カテゴリ:雑記帳あるいはmemorandum
![]() 前回の記事の最初の写真を再掲しました。富士川の流れに架かる3径間鋼製桁 橋の南部橋の左岸の上流側親柱の脇に展望台のようなスペースが設けられていて、 前回については、そこから南部氏ゆかりの歴史遺産などを確かめてきたことのま くらとしてこの写真が登場していたのですが、今回は、橋があれば川があって、 川があるから橋が架かるみたいなお話です。 ![]() またまた当日資料からですが、7ページに取り上げた南部橋そのものの歴史の ことにふれたものです。現在の赤い塗装が際立つ南部橋も、2011(平成23)年 の完成以前には、もっと上流で、1957(昭和32)年に架けられた5連ワーレン トラス橋でした。赤い南部橋が供用開始されると、旧橋は順次解体されていき ました・・・という説明資料を見ながら、南部橋の歴史を見わたしました。 ![]() 次は、この辺りでは既に1918(大正7)年に開通していた身延線に関する、 やはり橋の話です。 この写真の場所は、内船にある町立の温泉施設(指定管理で運営)としてよく 知られる「南部の湯」の脇を流れている中村川に架かる県道10号の「中村川橋」 の歩道部分でありました。この先に、いったい何があるというのか・・・。 ![]() 中村川橋の少し上流に、身延線の橋も架かっていまして、その橋を気にしてい たのです。この中村川を渡る身延線の橋は、なんと「中沢川橋りょう」と表示さ れているのです。どうしたことなのでしょうか。きっと100年ほど前に遡る川の 名前の問題があったのでしょうね、とわかったようなことをいってお茶を濁して いました。ほんと、そこは謎なのです。 ![]() 緑色に塗装された鋼製桁橋には、昭和35年の銘板が付いていることや、その隣 の線路のコンクリート橋台には、昭和39年の銘板が付けられていることなどは、 資料によっても確認できます。 ![]() こちらの場面は、その“中沢川橋りょう”の橋の下で 1964年のコンクリート橋台 の銘板の実物を確認しているところでありました。このように100年の歴史の出発 点を物語る明確な現地資料は見られないのですが、昭和の各段階の改修のようすに ついては、直にふれることができるものでした。 ![]() ここはまた別な場所、“中沢川橋りょう”は内船駅の南側に当たっていましたが、 こちらは北側にある梅の木川を渡る長さ3m弱の「梅木川橋りょう」のようすを 見ているところです。ここでも、十分に身延線の年代を感じることができたので す。 第11回いでさんぽ・内船編では、このように普段、まったく目を付けそうもな いところを、おたくっぽく見てまわったのでありました。
Last updated
2021.11.03 23:18:32
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