜本的見直しの要求や、辺野古新基地建設反対を改めて明言し、さらには「海兵隊の削減」という文言も平和宣言の中に初めて盛り込んだ。これは、間違いなく5月26日の県議会全会一致決議や6月19日の県民大会でのアピールを受け止めてのことである。

 他方、安倍晋三首相はどうだったろうか。辺野古問題には一切触れず、日米地位協定についても、「米国とは、地位協定上の軍属の扱いの見直しを行なうことで合意し、現在、米国との詰めの交渉を行なっている」などと「焼け石に水」にさえならぬ小手先の交渉を、もったいぶって述べた。沖縄県民の心の痛みを、これっぽっちも理解しようとしていない。

 式典に参加し、国際反戦集会に立ち寄った糸数慶子参議院議員もこう言う。「本当は、首相の軽い言葉を聞きたくないんですが・・・、追悼の気持ちを表すために出席しました。翁長知事は、しっかりと日米地位協定の抜本改定を訴えて大きな拍手を浴び、首粕への拍手はまばらでした」

 翁長知事就任後のこの1年半の出来事が、脳裡を駆け巡る。

 安倍首相や菅義偉(すがよしひで)官房長官は、2014年12月の翁長知事誕生後の就任の挨拶(あいさつ)さえ、約半年も拒絶した。知事と政府首脳の初会談が実現したのは、15年4月から5月。

 実際に会談が実現してみると、政治家としての言葉の重み、説得力の「差」が露(あら)わになった。地方の首長である翁長氏のほうが、中央政府のトップの安倍氏らよりも、政治家として遥かに「格上」に見えたのだ。

 それは先の「戦争体験」をどのように噛みしめて政治に臨んでいるか、その違いからくる存在感の差ではないかとわたしは思う。

 沖縄の多くの人々が無理やり体験させられた凄惨極まリない沖縄戦。その痛み、苦しみ、悲しみ、憤り、やるせなさ。あるいは生き延びてしまったことの罪悪感。こんな思いは二度と本当にしたくない、という切実な願い、心底平和を求めてやまない祈りの強さ。それが沖縄の民意の背景にあり、翁長知事は、それを背負ってマツリゴトに臨んでいる。

 しかし安倍首相や菅官房長官らには、人の「痛み」に対する想像力が足りない。いつでも口だけは「県民の皆さんの気持ちに寄り添って基地負担軽減に取り組む」などと言うのだが、あらゆる選挙で明確に示してきた「辺野古新基地は許さない」という県民の思いさえ、一顧だにせず、踏みにじる。

 この国の政府は、沖縄の人々から強烈に懲らしめを受ける日が来る。そう思えてならない。

わたせ なつひこ・ノンフィクションライター。


2016年7月1日 「週刊金曜日」1094号 29ページ「政府が沖縄に懲らしめられる日が来る」から引用

 沖縄県は面積でも人口でも日本の中でそんなに大きな比率を占めるわけではありませんが、先の大戦を終了させるための時間稼ぎで沖縄県民に多大な犠牲を強いたという歴史は重要視されるべきです。それどころか、戦後の安全保障のためと称して米軍基地の74%を押しつけているという事態も、補助金を出して解消できる問題では無いということを、政府は理解する必要があります。沖縄の人々が日本政府を懲らしめに立ち上がる前に、政府は沖縄県と誠意をもって話し合いを始めるべきです。









最終更新日  2016年07月09日 14時14分35秒
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2016年06月22日
テーマ:ニュース(79756)
カテゴリ:歴史認識
 皇室と国民は強い絆で結ばれているとする日本会議の主張はフィクションであると、愛知県・日吉神社の宮司、三輪隆裕氏が、5月27日の「週刊金曜日」で解説している;


日本会議は、「伝統」こそがあらゆる価値の中心と見なす。改憲も、「現行憲法は日本の伝統に合わない」からと言う。だがその「伝統」とは、神道では異端である明治時代の国家神道なのだ。


-日本会議は、「皇室と国民の強い絆」は「千古の昔から変わることはありません」と主張し、これが「伝統」だとしています。日本会議と密接な宗教法人の神社本庁もそうですが、天皇の価値を強調し、「国民統合の中心」に置こうとするのは、「伝統」だから、という論理なのですが。

 いや、それは「伝統」ではありません。江戸時代にはごく一部の知識階級を除き、「京都に天皇様がおられる」ということを庶民が知っていたか、はなはだ疑問です。本来神社とは地域の平和と繁栄を祈るためのもので、この日吉神社でいえば、江戸時代は氏子の地域と尾張国の繁栄を神様に祈願していました。明治になって、日本という統一国家ができたので、その象徴として「天皇」を据えたのです。


