マジで、邪馬壹国はココだ!
そうそう、卵かけごはん。流行ってるそうじゃーないですか!・・・・・・・阿呆ちゃうの・・・・そう思いませんか?米の旨いのもわかるし、まー卵の旨いのもあるんだろうけど、所詮、「卵かけごはん」でしょ。そー思ってました。とーころがドッコイ!事務所の近くのラーメン屋。なんとなく旨そうな店構えだったんで入ったんだけど、そこに書いてあるんですよ。「常連客のほとんどが注文する卵かけごはん、200円」そりゃー、注文しない訳にゃーイカンですよね。んで、喰いました。小ぶりのドンブリに溶いてない卵、それに鰹節と細かく刻んだチャーシュー。箸で混ぜて、パクリッ!・・・・・・・う、う、う、うめー!やるじゃないかね、「卵かけごはん」!んでね、ラーメンも旨い!旭川系の味じゃんねぇ。醤油もいいけど、塩が絶品ですばい。今度、お店紹介しますねぇ。さて、昨日酔っ払って途中断念した、邪馬壹国。今日は一気にいきます!・・・・・・多分・・・・・しかも昨日、肝心なこと間違えてるし・・・・「伊都国」から「不弥国」は東南じゃなくて東でした・・・・「伊都国」「糸島半島」と言いましたが、定説では糸島の南部、「前原」あたりとされてます。まー妥当な線でしょうな。んでそこから東へ100里、約7,5キロ。姪浜あたりが、「不弥国」と言えるでしょう。前述の通り、「不弥国」から「邪馬壹国」までの国間距離0であるならば、邪馬壹国は姪浜を玄関として、南に広がる地域。それは恐らく、現在の博多湾を前にした平野部とその周辺丘陵部の一帯だ!それは定説では「奴国」とされている地域だ。九州説の「急所」と言われていたひとつに、人口問題がありました。九州でもっとも人口が密集しているであろう、博多湾岸が人口2万人の「奴国」なんだから、人口7万人の邪馬壹国が九州である訳がない!これが近畿説論者の言い分だったんです。ところが博多湾岸が邪馬壹国であるなら、この言い分は根底から崩れますね。冷静に考えてみれば、邪馬壹国を九州と考えるのであれば、文化の流入地であり、人が一番暮らしやすいと思われる博多湾岸が邪馬壹国であることが一番シックリきます。三国志の魏志倭人伝を改定することなく作者の陳寿を信じて、何の先入観もなく読み進んでいくと、その帰結はここにしかなり得ない。これが、文献学の終着点です。さて問題は、この帰結が考古学的に、また地名的歴史的に整合性があるのか?この問題です。もうすこし、この邪馬壹国問題を分析してみます。・・・・・卑弥呼ちゃん、つかまえたぁ・・・・チュッ!・・・・・ん???ゲゲ、嫁素盞嗚じゃん・・・・・アッチいけー!明日は仕事を休みます。オヤジの生命保険の保険金請求や、もろもろの名義変更、遺族年金などの手続きをやらなくちゃなんないんです。お袋もだいぶ元気になってきました。でもまだ、夜一人ではいられないようです。6日からずっと実家に泊まってます。おかげで嫁素盞嗚とケンカせずに済んでます・・・・SEE YOU NEXT TIME