西本元監督
25日に亡くなられた西本元監督の告別式が以前に西宮球場があった場所に程近い斎場で営まれたようです。僕のイメージの中では、西本監督は既に近鉄の監督で、当時の阪急のファンであった僕には、ライバル球団の監督でした。試合後半の勝負どころになると、代打や代走を次から次につぎ込み、子供心にもその勢いと言いますか気迫というものは、凄味を持って感じたものでした。享年91歳ということですから、本来で言えば天寿を全うされたという捉え方になると思うのですが、かつての教え子と言われる選手たちが、涙ながらに当時の思い出を語る姿を見ると、偉大な方だったのだなぁと改めて感じる次第です。西本元監督の訃報を報じる記事には、必ずと言っていいほど「悲運の名将」との形容詞が付けられています。客観的には「悲運の」というフレーズは合っているのかも知れませんが、個人的にはとても失礼なフレーズのような気がしています。勝負事ですから、確かに「運」というものは必要なのでしょうが、それだけで勝ち抜けるほど生易しい世界ではないと思いますし、当時の西本監督に、あと僅かな「運」が味方していれば日本一を獲得出来たことも事実なのだとは思います。ですが、そのような「運」を西本監督は、欲していなかったように思いますし、あの苛烈な姿には、「運」だとかそういった偶然の産物など、まったくアテにしていなかったように僕には感じられました。パ・リーグの最も苦しかった時代を潜り抜けてこられた方が、大沢監督に続き、逝かれたように思えます。ご冥福をお祈りいたします。