☆一度目☆両親のために生きる私は、3人兄弟の一番末っ子に生まれた。長男兄。8歳年上。 第一子だったため、可愛がりつつも、かなり厳しく育てられた。 その育て方に反発するようになったころから、 彼はだんだん道をはずしだした。 就職するも、“バンドの時間がとれない”とやめてしまい、 その後何度か就職しかけたが、合わずにやめ、 その後はバイトを転々としている。 現在、33歳。 バイト。 もちろん未婚。 10年になる彼女がいる。 ・・・不思議だ。 あの兄にそれだけ連れそえる彼女は、 うちの一家のヒロインだ! 長女。姉。5歳上。 幼稚園で働いているが、同じく正社員ではない。 よって、収入だけでは生活できず、 親からいまだに仕送りをもらって生活。。 30歳。 未婚。 無職の彼がいたが、うちの一家の大反対をうけ、 別れ、 その後彼はいない。 そんな二人の、まるで弟と妹のような、兄と姉を持ち、 私は末っ子ながらも、まるで長女のように育ってきた気がする。 親が兄や姉に落胆したり、期待を裏切られショックを受ける様子を まざまざと見て育ち、 なんとか私は親の期待にこたえてあげようと、 常に親が望むように生きてきた。 AとBで道を迷ったとき、 たとえ自分がBにすすみたくても、親がAをのぞめば、 そちらを選んだ。 でも、不思議とそれは、そこまで苦痛ではなかった。 親の喜ぶ様子が何より好きだったから。 “カナちゃんの頑張りだけが励みよ。” そう言う母の期待にこたえ、 喜んでもらえるのが、何よりの私のよろこび。 母の望むように道をえらび、 自分の望みは押し殺してきた。 そんなあたしが、唯一、人生で始めてその希望にこたえなかったのが、 就職だ。 こればかりは、自分の思いをまげることができなかった。 警察の白バイ隊や、空港の受付なんかを望んでいた母。 8年間、母の望みどおり剣道を続けてきて、 やっと大学で、解放され、 それがまた、警察になることで、また剣道人生が始まるのが、 どうしても嫌だった。 空港での仕事は、確かに憧れはあった。 でも、仕事内容がぴんとこない私は、 “受付”=単純な受付業務 というイメージが強く、踏みとどまっていた。 飽きっぽい性格。毎日に変化を求める性格。 勉強、部活はまだ親の望みに合わせてもなんとかやってこれたけど、 仕事だけは、自分の決めた道じゃないと つらいんじゃないかと思った。 興味のあった住宅関係、 大好きで毎日のように通っていたドラッグストア・・ 私はすごく興味があったし、やってみたかった。 母は案の定、 “営業なんて・・・、接客販売なんて・・・” という反応。 だけど。 就職だけは、自分の思った道にすすみたかった。 母に一生懸命話して、今回だけは自分の考えでいかせてほしいと 長い長ーーーい手紙をかいて、なんとかわかってもらえた。 さぁ。 ここで私の第一の人生がいったん終結する。 親の望みどおりに生きてきた、22年間。 常に親の顔色を伺い、親の喜ぶ顔のため、 親にほめられるために、捧げた22年間。 相反する二つの気持ちを常に心にもっていた私は、 いつのまにか二つの人格を持つようになっていた。 ジャンル別一覧
人気のクチコミテーマ
|