カテゴリ:雑記帳あるいはmemorandum
![]() 一昨日(2020年11月7日)の午後、館長講座アウトドア編「いでさんぽ」の第 6回、「身延線で身延まで 駅周辺・丸滝・塩之沢の歴史を訪ねて」を開催しまし た。天候が心配されましたが、途中、ちょっとだけ雨がぱらつき、傘の出番もあ りました。でも、ほとんどだいじょうぶ、無事、予定どおりにじ実施できました。 さて、1コマ目の写真ですが、おや、まだ博物館のある下部リバーサイドパーク の中の、「黄金の足湯」付近じゃないですか。もう、ここで1つめの解説が始まっ たのでありました。実際のところは解説というよりも、あとの散歩が楽しくなる ための仕込みといったものでした。そう、いでさんぽは、いろいろとひねった試 みで構成されているのです。 ![]() メロディーブリッジをわたって、本格的なスタートラインの下部温泉駅に向か います。 ![]() 中略で、もう身延駅に着きました。この間、例によって身延線ワンマン電車の乗 り方講座がていねいに開設されたのも、いうまでもないことでした。 身延駅前で、日程の大まかな説明などを確認し、いよいよお散歩の始まりです。 ![]() まずは、駅前しょうにん通りを歩きながら・・・。あれれ、みんな何やら下ば かり見てますね。そうです、歩道や車道の路面に見られるマンホール蓋なんかに も、注目しながら歴史の現場を見てあるきなのです。 ![]() 駅前商店街の一角を横断して流れる桑柄川が富士川に合流するポイントで、対 岸の大野山本遠寺の辺りや、眼前の身延橋の歴史などをチェックしました。 ![]() この日は、天候があまりよくなかったので、この光景は見られませんでしたの で、実際に橋をわたることは省略となりました。 その身延橋ですが、1920年に富士身延鉄道が身延山参詣口となる身延駅まで開 通したとき、ここはまだ橋がなく、「君もあなたも、み~んなわたしだったんで す」といった説明に思わずニヤニヤしながら、身延山詣での足の便をよりなめら かにし、開通したばかりの鉄道利用を軌道に乗せる方策として、当時「東洋一」 とまでいわれた大吊り橋としての身延橋が架橋されたということ、しかも当初は 有料の橋だったということなど、前回の富士橋につづいて、またもや橋の歴史を 学んじゃいました。 ![]() お次は、丸滝の名所、不動の滝ですが、ここでもいくつもの見どころがある中 で、この画面、芭蕉の句碑について、龍門の滝の故事などを交えつつ、その世界 にひたりました。 ![]() 丸滝を出て、塩ノ沢に向かいます。ここは、身延線に接して、沈砂池があり、 その近くには「沈砂池踏切」の名前のある身延線踏切もあることも確認されまし た。 ![]() 無事、塩之沢駅まで着いたのですが、乗るべき電車の時刻まで、若干余裕があり ましたので、ちょっとだけ足を伸ばして、昭和6年架橋の大河内橋を見学しました。 この下流側で渡河する県道にも大河内橋がありまして、こちらは先輩格ですが、実 は橋の躯体は近年にRCで架け替えられた模様。親柱だけが昔のままに据えられてい る、そんな感じの橋でありました。 問題は、下を流れる川の名前、それは椿川。きれいな名前だね、という感想が聞 かれましたが、ひょっとしたらかなり前には大河内川と呼ばれていたかも知れない、 そんなひっかりがあったのですが、地元の参加者の皆さんにうかがってもみんなそ うしたことは、ご存じなかったのでした。謎の解明は持ち越しです。 ![]() 塩之沢駅です。駅の周りには、ソメイヨシノの古木がたくさんあって、サクラの 時期にはとってもすてきです、ということも資料集の写真(左上にはめ込み)を見 たりしながら確かめ、その時期にはまた来たいね、との声も聞かれる中で、全行程 を終了させ、帰りの電車に乗り込みました。 こうして第6回「いでさんぽ」は大団円となりました。次回は、いつ、どこへ、 というおたずねがありましたが、まだ決定打はありません。 きっと年明け、1月の良き日に、できたらあたたかな所へ・・・みたいな雰囲気 をにおわせて終わりになっています。
Last updated
2020.11.09 10:20:55
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