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社会人の学びなおし・読書メモ

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2021年07月28日
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カテゴリ:読書メモ
​​ E.H.カー「歴史とは何か」まとめ その5 です。
 その1は​​​​こちら​​​​、その2は​​​​こちら​​​​、その3は​こちら​、その4は​​​​こちら​​​​から。
 

 コツコツと読み進めたこの書のまとめもついに第5章。理解度はさておき、途中で投げ捨てずに読み進めた、という満足感はなかなかのものです。今後自分が歴史を学びなおしていく際の視座を考えるきっかけとなりましたので、読んでよかった、というのが正直な気持ちです。おススメ。


​【第五章:進歩としての歴史】​

◎第五章キーワード

 → 過去が未来に光を投げ、未来が過去に光を投げるというのは、歴史の弁明であると同時に歴史の説
   明なのであります



​【まとめ】​

 前章の最後で、カーは以下のように述べます。

カー:過去も未来もそれぞれ同じ時間というものの一部分なのですから、過去への関心と未来への関心と
    が結び合わされているというのは見易い理であると思います
  :歴史は伝統の継承ととともに始まるものであり、伝統とは、過去の習慣や教訓を未来へ運び入れる
    ことを意味します


 ここで、「歴史」の範疇に「未来」が含まれるというカーの独特の歴史観が明かされます。どのような点で「歴史」と「未来」が関わるか、というと、「過去の習慣や教訓を未来へ運び入れる」行為を「伝統」と名付け、その「伝統」の継承こそが「歴史」のはじまりだとします。

 以上の第四章の内容をふまえ、第五章は特に「未来」に焦点を当てた解説が続いていきます。


●進歩史観

 今更ですが、今回まとめを行っている「歴史とは何か」は1961年出版、筆者のエドワード・ハレット・カーはすでに亡くなっております。生年は1892年、没年は1982年で、二度の世界大戦や、その後の社会情勢の激変など、まさに混沌の時代を生きた人物です。
 第二章で確認した通り、「歴史家」は「社会」の一員としてその影響を受ける存在でした。激動の時代を生きたカーをはじめとする当時の歴史家は、大きく変化する「社会」の影響を受け、その歴史観を大きく変えていきました。

歴史観その①:​​​​進歩史観​​​​
歴史は、地上における人間の状態の完成というゴールに向かう進歩である」とする歴史観

 これは、18~19世紀の啓蒙時代に見られた歴史観です。当時のヨーロッパは飛躍的な発展を遂げており、人類の歴史を「進歩」するものととらえたのでしょう。


歴史観その②:​カーの時代の歴史観​
→カー:「進歩の仮説は論破されてしまいました。西洋の没落というのは、もう引用句が要らないくらいファ
      ミリアな言葉になりました
」に現れる、進歩を疑う歴史観

 カーの生きた時代は、度重なる戦争やその後の社会情勢の変化で、それまでの社会に変化が生じ、ヨーロッパの国際的地位が相対的に落ちた時代と言えるかもしれません。そのような空気を受け、前時代の「進歩」という考え方が疑われていた、ということのようです。


 では、カーはどのように考えていたのでしょうか。この「進歩」「没落」についてカーは「判断を下すのをすこし先へ延ばして」、「進歩の概念」を厳密に調べることから始めます。


​●進歩の概念​​

●進歩の概念①:​生物的進化と社会的進歩​​

 生物学上の用語である「進化」と、歴史学上の用語である「進歩」との混同を指摘し、その違いについてカーは、「皮膚の色」と「言語」を例に話を進めます。

​皮膚​:生物的遺伝/先天的/何千年とか何百万年を単位として起こる = ​進化​
      
​言語​:社会的獲得/後天的/世代を単位として測ることができる = ​進歩​

 言語に見られるような「進歩」は、「人間が過去の諸世代の経験を蓄積することによって自分のポテンシャルな能力を発展させて行く」ことができ、ひいてはその能力を「過去の習慣や教訓を未来へ運び入れる」ことにつながります。

