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2009.10.20
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カテゴリ:ひとり言
以前、映画が公開された時に見に行ったものの、
どうもエンディングに納得がいかないというか
釈然としない思いがあったので、原作を読んで
みることにしました。

エンディングは当たり前といえば当たり前ですが、
原作と映画で大きく異なるわけではなく、
原作を読んでもやはり釈然としない思いは
残ったままでした。


一体、何が正しいことで、何が間違ったことなのでしょうか。

ゲームとは異なり、誤った選択を行ったからといって
現実世界は「リセット」をして同じことを
繰り返すことは出来ません。
一度下した選択・判断は、後々まで影響を及ぼし続けます。

だから、僕は決して「正しいこと」と「誤ったこと」を
結果で判断すべきではないと思います。

もちろん、「評価」としては結果でしか判断はされません。
ただ、それは「評価」であって、自分自身が悔いの無い
選択をしたのかどうかという点に関しては、
「結果論」ではなく、判断を下した時点での思いや
情熱、もっと言えばその時の自身の感情に正直であったか
どうかといった点で「正しかった」か「誤っていた」かを
判断しても構わないと思っています。

その結果が、後々にどのような「評価」をされたかどうかは、
それは他人が決めることであって、自分自身に後暗いものが
なければ、それは正しいこと、正しかったことと捉えて
構わないと思います。

にも関わらず、この作品におけるエンディングでは
誰も幸福にはなれなかったと思います。
己の純粋な思いを形にしようとした石神、
ただ平凡に幸福というものを掴みたかった花岡靖子、
そして、真実を知ってしまったがために、
その「事実」を明らかにしたかっただけの主人公・湯川。

誰も幸せになることは出来ず、誰も自分の思い通りに
事を進めることはできませんでした。

「事実」は確かに「事実」であり「真実」です。
「真実」とは、「うそいつわりのないこと」であり、
「絶対の真理」です。

しかし、その「絶対の真理」が明らかになることにより
誰も幸せになることが出来ないのであれば、
そのような「真理」は必要なのでしょうか?

世の中に「真理」は存在し、それは必要なことなのでしょう。
ですが、「真理」なり「事実」が存在することによって
人が不幸になるのであれば、そのような「真理」や「事実」は
存在しなくてもよいのではないでしょうか。

それは「ご都合主義」なのだと言われるのかも知れません。
ですが、真実や事実を追い求めることよりも、
人は自身の幸福を追い求める存在なのではないのでしょうか。

もし、その結果が争いや諍いであるのならば、
人というものの存在が、否定されるべきなのではないかと
僕には思えます。



容疑者Xの献身











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Last updated  2009.10.20 19:41:43
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