2006/11/06(月)23:43
謎の九州年号を追え!2
この分だとスーちゃん、年を越せない・・・・がんばって仕事せねば・・・・ さーて昨日、「大化の改新」は645年にはなかった!そう書いたけど、その証明としての「九州年号」。まずは、その九州年号を徹底的に解剖していきます。その存在が九州倭国説の証明にもなるしね。主な資料は古田武彦氏、古賀達也氏の研究を元にしてます。 さてまずは、「九州年号」とはいったいなんぞや?!ってところからいきます。そもそも年号を発布するってーことは、時の「国家」の最高権力者のみに与えられた特権なんです。以前にも書いたけど、この年号と「律令」、「通貨」の発行がその三点セットなんですね。そして年号の大きな意味とは、その「連続性」にあるんです。 では、我が日本国の年号とは、いつからあるんでしょうか?日本書紀に書かれていることが定説となってますが、まずは西暦645年の「大化」、その後「白雉(ハクチ)」と続いて、しばらく断絶・・・・686年、忘れたころに「朱鳥(アカミトリ)」が1年。そしてまた断絶・・・・701年、文武天皇の時に「大宝」と名付け、その後約1300年間、綿々と「平成」まで続いてるんです。この「大宝」から「平成」までの連続性を見る時、現在の天皇家の歴史を脈々と感じることができますよね。ところが、「大宝」以前の3つ年号・・・・これはいったい何なんでしょうか?同一王朝内での年号の断絶・・・・そんなことがあり得るんでしょうかね?中国文化を取り入れていたこの時期、この断絶は普通あり得ないんです。ここに何か大きな隠された真実があるように思います。そこで大きなヒントとなるのが、九州年号と言われる年号なんです。これは、日本の正史たる日本書紀に全く記載されていない年号なんです。ではこの「九州年号」、いったいどこに書かれていたんでしょう?実は平安時代以降の様々な書物に紹介されているんです。有名なものには「二中暦」「海東諸国紀」「本朝皇代記」など、10点以上の資料に紹介されてるんですね。これら資料に掲載されている「九州年号」、研究者の間ではどのような扱いを受けてるんでしょうか?・・・・ズバリ!偽年号・・・・ 次回はなぜ偽年号のレッテルを貼られたのか?ってーことと、その年号の一覧を書きますね。 さーて、明日は久しぶりの熊谷や。「義深会親分」と「新米大工」さんとジャブジャブやってきまーす♪ねーお二方・・・・お願い!仕事もちょーだい・・・・SEE YOU NEXT TIME