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テーマ:日本の歴史(1071)
カテゴリ:古代史レポート
突然だけど、
「くさや」って知っとる? アジが一般的なんだけど、 サカナのはらわたに漬けてから干物にしたモンなんですけど、 こいつが臭い! はっきり言って「肥溜め」の匂いッス・・・・ でもね、喰うと、 旨いんです♪ 不思議なほど旨いんス。 でも、こんだけ臭いと、普通呑み屋には置いてないんだけど、 あるんですよ、 新橋の「おふくろ」に。 そこはアジじゃなくて、トビウオなんですけどね。 素盞嗚氏はいつもオーダーするんです。 んで、チョット前だけど、 ブログで知り合った方をお連れしたんですよ。 「こいつぁ、臭いんだけど、 喰ったらうんまいんですよ♪」 「そうっすか・・・」 「どうです?」 「・・・・・・・」 くさっ! 結局喰ってもらえなかった・・・・ 旨いんスけどねぇ・・・・ さて、久しぶりに「邪馬壹国」徹底解剖です。 魏志倭人伝の行程記事、 方向をそのまま読んで、 1里を約76mにする。 ここまで検証してきましたね。 ここで、確認しますと、 原文に書かれてる方向の 「南」を「東」と改定しないで原文通り読むということは、 近畿説は成り立たない、ということです。 なぜなら九州に上陸した一行が近畿に行くには、 「東」に行くしかないんですから・・・・ では、そのまま「南」と読むと、 倭人伝を信用する限りは、 卑弥呼の国は九州以外はあり得ない! この帰結になります。 ところがここで問題があるんです。 トップページの行程記事の最後のほうを読んでください。 南、「投馬国」に至る水行二十日。・・・・ 南、「邪馬壹国」に至る、女王の都する所、 水行十日陸行一月。・・・・ 九州内で、水行(船での旅)を20日+10日+陸行一ヶ月って・・・・ しかも方向は南のみ・・・・ 「うーん、魏志倭人伝、信用に足らず!」 これまではみーんなそう思ってたんですね。 でもね、チット考えてみてください。 倭人伝の後半には、 敵対国の狗奴国と交戦して、 卑弥呼は帯方郡にヘルプを出してたんです。 それで、将軍「張政」が軍を起こして 「邪馬壹国」に来てます。 当然、軍事報告書が書かれてるはずです。 素盞嗚氏はある80代の軍人出身のご老人に 聞いてみました。 「軍事報告書の『キモ』はなんですか?」 ご老人が言うには、 「目的地がはっきりわかることですな♪」 具体的に言うと、 「方位」と「総合距離」そして「総合日程」だそうです。 言われてみれば、その通りですね。 んで、倭人伝はどうか? 方位については検証しました。 総合距離は「万二千里」 では、「総合日程」は? ・・・・・・ 誰もそこに注目してませんね。 この総合日程こそが 「水行十日陸行一月」なんです。 漢文の文法上から考えてみても、 それはよくわかります。 郡より倭に至るには、・・・・ これが「水行十日陸行一月」につながっているんです。 要するに倭人伝を書いた陳寿は、 帯方郡から女王の国に行くには、 全行程は12000里、所要日程は「水行10日と陸行1月」 かかりますよ。 そう言ってるんです。 軍事報告書をネタ本にしている限り、 この記述がないことはあり得ない、 素盞嗚氏はそう思います。 そして確信を持って言います! 間違えない! 「水行十日陸行1月」の真相がわかった。 じゃーそれだけで卑弥呼ちゃんに逢えるか? ・・・・・ もうチット頭を捻らなきゃなんないんです・・・・・ でもね、もうチットです♪ 次回は「至」という漢字の用法を検証しながら 行程記事の「解剖」をしていきます。 おぉ、今回この内容で1時間半もかかった・・・ 書き出した時はシラフだったけど、 今はだいぶ。イッってます・・・・ 明日は事務所の移転・・・・ 来週から「渋谷の素盞嗚」 ですんで、 そこんとこヨロシク! SEE YOU NEXT TIME お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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