-「天皇のために死んだ」とされる人々だけを祀(まつ)る靖国神社は、「伝統」でしょうか。

 西欧的な一神教では「神と悪魔」がいて、敵と味方を峻別(しゅんペつ)します。しかし多神教の神道は、もともとそうしたことをしません。特に古代から日本では御霊会が行なわれており、非業の死を遂げた人々の霊を手厚く弔う習慣がありました。しかし、西欧文明を受容し、富国強兵を目指した当時の日本は、国のために死んだ人々を神々として祀り、戦死を美徳とする必要があったのです。特に戊辰(ぼしん)戦争で戦った幕府方の人々は靖国に祀られていませんが、彼らだって「国のために戦った」と思っていますよ。

日記160622.jpg

-なぜ神道にとって伝統でないものが、「伝統」とされたのですか。

 そのポイントは、明治という時代にあります。江戸時代からの神官たちは、明治になって、社領を政府に取り上げられ、一部を除き、廃業してしまいました。そして神社は、土地も建物も国有化され、宗教から外されたのです。新しく神官となった人々にとっては、明治が最初の時代で、彼らは準国家公務員ですから、明治は栄光の時代でした。だから、明治が出発点となったのです。ところで、薩摩藩と長州藩は幕末に最初「尊王」「攘夷(じょうい)」を唱えましたが、実際に外国と一戦を交えて、とてもかなわをいことがわかった。そこで新政府を作り、開国して海外から技術やシステムを取り入れ、国が強大になったらいつか「攘夷」をやろうと思ったのです。そして欧米列強と肩を並べようとしたのが、「大東亜戦争」であったとも言えます。


◆国家神道は伝統に非ず

-しかし明治時代に強くなったのだから、日本会議のような右派は「栄光の明治」と呼んでいます。

 たまたま日清・日露戦争で勝てただけです。私に言わせれば、明治政府は文化と宗教の破壊者です。彼らは開国した以上、それまで禁教だったキリスト教の布教を認めざるを得ませんでした。一方で、日本がキリスト教国家になると困るので、防波堤になるものを考えた。そこで、神道を宗教から外して、国民の精神を昂揚(こうよう)させるための手段とし、神社から宗教色を抜くために、仏教的な色彩を取り除こうとしたのです。これが文化破壊です。


-明治維新後の廃仏毀釈(はいぷつきしやく)ですね。

 明治政府が考えた対応策が、「神社は宗教ではない。国家の儀式をつかさどる機関である」という、「国家の宗祀」理論です。宗教ではなく国家の儀礼だから国民に強制でき、同時にキリスト教に対抗できる西欧の「市民宗教」的な機能を神道に持たせようと考えた。そこでは神社は国営化され、建物も敷地も国家のものになりました。神社を管理するのは内務省、宗教を管理するのは文部省と区分された。そして「宗教ではない」からと、神社の宗教行為まで禁止したのです。儀式だけやれと。布教したらダメで、それに代わって国家が国民の教化のために作ったのが、「教育勅語」だったのです。しかしこのように一つの価値観と規律で国民をしばる、などという発想は、多神教の神道にはありません。


-そうすると、国家神道は、神道の歴史ではきわめて特殊だと。

 それが、今の神社本庁には理解できないのですね。戦後、占領軍の「神道指令」で国家神道は解体されました。その後、神社は生き残るために宗教法人・神社本庁として再出発しますが、当時の神道界のリーダーは、ほとんど明治時代に神主になった人だったため、それ以前の本来の神道ではなく、明治政府が作った神道が「伝統」だと思ってしまった。その感覚が、戦後70年経ってもまだ残っているのです。


-だから今日も、過度に「天皇の価値」を強調するのでしょうか。

 天皇は国民を思い、国民は天皇を敬愛し、大切にするという、天皇を頂点とした一種の家族主義的国家観、「国体」観が明治以降、国民の意識に植え付けられましたからね。しかし、家族主義というのは、せいぜい通用するのは家庭内とか友人関係、つまり「顔」の見える範囲の社会です。それを国家のような巨大な社会まで拡大したら、危険ですよ。なぜなら近代の民主主義の前掟は、「人間を信用しない」ということです。だから人々が契約を結び、違反したら法で裁かれる。法治社会です。どんなに素晴らしい政治家でも、常に人々にチェックされます。しかし、親子間係は、契約で結ばれていますか。違うでしょう。家族主義を国家まで拡大すると、権威主義や全体主義となります。「良いリーダーの元に素直な人々が結集して良い社会を作る」。これが一番危険です。戦前のファシズム、あるいは共産主義もそうです。カルト宗教なんかも同じです。今のイスラム原理主義もそうです。民族派の人たちが主張するような社会になったら、また昔の全体主義に逆戻りしますよ。


