素盞嗚(スサノオ)の日本古代史

2009/03/16(月)17:29

李のおっちゃん

古代史レポート(301)

なぜか今、新潟の上越国際にいます。えー、さっそく前回の続きです。 この碑文の中に有名な一節があります。 「倭以辛卯年来渡海破百残□□□羅以為臣民」 通解しますとですね、 「倭、辛卯の年を以って、来たりて海を渡り、百残を破り、□□□以って臣民となす」 百残とは百済のことです。 □□□は、碑面の損傷がひどくて解読不能になってるんですが、前後の文脈から、 「さらに新羅を打ち」と読むと通常考えられています。 まー、「羅」の文字が残ってたんでわかったんでしょうね。 辛卯年とは西暦391年のことです。 要するに、4世紀末に倭は朝鮮半島に渡って、百済と新羅をやっつけて子分にしたっていうんです。  これが明治以来定説となっている通解です。 ところがですね、この通説に待ったをかけたおっちゃんがいたんです。 例の、李のおっちゃんです。 「高句麗好太王碑文の謎」って論文の冒頭にこんなこと書いてます。 「こんにち日本軍国主義に反対するたたかいのなかで、歴史家にかせられた重要な課題のひとつは、皇国史観の侵略的本質を徹底的に打ち砕くことであろう」 まー30年以上前に書かれたモンではあるんだけど、こんなイデオロギーに凝り固まった思想的歴史観でものごとを判断するとは、素盞嗚氏には信じられんのですが、この論文が発表された時、当時の学会はずいぶんアタフタしたんだそうです。 さらに李のおっちゃんはこんなことも言っとります。 「現在わたしたちの知っている好太王碑文は、要所において悪質な改ざんを受けたものだ。削り取り、石灰で新たな文字を造り上げ、それをあつかましくもふちどり文字にして持ち帰ったものだ」 そう断定してるんですね。 ちなみにふちどり文字とは、石碑の面に紙をあて、字の輪郭を墨でふちどって字形をつくるものです。 まー魚拓の文字版みたいなもんですね。 で、その改ざんの犯人を、李のおっちゃんは酒匂(さこう)大尉であーる! そう断定しちゃってるんです。 酒匂大尉ってのは、明治17年に最初に日本へこの碑文のふちどり文字を持ち帰ってきた人なんです。 李のおっちゃんは、さらに酒匂大尉が属していた陸軍参謀本部が「酒匂の犯罪行為」を隠すためにさらに大掛かりな「石灰塗布作戦」を行った、そう言ってるんです。 その後日本の学者たちは、その事実を知らずに虚構された行文を妄信し、そして4世紀に天皇家がすでに朝鮮半島に大掛かりな進出を行っていた、という証拠として使ってきた。と言うんですね。 でもね、なーんか釈然としないんですよね。心情的にも・・・・ で、まずこの李のおっちゃんが、碑文をどう改ざんしたというのかをみていきませう。今日は歴史のみ!SEE YOU NEXT TIME

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