2005/12/15(木)22:49
水行十日陸行一月の真相!
突然だけど、
「くさや」って知っとる?
アジが一般的なんだけど、
サカナのはらわたに漬けてから干物にしたモンなんですけど、
こいつが臭い!
はっきり言って「肥溜め」の匂いッス・・・・
でもね、喰うと、
旨いんです♪
不思議なほど旨いんス。
でも、こんだけ臭いと、普通呑み屋には置いてないんだけど、
あるんですよ、
新橋の「おふくろ」に。
そこはアジじゃなくて、トビウオなんですけどね。
素盞嗚氏はいつもオーダーするんです。
んで、チョット前だけど、
ブログで知り合った方をお連れしたんですよ。
「こいつぁ、臭いんだけど、
喰ったらうんまいんですよ♪」
「そうっすか・・・」
「どうです?」
「・・・・・・・」
くさっ!
結局喰ってもらえなかった・・・・
旨いんスけどねぇ・・・・
さて、久しぶりに「邪馬壹国」徹底解剖です。
魏志倭人伝の行程記事、
方向をそのまま読んで、
1里を約76mにする。
ここまで検証してきましたね。
ここで、確認しますと、
原文に書かれてる方向の
「南」を「東」と改定しないで原文通り読むということは、
近畿説は成り立たない、ということです。
なぜなら九州に上陸した一行が近畿に行くには、
「東」に行くしかないんですから・・・・
では、そのまま「南」と読むと、
倭人伝を信用する限りは、
卑弥呼の国は九州以外はあり得ない!
この帰結になります。
ところがここで問題があるんです。
トップページの行程記事の最後のほうを読んでください。
南、「投馬国」に至る水行二十日。・・・・
南、「邪馬壹国」に至る、女王の都する所、
水行十日陸行一月。・・・・
九州内で、水行(船での旅)を20日+10日+陸行一ヶ月って・・・・
しかも方向は南のみ・・・・
「うーん、魏志倭人伝、信用に足らず!」
これまではみーんなそう思ってたんですね。
でもね、チット考えてみてください。
倭人伝の後半には、
敵対国の狗奴国と交戦して、
卑弥呼は帯方郡にヘルプを出してたんです。
それで、将軍「張政」が軍を起こして
「邪馬壹国」に来てます。
当然、軍事報告書が書かれてるはずです。
素盞嗚氏はある80代の軍人出身のご老人に
聞いてみました。
「軍事報告書の『キモ』はなんですか?」
ご老人が言うには、
「目的地がはっきりわかることですな♪」
具体的に言うと、
「方位」と「総合距離」そして「総合日程」だそうです。
言われてみれば、その通りですね。
んで、倭人伝はどうか?
方位については検証しました。
総合距離は「万二千里」
では、「総合日程」は?
・・・・・・
誰もそこに注目してませんね。
この総合日程こそが
「水行十日陸行一月」なんです。
漢文の文法上から考えてみても、
それはよくわかります。
郡より倭に至るには、・・・・
これが「水行十日陸行一月」につながっているんです。
要するに倭人伝を書いた陳寿は、
帯方郡から女王の国に行くには、
全行程は12000里、所要日程は「水行10日と陸行1月」
かかりますよ。
そう言ってるんです。
軍事報告書をネタ本にしている限り、
この記述がないことはあり得ない、
素盞嗚氏はそう思います。
そして確信を持って言います!
間違えない!
「水行十日陸行1月」の真相がわかった。
じゃーそれだけで卑弥呼ちゃんに逢えるか?
・・・・・
もうチット頭を捻らなきゃなんないんです・・・・・
でもね、もうチットです♪
次回は「至」という漢字の用法を検証しながら
行程記事の「解剖」をしていきます。
おぉ、今回この内容で1時間半もかかった・・・
書き出した時はシラフだったけど、
今はだいぶ。イッってます・・・・
明日は事務所の移転・・・・
来週から「渋谷の素盞嗚」
ですんで、
そこんとこヨロシク!
SEE YOU NEXT TIME