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テーマ:日本の歴史(1070)
カテゴリ:古代史レポート
「クリーム以上」を目指したバンド。 いい根性してますよね。 まー、でも真ん中にいるオッサン。 パパラルディって クリームのプロデュースしてたんですよね。 右のデブちゃん、 何て言ったけかなぁ? クラプトンの再来、なんて言われてたけど、 どうしてるんですかね? そうは言ってもカッコよかったッスよね。 「アメリカ」って感じがよく出てますね。 さて、君が代です。 忘れた? そうですよね、 途切れ途切れですいません。 今までの話を簡単に言いますね。 「君が代」の歌の中の 「千代」「さざれ石」「イワ」「苔むす」 の固有名詞が九州の糸島・博多にちりばめられていた。 金印で有名な志賀島にある「志賀海神社」の神楽に 「君が代」が歌われている。 祭りの内容を吟味すると、「我が君」と呼ばれる人物が、 志賀海神社の祭りの日に、 博多湾岸から船でやってきたことが歌われていること。 またその人物か「安曇の君」とも呼ばれていた。 ここまで書きました。 では「安曇の君」とは誰か? 実はこの志賀海神社は、安曇族が奉仕する神社なんですね。 それなら、彼らの中のリーダーが「安曇の君」なんでしょうか? いや、どうも違うようです。 なぜなら、ここで歌われている「安曇の君」は 「外」からこの志賀島に来てますよね。 博多湾の向こうからこの志賀島に、船でやってきてますよね。 ここが重要です。 この男、「外」からやってくるのに、 志賀島の君主なんです。 それは何を意味するか? そう、博多湾岸の王者なんです。 九州倭国がまだ九州全体を制圧する前、 博多湾岸のみの王者だった時、 この歌は、歌われていた! 恐らく弥生の中頃、 1世紀前半ぐらいでしょうか? きっとその頃です。 「君が代」は 近畿天皇家とは関係のない歌だった。 素盞嗚氏はそう考えます。 ・・・・・ ・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ でも、何か引っかかる・・・・・・ 何か、 この歌も、 志賀海神社の神楽も、 縄文の匂いがしませんか? もう少し考えてみました。 でも、ちょっと呑み過ぎ・・・・ 明日から仕事だし・・・・ でももう一杯! ではでは、 SEE YOU NEXT TIME お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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