◆神社の改憲署名に違和感

-そうした「国体」観を破壊した占領軍が作ったのだから、現行憲法は改憲しろ、というのが日本会議と神社本庁です。今年の正月には多くの神社で、日本会議系の「美しい日本の憲法をつくる国民の会」の改憲署名用紙が置かれていました。

 人々は神社にお参りに来たのであって、改憲署名には違和感を覚えたのではないですか。しかし、ほとんどの神社の宮司は、本庁から書類が来ているのでそのようにしているだけです。


-まったく、意外ですね。

 それが、全体主義の怖さなのです。個々人が自分の頭で考えず、「組織から言われたから」と引きずられる。主体性がない。


-改憲をどう考えていますか。

 時代に合わせて改憲をするのはよいことです。しかし、方向性が問題です。現在の世界で、人類社会の基本的価値として認められている、民主主義、基本的人権、自由で平等な社会、経済の市場システムといったものをより強く育んでいけるような憲法なら変えてもよい。しかし、日本の独自性とか、妙な伝統とかいったものを振りかざして、現代の人類社会が到達した価値を捨ててしまう可能性があるような憲法なら、変えないほうがよい。日本会議の改憲案は世界の共通価値と離れ、時代錯誤の原理主義と権威主義に満ちている。私は、自身のブログで詳細に論じています。


-三輪さんのような考えは、神社界では異端なのですか。

 私自身、右でも左でもないリベラリストだと思っていて、似たような考えの人は他にもいますよ。

聞き手・まとめ/成澤宗男(編集部)


2016年5月27日「週刊金曜日」 1089号 20ページ「明治時代の天皇崇拝は神道の長い歴史では特殊」から引用

 西欧の一神教と違って、日本の神道は元々多神教であるから、靖国神社が初め天皇のために戦って死んだ者のみを祀り、幕府軍側の死者を除外したというのは、わが国の伝統にそぐわない新興宗教であったこと示しており、これは多くの専門家が指摘するところです。また、家族主義というのは家族の間にのみ通用するもので、これが国家体制となると、それは全体主義であるとの指摘も、現代の人々にとっては重要なポイントと思われます。70年前に敗戦を迎えるまでは、日本人はみな天皇の赤子であって、それを拒否する者は「非国民」のレッテルを貼られて配給米の受領も拒否されるという残酷な社会だった。そういう事態を二度と招かないように、極右の日本会議の動向には注意する必要があります。










最終更新日  2016年06月22日 20時24分37秒
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2016年06月13日
テーマ:ニュース(79756)
カテゴリ:歴史認識
 赤旗編集局編「語り継ぐ 日本の侵略と植民地支配」(新日本出版社刊)について、5月22日の「しんぶん赤旗」は次のような書評を掲載した;


 本の宣伝コピーにある「過去の過ちと真撃(しんし)に向き合ってこそ未来がある」との言葉が、アジアの国々に対して、敗戦後70年の日本がとるべき姿勢の全てを物語っている。

 「前事不忘 後事之師」。現代を生きる日本人一人一人が、曽祖父母・祖父母の時代に、アジアの国々に対し何をしてきたのかを忘れることなく、近代の歴史を見つめ反省してこそ、平和な未来への展望が開けてくる。

 若い記者たちが当事者しか語り得ない戦場での事実、被害と加害、その両方に光を当てて聴き取り、記録された証言が並んでいる。「庶民の語る歴史」、オーラルヒストリーの「重い言葉」が詰まっている。「日中アヘン戦争」「ソ満国境要塞(ようさい)建設の強制労働」「重慶爆撃による被害」など、これまでの歴史書ではあまり伝えられなかった貴重な証言もある。

日記160613.jpg

 戦争は謀略で始まる。戦争をやりたくてたまらない老人・金持ちが戦争を始め、若者や子ども、女性が犠牲になる。戦争を始めた老人・金持ちは、誰も責任を問われない。関東軍による「満洲事変」しかり、ブッシュによる「イラク戦争」しかり。

