カテゴリ:雑記帳あるいはmemorandum
77年前の7月6日、すなわち七夕前夜、23時過ぎというか、日付が間もなく変 わるころ空襲警報の発令と共に、多くのアメリカ空軍のB29爆撃機が、甲府盆地 上空に到達し、数多くの焼夷弾の雨を降らせました。この空襲は日付が変わり、 7月7日の未明には終わったようでしたが、これにより、1100名余の人命が失わ れ、1万8千余戸の家屋に焼失や損壊がもたらされました。 なぜ、そうしたことがおこったのか。いまも繰り返されているのはなぜなのか、 いろいろな背景があるのでしょうが、何といっても多くの人身が、短期間に人為 的に傷つけられ、生活をうばわれ、命さえも絶たれてしまうのは、繰り返されて はならないことだといえます。 七夕のいのりの1つになりました。ねがいかなえたまえ・・・。 今回取り上げた「甲府空襲」については、次のサイトを参考にしました。 総務省HP / 甲府市における繊細の状況(山梨県) https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/daijinkanbou/sensai/situation/state/kanto_24.html お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022.07.07 08:24:58
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