512821 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

素盞嗚(スサノオ)の日本古代史

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

Profile

素盞嗚

素盞嗚

Category

Archives

Nov , 2024
Oct , 2024
Sep , 2024
Aug , 2024
Jul , 2024

Keyword Search

▼キーワード検索

Jan 21, 2005
XML
テーマ:日本の歴史(1071)
カテゴリ:古代史レポート
今日は愛車に中でジョン・リー・フッカーのブギを満喫しました。傑作ブギー・チレンを大音量で聴くと、ジョンが足を踏み鳴らすストンピングが目に浮かんできます。
思わずボクも足踏み・・・
あぶないって、運転中なんだから。
このオッサンのセミアコから刻まれるリフがたまりましぇん。
ジョン・リー・フッカー

さて、中国文献からの日本古代史の検証も後半に入ります。
最後はお馴染みの魏志倭人伝です。
その前におさらいをしましょう。

1.旧唐書では、7世紀後半の日本には2つの王朝があったと書か  れていた。
2.隋書では、7世紀前半の日本の王はアメノタリシヒコと証言
  しているが、大和朝廷で、それに符号する人物は見当たらな   い。
3.宋書では、4世紀後半から5世紀前半までの5人の日本の王
  のことが記録されているが、大和朝廷の王君と符号しない。

以上、3点の中国史書から考察すると、次の仮説が生まれます。

「4世紀後半から7世紀後半までの300年間、中国から認められていた日本の王朝は、大和朝廷以外である。」

すごいことになってきました。

では宋書以前に書かれた中国史書である魏志倭人伝では、
日本のことをどのように紹介しているのでしょう。

ザックリ言いますと、
1)帯方郡(現ソウル付近)から邪馬台国までの行程記事
2)倭国の風俗や階級について
3)女王卑弥呼が魏国に朝貢したことについてと
  中国の返礼について
  ここで「親魏倭王」と刻印された印綬をもらっています。
4)邪馬台国の敵国である狗奴国との紛争について
5)卑弥呼の死と次の女王「壱与」について

よく巷では邪馬台国論争といいますが、
1)の行程記事から、邪馬台国の位置を特定しようとすると、なぜか九州を突っ切って太平洋の彼方に出てしまうので、
魏志倭人伝の原文を改定して(南は東の間違えだ、とか一ヶ月は一日の間違えだ、というように)やれ近畿だ、やれ九州だ、と言っているのです。

ここでもやっぱり原文改定の罪を犯しているのです。

原文改定を行う場合は徹底した資料批判をし、改定するためには充分な裏づけが必要なのですが、それをやっていない。

邪馬台国はどこにあったのか、もう10年以上前ですが、
私なりに研究をしましたが、どうにもわからない。
そんな時に出会った本が「邪馬台国はなかった(朝日文庫)
古田武彦著」でした。

目からウロコとはまさにこのこと!
古田氏の徹底した資料批判から、魏志倭人伝はむちゃくちゃ信用できる、と思いました。
その結果、倭人伝は原文改定して読んではならない、
このスタンスを崩してはならないのです。

その資料批判の最大のものが「距離の単位」です。

お~もう11時半だ。そろそろ帰らなければ。
いいところですが、次回に「つづく」です。

明日は次男坊のソフトボールの練習です。
恥ずかしながら、私、コーチをしています。
子供たちの上達する姿を見るのが楽しみで、
最近はまってるんです。

それでは、SEE YOU NEXT TIME
  





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  Jan 21, 2005 11:33:28 PM
コメント(4) | コメントを書く
[古代史レポート] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.
X