 記事の終わりに略年表が添えられてあったり、図版や地図も多く、視覚的にも理解を深める工夫がなされている。さらに、「大日本帝国の侵略地図・近代侵略年表」が冒頭に備えられていたならば、近代史を学ぶ若い読者の理解がより一層深まるのではないだろうか。

 「侵略の歴史」「戦争による負の遺産」を学ぶ書として、この本を多くの若者にぜひとも読んでもらいたい。過去の過ちを真摯に見つめ、歴史の真実に迫る、導きの良書である。
(今井雅巳・高校講師)


赤旗編集局:阿部活士、栗原千鶴、小林拓也、本田祐典、本吉真希、若林明記者ら


2016年5月22日 「しんぶん赤旗」日曜版 29ページ「戦争による負の遺産を学ぶ」から引用

 敗戦から70年も経ってしまって、戦争を体験した人たちは年々少なくなっていく今日、体験者の記憶を記録に残すことは大変貴重な作業になりました。また、後世の人たちも昔どんなことがあったのか、具体的に認識する上で役に立つ資料となるので、今後も精力的に聞き取り調査を行い、こういう本をどんどん出版してほしいと思います。








最終更新日  2016年06月13日 16時44分43秒
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2016年05月22日
テーマ:ニュース(79756)
カテゴリ:歴史認識
 原発の建設計画を住民パワーで阻止したという輝かしい歴史を持つ新潟県の住民は、この度建設反対の住民投票から20年という節目に、記念行事を計画していると、18日の東京新聞が報道している;


 旧巻町(現在の新潟市西蒲区)の東北電力巻原発建設を巡り、「反対」が多数を占めた住民投票から8月で20年となるのを機に、住民有志ら5人が、写真や新聞記事などで当時を振り返る催しを計画している。メンバーは「一つの区切りとして、住民投票という民主主義の原点が巻町にあったことを後世に伝えたい」と話す。


 催しは郷土史家の斉藤文夫さん(83)らが企画。7月31日~8月21日、西蒲区岩室温泉の観光施設「いわむろや」で開かれる。8月7、14の両日には同区福井の旧庄屋佐藤家で、これからの巻地域を考えるシンポジウムなども予定されている。

 展示されるのは、原発計画が明らかになった1969年から96年の住民投票までの間に、斉藤さん自らが撮影した写真や新潟日報の記事など。建設予定地だった角海浜の住民が離村する様子や原発反対の住民が議場で座り込みをした写真など約150点を紹介し、建設推進派と反対派双方が作ったチラシも展示する。

 斉藤さんは「もう10年先だと、われわれが年齢的に見ても厳しく、後世に伝えることはできない。20年の節目として原発建設計画でまちが揺れた状況を写真や記事から感じ取ってほしい」と話している。

<巻原発建設計画> 東北電力が1971年に計画を正式発表した。国の電源開発基本計画に組み込まれ、同社は建設予定地約205万平方メートルのうち約96%を買収した。だが、95年の住民による自主管理の住民投票では「建設反対」が「賛成」を大きく上回った。96年の条例に基づく住民投票(投票率88.3%)でも「建設賛成」の7904票に対し、「反対」は1万2478票に上った。99年には当時の町長が炉心予定地に近い町有地を「民意尊重派」の住民に売却した。これに異を唱えた原発推進の町民らが住民訴訟を起こしたが2003年に最高裁で退けられ、同社は計画を撤回した。


2016年5月18日 東京新聞朝刊 11版S 25ページ「『原発ノー』足跡後世に」から引用

 原発反対派は自主管理の住民投票でも条例に基づく住民投票でも勝利し、町長選挙でも反対派町長を当選させてなお、政府の後押しを受けた大企業の圧力に負けそうだったところ、危ういところで町長が炉心予定地だった町有地を「民意尊重派」の住民に売却するという「はなれ技」を使って、ようやく建設計画を撃退したという感動的な歴史の足跡と言えるもので、新潟市民のみならず全国民が、民主主義とはこうして守るものだという原点としての巻町の歴史に学ぶべきと思います。


※ お断り ※
私の手違いにより、23日の「日記」を先に書き込み、22日の「日記」を後から書き込むことになりました。ご不便をかけますが、ご了承下さい。








最終更新日  2016年05月24日 16時44分36秒
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2016年05月11日
テーマ:ニュース(79756)
カテゴリ:歴史認識
 インパクト出版会から刊行された『沖縄戦場の記憶と「慰安所」』について、フリーライターの山城紀子(やましろのりこ)氏は8日の「週刊金曜日」に、次のように書評を書いている;


