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テーマ:日本の歴史(1071)
カテゴリ:古代史レポート
久しぶりに引っ張り出しました。
ポールバターフィールドブルースバンド 65年の結成ですから、 白人ブルースバンドの老舗ですね。 マイクとエルビンビショップのギターがたまりませーん。 もちろんポールのハープもいいですね。 さて予定通り、 ヤマトタケルの話しをします。 ヤマトタケルのイメージって どうなんでしょう。 戦いに明け暮れ、 無念にも、 遠征の帰りに力尽き、 死して白鳥になった・・・ こんなイメージでしょうか。 ヤマトタケルの幼名はオウスといいます。 古事記では遠征前は、 かなり気性の荒い人物として描かれています。 兄貴のオオウスが オヤジの景行天皇の言うことをきかない。 それだけの理由で兄貴を殺しちゃうんですね。 オヤジの景行天皇は そんな気性のオウスを恐れて 遠征にだすんですね。 実はこの辺の経緯は 古事記と日本書紀とで だいぶ違いがあるんです。 日本書紀には、 景行天皇が熊襲征伐から帰ってきたあと、 また熊襲が暴れているから平定して来い。 そう言われて、「熊襲の国」に行きます。 九州であることは間違えないでしょうが、 はっきり場所は書いていません。 先行した景行の熊襲征伐には、 20箇所もの地名が記載されているのに、 オウスの時はまったく書いていない。 不審ですね。 ここに大きな謎があります。 数日後に景行の遠征について 衝撃的な解説をしますので、 それまで待っててくださいね。 さて熊襲の国に入ったオウスですが、 敵の大将のカワカミタケルを打つべく 大軍で正面突破! と思いきや。 カワカミタケルが、 宴会を開いている場所に 女装で忍び込み、 まんまとカワカミタケルを 暗殺するんです。 列島の王者、 大和朝廷の天皇の息子が、 辺境の地の首領ごときを 暗殺? しかもオウス自身がですよ。 絶対変ですよね。 普通暗殺は、 弱者が強者を倒す時の戦術で、 その逆はない。 しかもこのあと もっとすごい話しが出てきます。 カワカミタケルは、 オウスの一刺しで死ななかったんです。 死の間際に 「おまえは誰だ」 「大和のオオタラシ(景行)の子、オウスだ」 「なかなかやるなぁ、 これからオレの名前の一部をとって ヤマトタケルと名乗るといいぞ」 こんなやり取りがあって、 それ以降、ヤマトタケルと名乗るんです。 うっそだろー! 下位の者が上位の者に名前を賜る、 そんなことありえませんね。 古代のことは古代の認識で 考えなければならない、 そこで、古事記・日本書紀を始め、 種々調べました。 ある訳なーい! どう考えてもありえない。 では、この説話をどのように解釈するのか? 答えは1つだけです。 熊襲が上位で、大和が下位 この帰結です。 大和テロリスト団のオウスが 強国の大将を暗殺した。 これが真相です。 では、 その意味するところは? 時代は恐らく4世紀から5世紀にかけて。 この時期、 大和は列島の王者ではない。 そして熊襲(九州)が王者だった 可能性がある。 こういうことです。 以前、邪馬台国のことを書きました。 九州の博多湾岸だと。 日本書紀の「ヤマトタケル熊襲征伐」 は地名が出てこない、 といいました。 いわゆる南九州と思いがちですが、 あえて地名を伏せたんでしょうね。 それが博多湾岸だったかは わかりませんが、 可能性はありますね。 邪馬台国の流れを汲んだ 「九州倭国」(素盞嗚命名) はこの頃までは、 間違えなく九州に存在していた。 このヤマトタケルの説話から確信します。 次回は景行天皇の話しです。 こいつぁ、ビックリしますよ。 今日は会社の仲間とこれから LETS DRINGです。 近くに飲み物もツマミも ぜーんぶ300円って ゴキゲンな店があるんです。 では行ってきまーす。 ・・・おーい、仕事は? ・・・ふん! SEE YOU NEXT TIME お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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