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《梅は咲いたか、桜はまだかいな》と小唄を口ずさみながら、梅見としゃれ込みました。
今年は例年になく寒く、平田ナーセリー近くの公園の梅は8分咲き。 私はと言うと、どうも風流とは縁遠いようで、梅を見ると、つい梅干しを想像してしまい、 口の中に唾が溜まってきます。 これって、条件反射なのでしょうか。 何かを考えたり想像したりするということは、脳の神経のなかに、ちょっとした電気信号が 流れるだけなのでしょうが、そのちょっとした刺激は、人間の心や感情に大きな影響を与 えます。 つまり良い考えでも、あまり好ましくない想像でも同じことです。 ネガティブなことを考えたり想像したりすると、気持ちもネガティブになり、身体にもネガ ティブな反応が起こるでしょう。 友人から「《お疲れさん》という言葉は掛けた相手に良くない影響を持たせる」と言われ ました。つまり、その言葉を掛けた相手は本当に「疲れた」状態に導くのだと・・・。 だから、「《お元気さん》と声をかけようよ」と。 なるほどねえ、ポジティブな考えや想像は、気持ちもポジティブにし、身体もポジティブに 反応しますので、《お元気さん》と声かけした方が良いのかも。 その考え方に賛同し、その声かけに変えようと思ったんですが、ちょっと、言いにくい。 で、まだ使ってはいないのですが・・・。 近頃の私の、考えや関心は、どうしてもネガティブなことに引っかかることが多いようです。 それは、生存本能からくるのかも。 ネガティブなものを警告として受け取っているのもしれません。 痛みがあれば、すぐにそこに感覚が集中し、心配事があれば何とかそれを避けようと、 考えがそこに集まります。 ある意味で私たちが生きていくのには必要なことかもしれませんが、必要以上にそこに 焦点を合わせると、それに振り回されます。 痛みは、「呼びかけ」とある講演で教えられました。 身体に異変が起こったということを教えてくれている信号ですよ・・・と。 だから、たとえばケガをしているのなら、それに気づいて、ちゃんと手当をすれば、あとは その痛みや不快感と、ずっと一緒にいることはありません。だけど、そこにばかり焦点を合わせていれば、気持ちも落ち込んでしまうし、元気も出てきません。 それよりも、他の調子のいいところに焦点を合わせる方が、ずっと楽しく生きていけると 思うんです。 右手が痛いのなら、左手は何ともないことを喜べます。 さらに、右足も左足も元気だということに気づけば、もっと気持ちが良くなります。 他にも、身体のなかにはピンピンしているところが、たくさんあります。 そこに焦点を向ければもっともっと元気が湧いてきます。 このような受信の仕方をある人は「快・衰退」だといいます。 問題点のすり替えだけならば、確かにそうです。 問題の先送りにもなりかねません。 でも、前向きに捉えることが出来れば、もし何か心配事があったり、悩んだりしても大丈夫。 人生の課題や軌道修正するためのチャンスを与えてくれたことに感謝し、それに対して自分ができるだけのことをしてみよう。 そして、気持ちの余裕が生まれたら、もっと他のところに焦点を向けて、自分の生きている、この世界のすばらしさを感じることができるでしょう。 気持ちよく、楽しみながら、自分の望む未来へと歩いていきたいと願っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012.02.23 10:49:10
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