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二代目館長日記

2021.11.02
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 前回の記事の最初の写真を再掲しました。富士川の流れに架かる3径間鋼製桁
橋の南部橋の左岸の上流側親柱の脇に展望台のようなスペースが設けられていて、
前回については、そこから南部氏ゆかりの歴史遺産などを確かめてきたことのま
くらとしてこの写真が登場していたのですが、今回は、橋があれば川があって、
川があるから橋が架かるみたいなお話です。



 またまた当日資料からですが、7ページに取り上げた南部橋そのものの歴史の
ことにふれたものです。現在の赤い塗装が際立つ南部橋も、2011(平成23)年
の完成以前には、もっと上流で、1957(昭和32)年に架けられた5連ワーレン
トラス橋でした。赤い南部橋が供用開始されると、旧橋は順次解体されていき
ました・・・という説明資料を見ながら、南部橋の歴史を見わたしました。



 次は、この辺りでは既に1918(大正7)年に開通していた身延線に関する、
やはり橋の話です。
 この写真の場所は、内船にある町立の温泉施設(指定管理で運営)としてよく
知られる「南部の湯」の脇を流れている中村川に架かる県道10号の「中村川橋」
の歩道部分でありました。この先に、いったい何があるというのか・・・。



 中村川橋の少し上流に、身延線の橋も架かっていまして、その橋を気にしてい
たのです。この中村川を渡る身延線の橋は、なんと「中沢川橋りょう」と表示さ
れているのです。どうしたことなのでしょうか。きっと100年ほど前に遡る川の
名前の問題があったのでしょうね、とわかったようなことをいってお茶を濁して
いました。ほんと、そこは謎なのです。



 緑色に塗装された鋼製桁橋には、昭和35年の銘板が付いていることや、その隣
の線路のコンクリート橋台には、昭和39年の銘板が付けられていることなどは、
資料によっても確認できます。



 こちらの場面は、その“中沢川橋りょう”の橋の下で 1964年のコンクリート橋台
の銘板の実物を確認しているところでありました。このように100年の歴史の出発
点を物語る明確な現地資料は見られないのですが、昭和の各段階の改修のようすに
ついては、直にふれることができるものでした。



 ここはまた別な場所、“中沢川橋りょう”は内船駅の南側に当たっていましたが、
こちらは北側にある梅の木川を渡る長さ3m弱の「梅木川橋りょう」のようすを
見ているところです。ここでも、十分に身延線の年代を感じることができたので
す。
 第11回いでさんぽ・内船編では、このように普段、まったく目を付けそうもな
いところを、おたくっぽく見てまわったのでありました。






Last updated  2021.11.03 23:18:32
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