素盞嗚(スサノオ)の日本古代史

2007/07/22(日)22:53

神功皇后の正体

古代史レポート(301)

先週の木曜日辺りからお吟の姿が見えず・・・いつもお吟にくっついていたおさよも木曜、金曜は越後屋と一緒だったんです。どうも生まれたみたい・・・・今日の夜、久しぶりにお吟登場。なんかお腹がペッソリしとる。おっぱいが出てるし・・・・ううう、早く連れてこにゃいかにゃぁ♪ えー、久しぶりの古代史です。親愛なるブログ仲間のpleさんが、ここ3回シリーズで天皇陵について書かれてました。実に興味深いことを書かれてますんで、是非、ご一読を!その中で、pleさん、神功皇后陵についてすこし書かれてたんですが、実は素盞嗚氏も、この神功皇后に関係のあることを書こうと思ってたんです。日本書記ってーのは各天皇の治世に関して「神武紀」とか「応神紀」という風に天皇の列名をあげてるんですが、問題の神功皇后は、名前の通り「皇后」であって「天皇」にはなっていないのになぜか日本書記では「神功紀」としてまるで天皇のように扱われてるんです。あの有名な聖徳太子はその説話が長々と書かれてますが、「聖徳太子紀」ではなくって、時の天皇だった推古の治世だったんで「推古紀」としてあつかわれてるんです。それなのになぜ神功皇后だけが「神功紀」として扱われてるのか?以前から不思議に思っていろいろ調べてみて、最近やっとわかったんです。pleさんの書いてたけど、この神功の時代は3世紀として書かれてます。実際のところは別として、日本書記の編者は、神功の時代を3世紀として書いてるんです。3世紀って言えば、あの卑弥呼の時代です。どうも日本書記全体の時間軸の立て方はこの神功紀を原点としているようなんです。神功紀の時間帯を卑弥呼のいた3世紀に置き、そこからさかのぼり、そこから降らせている・・・・日本書記とは、どうもそのように書かれている。最近これがわかったんです。なぜ神功の時代が3世紀なのかというと、この神功紀には明らかに魏志倭人伝からの引用があるんです。それとさらに不思議なのは古事記の記述との比較なんです。古事記にも神功のことは書かれてるけど、魏志倭人伝からの引用はないんです。倭人伝の引用はなぜ古事記になくて書紀にあるのか?なぜ書紀は「天皇の列名」という、史書の根幹をなすべき編成上の「新立」をおこなったのか?これね、古事記の天皇列名には卑弥呼に当たる存在がないからなんです。 ううう、腹減ってきた・・・・酒も呑みたいし・・・・次回、もう少し詳しくやります。 新たなる嫁素盞嗚との抗争・・・・最近彼女、ちとおかしい・・・更年期かぁ?触らぬ神に祟りなし、そそくさと妾宅に非難しとりまぷ♪おぎーん!早く、「ややこ」を見せておくれよぉ♪ SEE YOU NEXT TIME

続きを読む

総合記事ランキング

もっと見る