ずっと「日本人ファースト」(20日の日記)
夏の参議院選挙で「日本人ファースト」という変な標語を吹聴した参政党が議席を大きく伸ばしたことについて、随筆家のサンドラ・ヘフェリン氏は、4日の朝日新聞で、次のように述べている: 参院選のさなかにあふれた「日本人ファースト」という言葉に違和感を覚えました。「日本人」を強調したいのなら、「日本人第一」では、と。私のような外国にもルーツのある人たちに居心地の悪さを強いる言葉の重さに比べ、発信する側の軽さを感じました。 私の父はドイツ人、母は日本人ですが、ドイツでは極右政党「ドイツのための選択肢(AfD)」が勢いを増しています。排外主義の動きは先進国で広く見られ、移民や難民流入の不満など様々な要因が指摘されています。しかし、難民の受け入れ数なども桁違いに少ない日本でなぜ、排外的な動きが起こるのか、よくわかりません。日本はずっと日本国内においては「日本人ファースト」だったのではないでしょうか。 日本の国籍法は、外国の国籍を取得すると日本の国籍を失う、としています。明治時代に定められ、今も11条1項として残っています。これは研究者など海外で仕事をする日本人や、国際結婚などにより外国に住む日本人にとって理不尽な規定です。 日本の社会は、人を「見た目」で「日本人」と「外国人」に分類しがちです。数年前に口座を作ろうと地元の信用金庫を訪ねた時のこと。日本のパスポートや印鑑を窓口で示し、手続きをしたのですが、窓口の職員は「地元にもっと近い信用金庫があるのでは」とライバル店の名を挙げ、口座を開設しようとしません。口座は作れたものの時間がかかったのは、私の見た目が「外国人ふうの顔」だったからかもしれません。 「踏み絵」を迫られることもしばしば。「あなたのアイデンティティーは」と尋ねてきた人に、「自分は日本人で同時にドイツ人」と答えてけげんな顔をされました。アイデンティティーは一つでどちらかを選ぶべきでは、と言いたげでした。 SNSに「外国人出ていけ」といった投稿をする人がいます。外国人との接点があるのでしょうか。どんな暮らしを送っているか知っているのでしょうか。よく知らず、自分の境遇への不満のはけ口として攻撃をしてはいないでしょうか。ヘイトを生む土壌には「無知」があります。 どんな属性だとかレッテルを貼るのではなく、相手を人として理解しようとする心が大切です。理解し、対話ができれば、自分も、相手も生きやすい。だれかを排除するのではなく、包摂する社会を作る努力がいま求められています。(聞き手 編集委員・豊秀一) * ドイツ出身。著書に「ドイツ人は飾らず・悩まず・さらりと老いる」、共著に「国籍のゆらぎ、たしかなわたし」など。2025年9月4日 朝日新聞朝刊 13版S 11ページ 「耕論・排外主義を考える」から「ずっと『日本人』ファースト」を引用 日本人や日本文化を大切にしたいと言うのなら「ファースト」など外来語を使わず、「日本人第一」と正しく日本語を使うべきではないか、という指摘は、多くの人々から指摘されており、参政党の「日本人や日本文化を大切に」というポーズは偽物であり、単に有権者に迎合しただけなのだということが暴露されていると思います。西欧の社会のように、異民族と国境を接していて、場合によっては容易に異民族と接触できるという環境で長年暮らした民族と違って、周囲を海で囲まれた環境で2千年も暮らしていると、人はみな、目の色も髪の色も黒いのが当たり前で、そうでない人間は「変なヤツ」だという「先入観」をもつのは、自然と言えば自然かも知れないが、現代のように文化が高度に発達して社会にあっては、私たちは、そのような野蛮な時代の「風習」(?)を脱却して、知性と教養を身に着けた「現代人」になるべきであり、政府もそのための「国民教育」を考えるべきだと思います。