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素盞嗚(スサノオ)の日本古代史

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Jun 17, 2005
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テーマ:日本の歴史(1070)
カテゴリ:古代史レポート
悲しいこともあれば、嬉しいこともある、
しかも同時に。

人は環境的「縁」によって、
「心」が動くんですね。

自己という主体と、それ以外の環境、
それは不思議な関連をもってつながってる。




・・・さー、
もう元気になりました。

沈滞からは何も創造しないから。





今日は無性に4Beetが聴きたかった。

しかもヘビーなヤツを。

だから、



エルビンジョーンズ


パワフルなおっちゃんです。


エルビンジョーンズ


かみさん、ポンニチ(日本人)なんですよね。

神田の神保町に「響」ってジャズ喫茶があったんだけど、
そこに「縁」のある女性だったらしい。

このおっちゃん、去年死んじゃったんだけど、
昔、日本に来ると、
オフレコで「響」でプレーしてたんだって。

見たかったねぇ。




さて、聖徳太子です。

この男、どうも額面通りに
受け止められないですね。

なんでこんなに名前が多いの?

この男の「肩書き」は何なの?

今回はこの男のプロフィールを
見てみましょう。


聖徳太子はいつ頃の人なのか?

生まれは西暦574年と言われています。(異説も有)

壬申の乱の100年ぐらい前、
大化の改新の約70年前です。

父親は用明天皇、
母親は穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)です。

母の穴穂部は欽明天皇と蘇我氏の娘との間にできた人です。

しかも父方のおばあちゃんも蘇我氏の娘だったんですね。



・・・すんません、わかりにくいですよね。

簡単に言うと、蘇我氏の血を多くひいた、
最も皇位に近い、
エリート中のエリートなんです。


でもなぜか皇位にはつかなかった・・・

なぜでしょう?

聖徳太子が20歳前後に皇位についたのは推古天皇でした。

本邦初の「女帝」です。

なぜ前例のない女帝を
わざわざ立てなければならなかったんでしょう?

一般に言われるのは、次の皇位継承者が成人するまでの「つなぎ」と
言われてますね。


でもこれはおかしいんです。

「つなぎ」といいながら、
推古は30年以上皇位にあるんです。

しかも本来の皇位継承者たる聖徳太子は、
推古期に「摂政」という
肩書きなんです。

「摂政」とは天皇を補佐する、
という役柄ですよね。

これって本末転倒してませんかね?



何で聖徳太子は皇位につかなかったんでしょう???

謎は深まるばかりですね。

この疑問から聖徳太子は倭王だったとか、天皇だったという説が
あるんですね。

でもやっぱり納得いかない・・・


この考察を加える前に、
聖徳太子を取り巻く、
他の「不思議」を見てみましょう。

次は4つ目の「不思議」。

太子のセガレ
「山背大兄王(やましろおおえのおう)」の死についてです。

このセガレ、
蘇我入鹿に殺されます。

というか、追い込まれて
自殺するんですが、
これも釈然としない。

おかしいんですよ。

次回書いてみます。





明日は彼女の通夜。
最後の別れをしてきます。



君はもう、生まれ変わってるんだね

君はいいヤツだったから、

もう新しく命を吹き込まれたんだね

そして

最高の笑顔でみんなを癒してくれよ



SEE YOU NEXT TIME










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Last updated  Jun 17, 2005 11:25:59 PM
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