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素盞嗚(スサノオ)の日本古代史

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Mar 11, 2005
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テーマ:日本の歴史(1070)
カテゴリ:古代史レポート
合コンで気をよくした素盞嗚氏、
昨日の夜からこの曲を
鼻歌まじりで口ずさんでいます。
ロング トレイン ランニン♪

ドゥービー

オープニングのカッティング・・・
カイーンカカ カッカカー
カイーンカカ カッカカー(わかんないよね)

鳥肌立ちますよね。
それからあのコーラスも。


さて、古代史行きます。
今日は少し視点を変えます。

ここ2ヶ月、
日本の古代に倭国として認知されていたものは、
大和朝廷ではなく、
九州倭国だったと書き綴ってきました。

それを証明する資料として、
今日は万葉集を考察します。

それぞれの歌の考察は日を改めます。
全体の構成を見ていきます。
(中小路駿逸説を参考)

全体から眺めるとこの万葉集、
実に多くの不審があります。

第一の不審   
「防人の歌」で、
年代がわかっているものは
すべて8世紀であり、
7世紀以前の歌が全くないんです。

この時期防人はいなかったのでしょうか?
そんなはずはないです。
唐・高句麗軍と戦った
白村江の戦に敗れたのは663年です。
防人がいない訳がないんです。

第二の不審   
九州の地で作られた歌は
たくさんあるのに、
九州の人々が作った歌がほとんどないんです。

第三の不審   
万葉集の冒頭は
「雑歌」 で始まっているんです。
雑歌とは「その他の歌」という意味です。
普通は最後にくるはずなのに・・・
あまりにも不自然ですね。

第四の不審   
白村江の戦の歌がないんです。
7世紀後半の最大の事件、
多くの血が流れた最大の悲劇。
哀歌がない訳がないのに、
なぜか一遍の歌もないんです。


4つの不審を解くため、
九州倭国の存在を認めたならば、
一気にこの不審は解決しますね。

「最初に存在した歌集は、
九州倭国で作られた(仮に倭国万葉集とする)。
その雑歌としての大和の歌が
万葉集の出発点となった」
これです。

だから倭国万葉集には、
本来白村江の戦の
悲劇の名歌もたくさんあったことでしょう。

しかしその多くは
大和朝廷により抹殺されました。
また一部は、前書きに捏造を加えられ、
本来の醍醐味を半減させられてしまいました。

あまりにもむごい抹殺劇。
国史捏造だけで収まらず、
歴史的文化までをも
歪めてしまったのです。

次回からつらつらと
歌の分析もしていきたいと思っています。

明日は再び富山です。
市内のホールで「住宅ローン」セミナー。
実は素盞嗚氏の本職。
資料もバッチリ!

いざ出陣!
SEE YOU NEXT TIME








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Last updated  Mar 11, 2005 07:37:56 PM
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