 沖縄には「慰安婦」に関連する3つの碑がある。不法滞在者になった元「従軍慰安婦」に対して、1975年、入国管理局が在留特別許可を出したとする新聞報道で存在が知られることになったぺボンギさん(91年死去)。97年、彼女が「慰安所」生活を送った渡嘉敷(とかしき)にアリランの碑が建った。また「慰安婦」被害者に対する碑文を刻んだ「恨(はん)の碑」が読谷村(よみたんそん)に。そして、宮古島にも「慰安婦」を見た住民の提案を機に2008年、「慰安婦のための碑」(「アリランの碑」とアジア太平洋戦争期に「慰安婦」とされた女性たちの12カ国の言語で碑文を刻んだ碑「女たちへ」)が建てられた。

 2月半ば、宮古島を訪ねた。本書に登場する与那覇博敏(よなはひろとし)さん(82歳)に初めてお会いした。子どもの頃、「慰安婦」にされた女性たちに会った人である。「坊や、坊や」と与那覇さんを呼んだ女性たちの話をしてくれた。与那覇さんの家の前を通ってツガガー(宮古の方言で井戸)で洗濯をするため行ったり来たりを繰り返していたという。クース(唐辛子)をあげて喜ばれたこと、軍主催の演芸会の時に女性たちが歌った「アリラン」の歌を覚えたこと、大人になって女性たちが宮古にいたことの意味を知ったことなどを語ってくれた。自宅そばの大きな石は、彼女たちが洗濯の行き帰りにいつも休んでいた石である。

 著者は与那覇さんと会った時の様子を本書の第9章で描いている。「彼は何もない野原の中の『慰安婦』が休んだ場所にぽつんと大きな石を置き、その周りの小さな花たちに水やりをしていた。『慰安婦』たちを記憶にとどめようとしていたのである」。まさにその石が「アリランの碑」である。

 日常の暮らしの場が戦場となり、住民の4人に1人が犠牲になった沖縄では、長いこと沖縄戦の記憶が沈黙の中にあった。生存者や体験者が文字や言葉で伝えるようになったのは沖縄戦から「33回忌」を経た70年代後半からである。「性暴力」や「性被害」について語りあうのはさらに時間を必要とした。ジェンダーの視点から社会や歴史を問い直し、議論を積み重ねた90年代に入ってからである。

 44年3月に第32軍が創設されてから沖縄戦が始まるまでの1年間に、のベ145か所の慰安所が作られたことがわかっている。日本軍が配備された場所には必ずといっていいほど慰安所が設置され、日本軍の移動に伴って慰安所もまた移動した。

 本書は韓国の若い女性の学者が10年以上にわたって韓国、東京、沖縄を行き来しながら「沖縄戦」と「慰安所」を中心に聞き取り調査をしてまとめた学術書である。「陣中日誌」や市町村誌を読み込み、沖縄戦や慰安所に関する論文や書籍に目を通すなど、気の遠くなるような労に挑み、一冊の本として刊行されたことに大きな拍手を送りたい。

 住民の見た「慰安所」の記憶にこだわり続けた視点が生きている。文字を追いながら「慰安婦」にされた戦場の中の女性たちのさまざまな姿を想起させられる。兵隊と共に命がけで戦場を逃げ惑う姿、「朝鮮ピー(性器)」と蔑まれる様子、戦闘が激しくなってからは補助看護婦として働かされていたことも記憶されている。

 戦時下、そして軍隊との関わりで女や子どもに何が起こるか、「慰安婦」に出会った人たちの証言は普遍的な意味を持つ。5兆円という過去最大の防衛費予算が組まれ、安保関連法が施行されてしまった今だからこそ、手にしてほしい一冊である。

日記160511.jpg


2016年4月8日 「週刊金曜日」1083号 50ページ「住民の見た『慰安所』の記憶にこだわり続けた視点」から引用

 慰安婦問題に関する学術分野の研究は日々進歩しており、具体的な事実が次々と明らかになっているにも関わらず、日本政府の認識は河野談話を発表した時点で政府が確認した史料のみであり、その後も政府機関が保管している史料の中なら新たな史実がでてきても目を向けようとしていません。しかし、そのような姿勢では国際社会の趨勢について行けなくなりますから、やがては河野談話よりも踏み込んだ「談話」を発表しなければならない事態が到来することでしょう。その時までに、私たちは歴史と率直に向き合う能力をもった政府を用意したいものでございます。








最終更新日  2016年05月11日 18時55分52秒
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