 以上をふまえ、カーは次のように言います。

カー:歴史というのは、獲得された技術が世代から世代へと伝達されて行くことを通じての進歩ということな
    のです



●進歩の概念②:​歴史の終り​

 例えばユダヤ教やキリスト教の終末思想、ヘーゲルの世界精神やマルクスの階級のない社会のように、歴史に「ゴール」を定めるやり方を、カーは否定します。その上で

カー:進歩の目的は…まだ限りなく遠いところにあるもので、それを示すめじるしは、私たちがもっと進まね
    ば見えてこないのです…羅針盤は大切な、本当に欠くことの出来ない道案内です


 と述べます。カーにとって「進歩の目的」=歴史のゴールは設定できず、仮にゴールを考えるとしても、それはたいへん遠いところにあるものなのです。ですから、「進歩」がどのような方向に進んでいくか、その都度「羅針盤」としての歴史家の研究を通じて道しるべを残しておく必要があるということでしょう。


●進歩の概念③:​進歩と非連続性​

 私がまだ小学生だったころ、何かの雑誌で見た「オーパーツ」に興味を持ったことがあります。この不思議な物体はどのように作られたのか。これほどすばらしいものを作り出した人々と、その文化はどこへ行ってしまったのか…。

 古今東西、様々な文化が生まれては消えていきました。すると、ある文化において育まれてきた「進歩」はどうなってしまうのでしょうか。これについてカーは以下のように述べています。

カー:文明を前進させるのに必要な努力が或る場所で消えてしまったかと思うと、やがて他の場所に再び
    現れ、そのために、歴史のうちに認められる進歩は、何によらず、時間的にも空間的にも決して連続
    的なものではないという周知の事実を示しているものなのです


 以上のように、カーは「進歩」というものが、ある地域で生まれたと思ったら消え、それが場所を変えてまた現れることもある…といったように、複雑につながっていくものとのイメージを持っていたのでしょう。


●進歩の概念④:​結局、進歩とは​

 「進歩」という語の周辺を埋めてきたカーは、ここで「進歩」という語について直接的に以下のような定義を与えます。

カー:歴史における進歩は、自然における進化とは違って、獲得された資産の伝達を基礎とするというこ
    と、これが歴史というものの前提であります。この資産は、物質的所有物と、自分の環境を支配し変
    更し利用する能力との両方を含んでいます


  :進歩の信仰は決して自動的な不可避的な過程を信じるという意味ではなく、人間の可能性の漸次
    的発展を信じるという意味です。進歩というのは抽象的な言葉であります。人類が追及する具体的
    な目的は、時々、歴史のコースの中から現れて来るもので、何か歴史の外にある源泉から現れて
    来るものではありません


 以上より、カーの想定する「進歩」とは、人間が幾世代にもわたる苦労の末に獲得してきた「資産」が未来に向けて伝達され、「人間の可能性の漸次的発展」につながりうるようなものであり、この「進歩」の向かう先も、生成消滅のタイミングも全く読めないもの、だからこそ、歴史家が「解釈」をせねばならないもの、とまとめられるように思います。


​●未来​​

 この章で、カーは「進歩」と関連して「歴史」における「未来」の意味をかなり丁寧に解説しています。正直に言うと、この「未来」についてのカーの説明を、私が理解しきれないところがありますので、とりあえず現時点での読み取りをまとめ(不安…)ていこうと思います。

カー:未来だけが、過去を解釈する鍵を与えてくれるのです。そして、この意味においてのみ、私たちは歴
    史における究極的客観性ということを云々することが出来るのです。過去が未来に光を投げ、未来
    が過去に光を投げるというのは、歴史の弁明であると同時に歴史の説明なのであります。


 「解釈」というキーワードについては、一~三章でたびたび登場しています。特に三章で確認した内容――数ある「事実」に対して「価値判断」をもとにした「解釈」をおこない「歴史的事実」を選び出し、「一般化」していく――は今回のこのフレーズと関連していると考えられます。つまり、「価値判断」の根拠をどこに置くか、という時に、「未来」が鍵となるとカーは言うのです。

