素盞嗚(スサノオ)の日本古代史

2005/01/12(水)09:47

間違えだらけの日本古代史VOL.2

古代史レポート(301)

いきなり3日もさぼってしまいました。反省・・・ 気を取り直して、前回のつづきを書き込みます。 岩波文庫の「旧唐書」の解説を読むと、概略以下の2点のように言っています。 1)「旧唐書」は誤字が多く、あてにならない 2)7世紀の日本は蘇我氏の暗殺、白村江の戦い、壬申の乱など、  混乱期であり、当時の中国は正しく日本を認識できなかった。 ゆえに旧唐書の記事は信用できない。だから間違えてわが国を「倭国」と「日本国」と分けて記載してしまった。 このように書いてあります。はたしてそれでいいのでしょうか。分析してみましょう。 1)について たしかに旧唐書は誤字・脱字と思われるものが多いのですが、これは原文に間違えがあるというよりは、後世書写する際に誤記・誤写したと考えられるものが多いのです。ですのでこれをもって「不信の書」のレッテルを貼ることはできません。しかも隣国の統一国家が1国だったのか2国だったかの認識は「誤記」などとはまったく次元が違うといえましょう。 2)について たしかに7世紀の日本は混乱期であり、謎の多い世紀であります。現代のような情報収集能力もなかった時代の中で外国の正しい情報をつかむことは難しかったでしょう。しかしこの時代の中国と日本は遣唐使を通じ、かなり正確な情報を交換した時代でもあります。しかも717年の遣唐使の中には阿部仲麻呂が派遣されており、彼はその後日本に帰らず、中国で政治的実力を発揮し、時の唐政府とも言うべきところで活躍していました。もし当時の日本がただ「倭」から「日本」に国号を変えただけなら、当然仲麻呂はそれを皆に語ったでしょうし、ましてや2国が存在し、征服・被征服の関係にあればそれも語っていたはずです。いかに隣国が混乱していようとも、その国が1国なのか2国なのか、まともな理性で考えれば間違えるなどありえない、と思います。 いったい今までの研究者を何をしていたのでしょうか? 次回は過去の研究者について書き込んでいきます。 ここまでのことでご感想・ご批判等あれば是非ご連絡ください。

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