素盞嗚(スサノオ)の日本古代史

2006/03/23(木)18:07

天照大神?

神話(45)

昨日はお疲れで、11時過ぎには ベッドに入ったんだけど、 ぜーんぜん眠れなかったッス。 やっぱ中ギョッキ2杯じゃダメなのね・・・・ 今日はぐっすり寝たいんで、 うーんと・・・・ 3リットルってことですかね さて、天照大神です。 こいつぁ、 「あまてらすおおみかみ」じゃーなくって、 「あまてるおおかみ」。 普通に読むとこーなるんですね。 んで、天国(アマクニ)は対馬海流圏だって言いましたよね。 阿麻氏留神社 ってーのが、対馬の浅茅湾の最奥部、小船越にひっそりと 存在してるんですね。 「延喜式」神名帳にも出てます。 我が心の師匠「古田武彦」氏は、もう随分前になるけど、 この神社を尋ねたんです。 そこで、氏子総代の方に、 「あまてるおおかみ」についての伝承を聞いた。 この方、実に興味深い話しをしたんです。 「私の方の神様は、 1年に1回、出雲に参られます。 神無月(旧暦10月)です。 その時出雲に行かれます神々の中で、 一番最後に参られて、 一番最初に帰ってくる、 そう言われています」 この伝承、いったいどういうことなんでしょうか? ポイントは2点ですね。 1つは、出雲に毎年行くということ。 2つ目は、一番最後に行って、一番最初に帰ってくるっていうこと。 まず「天照大神」はなぜ、毎年出雲に行ったんでしょうか? ここでの仮説は、1つしか考えられないですね。 出雲の神様が主人、「天照大神」が家来、 この関係ですね。 この逆は考えられない。 ここで意味することは、 「天国」がブイブイいわす前は、 「出雲」が中心国家だった・・・・ この帰結ですな。 でもって2つ目の問題。 最後に行って、最初に帰るってどういうことなんでしょう? 出雲の家来として、ナンバーワンだったってことだと思うんです。 なぜなら、「待つ間が一番少ない」ってことですよね。 逆に下っ端家来は最初に行って、最後に帰る、 きっとこんなことなんだと思うんです。 どうです、ここまでのことで、 なんか思い出しませんか? ・・・・・・ そうです、記紀に出てくる 「国譲り神話」 こいつです。 民間の伝承にどれだけ学問的根拠があるのか、 議論は分かれるところだけど、 こういった素朴な伝承の中にこそ、 真実が隠されているように思うんです。 要するに、弥生時代のおそらく前期に 列島の西の王者は出雲だった。 出雲王朝ですね。 んで、1の子分が対馬を中心とした 「天照大神」率いる「天国」。 「天国」は大陸や半島の文化をいち早く吸収できる地の利から、 最新の武器を早くから手に入れていた。 その武力的背景から、親分たる出雲の大国主命に 国ゆずりを強要して、天下を取った。 考古学的に見ても、 対馬からは銅剣の出土が多いんです。 それとね、今調査中なんだけど、 沖ノ島。 島全体からお宝がザックザックとでてくるんです、この島。 後の邪馬壹国や九州倭国との関係を考えても、 「天国」が対馬海流圏の海洋国家だったことは 疑えない! そう確信しとります、はい。 おぉ、まだ6時! 今日は外で呑みますかな♪ 悪酔いしそ・・・・ SEE YOU NEXT TIME

続きを読む

総合記事ランキング

もっと見る