 では、カーの考える「未来」とは何なのでしょうか。いくつか参考になりそうな箇所を抜き出して考えてみようと思います。

カー:歴史における絶対者というのは、まだ未完成な、生成の途上にある或るもの――それへ向って私た
    ちが進む未来にある或るもので、私たちがそれへ進むにつれてようやく形が出来るようなもの、ま
    た、私たちが前進するにつれて、その光に照らして過去に対する私たちの解釈に次第に形が与えら
    れるようなものなのです

  :私たちの考える基準は、昨日も今日もいつまでも変わらない或るものという静的な意味の絶対者で
    はありません



 カーの考える「未来」は、私たちが進む「ゴール」のある方角(空間的なものではなく、時間的な)、とでも言えばいいのでしょうか。そのゴールははっきりと「コレ」と指摘できるようなものではなく、私たちが未来へと手探りで進みながら探していくものなのだそうです。
 ちょうど、暗くて先の見えない向こうにゴールがあると仮定して、行く道々で明かりを灯し、周囲を確認しては今いる地点を記し、また明かりを灯しては先へ進む。そうして一歩ずつ、しかし着実に向かうべき先へと向かっていく。。。上記のカーの表現から、私はそのようなイメージを受けました。

 カーはまた、次のようにも記しています。

カー:私たちの方向感覚も、過去に対する私たちの解釈も、私たちが進むにつれて絶えず変化と進化とを
    免かれません


 暗中模索の状態で進む場合、少し進んでは方向習性をしたり、場合によってはスタート地点の情報を書き換える必要が出たりもするかもしれません。歴史に話を転じると、第一章で確認したように「現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話」としての「歴史」、つまり「現在―過去」を結ぶ「歴史」があるとともに、歴史家が結んだ「現在―過去」のラインは当然「未来」まで伸びているのです。すると、歴史家は「現在」の自分が置かれる「社会」の状況を客観的に把握した上で、刻一刻と変化する「社会」の「未来」を正確に読み取りつつ、「未来―現在―過去」を結ぶラインを考え、都度修正していくことが求められているというのではないでしょうか。



 以上をふまえて、第五章をまとめていこうと思います。

 第五章では、これまで述べてきた「現在ー過去」の結びつきを考える上で「未来」の及ぼす役割が述べられていたのではないでしょうか。
 歴史家の仕事は、この段落をまとめれば「未来ー現在ー過去」を結ぶ「解釈」を生み出すこととなるでしょう。ただ、この「解釈」は時代が進んで「社会」の在り方が変わるとともに、ズレが生じてくることを免れないはずです。歴史家は時代の進む先(未来)の状況に応じて、これまでの歴史家の「解釈」が妥当であるか常に修正していくことが求められているのです。
 雑な例えであることを承知で言えば、バームクーヘンを作るようなものだと思います。解釈の上に解釈を重ねてさらに良いものにしていく。何層の「解釈」を重ねるかは分かりませんが、「人間の可能性の漸次的発展」の説明として妥当だと思える「解釈」をただひたすら続けていく。その結果としてより良いものができ上がっていくのでしょう。
 カーは「過去が未来に光を投げ、未来が過去に光を投げるというのは、歴史の弁明であると同時に歴史の説明なのであります」と述べています。未来の世代は、ある時代を生きる当人よりも客観的な「解釈」が可能です。そういった意味では「未来」が「過去」を見る際のより客観的な視点と言えます。とはいえ、「未来」というものは「過去」という土台なしには成立し得ませんから、「過去」が基準となって「未来」につながっているとも言えます。第一章から見てきたとおり、ここでも「相互関係」が顔をのぞかせています。



 以上です。何となく分かっ…てない気がしてきました。
 分かりそうで分からない。こういう箇所には恐らくこれまで自分が生きてきた考えもしなかった大事な考え方が隠れているものです。時間がある時にまた読み直し、理解を深めていきたいと思います。

 皆様もぜひ、E.H.カー「歴史とは何か」に挑戦してみてください。






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最終更新日  2021年08月01日 21時27分36秒
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