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テーマ:日本の歴史(1071)
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昨日、子素盞嗚2号のソフトボールの試合があったんですが、
たくさんのコメント、もらっちゃいました。 ありがとです。 で、きのうの試合で「クラークコーチ」が たーくさん写真を撮ってくれたんです。 子素盞嗚2号のナイスプレーのあったんで、 チット紹介させてくらはい♪ 子素盞嗚2号こと「猿飛びショーゴ」は 普段はショートなんですが、昨日は久しぶりのサード。 また、よーくボールがきました。 ボテボテのゴロをダッシュで捕球! ファーストへ「ロックオーン」! 行けぇー! 「アウッ!」 体は小さいんだけど、 結構肩は強いんですよ♪ さて、「ヤマタイコク」徹底解剖の第二章、 原文改定の最終回です。 トップページに書いた魏志倭人伝にある、 「陸行一月」を「陸行一日」と改定している説があります。 この改定を「是」とする立場は、 近畿説、九州説の両陣営とも支持者が多いんです。 しかも、その改定した「一日」が、 どこからどこまでの行程を指すか、 この点も各説まちまちなんです。 いくつか例を挙げてみましょう。 1.本居宣長 九州南部の地から上陸して、それから一日行程。 2.三宅米吉 瀬戸内海航路の上陸地から大和まで。 3.富来隆 筑後川の上流から豊前宇佐郡山戸まで。 4.肥後和男 河内または摂津から大和まで。 5.植村清二 筑後川河口から御井付近まで。 このようにこの改定により、 いろいろな説が生まれました。 そりゃー、そうですよね。 海や川から上陸して1日行程で行けるところって、 無数にありますよね。 むしろ行けないところを探すほうが難しいッスよね。 つまり彼らは、 あらかじめその目的地を決めてある 自説にとって、一番ヤッカイだった 「陸行一月」を、言わば一挙に 安全・無害な一句に変えてしまった のが、この「陸行一日」なんです。 多くに共同改定を行い、それでも飽き足らず、 「南」を「東」にして、 そしてまた「一月」を「一日」に・・・・・ これでは「ヤマタイコク」の真の所在地など 判る訳がない、そう思いませんか! しかも前述の「張政の証明」から考えれば、 この改定も否定せざるを得ませんね。 これまでの研究者はなぜここまで 「恥知らず」な改定を平然と行ってきたのでしょうか? きっとそのベースにあるには、 「古代人は頭が悪い」 この先入観だったと思います。 「倭人の報告もいい加減だっただろうし、 陳寿もどうせ夷蛮の国のことだから、 適当に書いたんだろう」と。 この先入観を持っている限り、 倭人伝を資料とした研究をすることは無意味だ。 違う切り口から研究をしたほうがいい。 少なくとも自説を倭人伝から検証するのであれば、 もっと倭人伝を徹底的に分析する必要がある、 そしてもっと原文に忠実にあるべきである、 素盞嗚氏はそう思います。 「それができないから みんな原文改定してんだろ!」 そんな声が聞こえてきますが、 素盞嗚氏は声を大にして言いたい! 「お前ら、 原文をちゃーんと 読んでないじゃん」と。 次回はから第三章「邪馬壹国」はここだ! に入ります。 うう、またお腹が痛くなってきた。 嫁素盞嗚に何か盛られてるかも・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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