素盞嗚(スサノオ)の日本古代史

2006/11/19(日)17:26

大化五子年土器。

古代史レポート(301)

ここんところ、オールマンブラザースばっかり、狂ったように聴きまくっとります。しかもデュアン亡き後の。なんと言ってもこいつが圧巻ッス♪ディッキーを首にして、その後釜で入ったデレクトラックス!こいつのスライドは天才的ですな。クラプトンのバックでも最近やっとるそうな。新しい時代の風を感じます。 さて、九州年号。大化五子年土器です。「子」は干支の「子」なんですが、通説の大化って年号は645年から始まってるんで、大化5年は649年ですよね。んじゃーこの時の干支はっていうと、「己酉」・・・・「子」じゃないんですね。二中暦では大化は695年から始まるんで、五年は699年。干支は「己亥」・・・・これも「子」じゃないんです。んで、問題の「大化五子年土器」ってーのは、江戸時代に常陸国(茨城県)の畑の中から偶然発掘された土器で、その土器にこの7文字が刻まれていたんです。この話を聞いた当時の領主が見に来たらしいんだけど、お抱え絵師がその土器を描いて、掛け軸にしたんです。その掛け軸に間違えなく「大化五子年」と書かれている。要するに、偽造の可能性は極めて低いわけです。これは大変な発掘なんです。通説の「大化」と干支が違うんですから。ここで、二中歴で言うところの699年と干支が合えば、バッチリだったんだけど、残念ながらこれも1年干支がずれてんです。この事実をもって、九州年号を研究していた安田陽介氏は、「二中歴」も信用できない!そう結論したんです。しかーし!二中歴とは1年のずれ。この1年ずれってーのが怪しい・・・・この土器が出土した常陸国の戸籍について書いてある、「類聚三代格」って資料を見ると、どうも干支が1年ずれてる痕跡があるんです。一方豊前国の戸籍資料でも、7世紀末の数年間、戸籍が1年づれてるようなんです。なぜ7世紀末に戸籍が混乱してるのか?九州倭国から権力が大和朝廷に移行した時期、それは700年と701年の境だ。権力交代による混乱期だったんですね、この7世紀末ってーのは。それとこの土器、専門家の鑑定によると、7世紀末あたりに、骨壷として使用されたものらしいんです。普通、土器に年号を刻むってことはあまりないんだけど、骨壷なら理解できますよね。亡くなった日か、納骨の日を記載したってことで。この骨壷に入っていた人は大化五年(699年)に亡くなった。そしてこの年は権力交代の1年前・・・・戸籍の記録が混乱していた時のことだったんで、干支が1年ずれた。そう考えられますね。 さて、ここでさらにデカイ問題が起こります。「大化」という年号が、二中歴のとおり、西暦695年から始まったんだとしたら、教科書に出てくる「大化の改新」はいったいどうなるんでしょうか?通説では645年蘇我入鹿が暗殺されて、翌646年1月に発布された改新の詔、これは本当にこの年に出されたものなのか?・・・・どうも怪しくなってきました。次回は「大化の改新」の信憑性についてやってみます。で、それが終ったら法隆寺をやりますぞ! 今日はね、嫁素盞嗚がおでんを作ってます♪おでん大好き!おっと、酒が4合ぐらいしかない・・・・ちっと買ってきます。3リットルで1050円の酒、見つけちゃった。「蔵そだち」安いのに、結構旨い!合成酒じゃないし♪ SEE YOU NEXT TIME   

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