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オセロ

心の世界に入ったとき

私が始めて心療内科という所に行ったのは高校2年生の11月でした。
高校2年生の修学旅行不参加という私の決断が後々ここに結びつきました。
私は昔から団体行動が出来ない子でした。
小学、中学と修学旅行に参加はするものの、帰りには高熱が出るのです。
人にすごく気を使うため、疲れがひどくでてしまう子でした。
でも、行かないとダメという親の言葉に私は参加してました。
でも、高校のときは絶対に行かない!と言ったのです。
ただ、その理由をどうするかということでした。
集団行動ができないから。という理由なんか通じるわけもありません。
そこで、私は昔から時々ひどいめまいを理由に行かない!と言い張りました。それから毎日私は病院に通いました。
内科から始まり耳鼻科、脳外科といろいろな科を回されました。
何度いろんな検査をしても結果は異常なし。でした。
この診断を受けるときが一番辛かったです。
「異常ないですね」この言葉を聞くのが苦痛でした。
でも、本当にめまいはあったのです。
だから、私は「入院してください」って言われることを望みました。
でも、そんな言葉は絶対に聞くことはありませんでした。
そして、だんだん病院に通っていると医者からも迷惑な患者としてみられました。苦痛でした。
異常がないなら修学旅行に行きなさい!という親の言葉。
学校からはどうして行かないんだ!とういう言葉。
そして、医者は異常はない!という。
自分でも分からないのに一人苦しみました。
そんな時私は学校の勉強でインターネットを習いました。
そこで始めて心療内科というものがあることを知ったのです。
私は一生懸命父を説得して、学校に近い病院に紹介状を持っていきました。
診察を受けた結果始めて病名がつきました。
「心身症」
この言葉を言われたとき私は心からありがとう。って思ってしまいました。
本当にこれで全てから解放されると思ったのです。
そして、2錠の薬を渡され通院をすることになりました。
だけど、帰りの列車で涙が止まりませんでした。
両親になんていうか分からなかったのです。
この時まだ心療内科とか精神科はタブーな世界でした。
それで、私もそう思っていました。
だから、自分でも分からなくなっていました。
そして帰宅して病名をつげ薬を見せました。
怒られました。甘えてると。
そして薬を飲んだら全部が終わると言われました。
だけど、私は薬をしっかり処方された通り飲んだのです。
次の日からどうにか学校には行けるようになり、修学旅行のことも処理することができました。
だけど、苦しみました。ずっと。
やっぱりまだ何も分からない病名だけに親からいろいろ言われることが苦痛でした。
「怠けてる」「逃げている」「お前の人生は終わった」
これを言われ続けたのです。
私はどうしていいか本気で分からなくなっていました。
そのうえ、心療内科というものが始めてだったのもあり、何を話すのか分からなかったのです。病院というのは診察がだいたい3分で終わるところだと思っていたのです。でも、心療内科というのはとても長くて。
それがよく分からなかったのです。
そのため毎回行っても薬をもらって帰るだけでした。
そしてどうにか進級もでき3年生になれました。
そして新しいスタートという意味で私は新しい病院に転院しました。


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