2010/07/20(火)17:38
「将来のこと」
長いです。 でも見てもらったら嬉しいです。
連休明けにちょっと暗い話ですみません。 まぁでも自分の気持だから言ってみます。
将来のことを考えて落ち込むのはバカだなと思う。
1ついい忘れた。
将来のマイナスのことを考えて落ち込むのはバカだなと思う。
ここ大事。
先週。 というか、まだ一週間すら経ってないけど。
友達が自殺した。
27歳。
自主映画仲間だった。
不思議な奴で、誰からも憎まれない「愛すべきバカ」だった。
「全く何やってんだよおまえは」と笑われながらもその場の雰囲気を盛り上げていた。
好きになったことにはとことん真面目だった。 映画も演劇でもそう。
そいつが自ら命を絶った。 最後まで、
「全く何やってんだよおまえは」
さて。
僕もいずれ死ぬ。 でも、病死か、事故死か、老衰かなんてわからない。
マイミクでは3人、この世を去っていった。
もしブログが延々続くなら、100年後は確実に全てのお友達が全て死んでしまって、
誰にも見られることなく、延々にこの文章も残るだろう。
でもそんなことは考えちゃいけない。
これが、”将来のマイナスのことを考えて落ち込む”ということ。
僕の好きなあっちゃん(Cocco)が言ってた。
人は息を吸って吐くように「生きたい」と「死にたい」が交互にくるそうだ。
それが自然だし、いつもならずっと「生きたい」が勝ってる。
でも「死にたい」が強まった時、家族や残りの人のことも悪いことだと知った上でも、
それでも選んでしまうらしく。
確かに全てがごきげんで、順風満帆の世界で歩いたとしても、
その靴底に小さな小石が入ってたら、もうそこにしか意識は飛ばないハズ。
何もかもの料理が完璧で、目の前の景色も素晴らしくて、
最愛の彼女と目の前で食事をしたとしても、お腹を究極に壊してたらトイレのことしか考えないハズ。
死のことしか考えなくなってしまうと、周りの全てを塞いでしまうのかもしれない。
そして何もかもが嫌になって楽になりたいのを選んでしまう。
楽を選ぶの?
だったら僕は、同じ漢字でも”楽しい”を選ぶよ。
だって楽はいつでも選べるもの。 ”楽しい”は楽を選んだ後じゃもう選べない。
ということでマイミクの皆様。
なんというか、いつか、もしふとそっちを選びそうになる前に、
まだ自分を保っていられる前に連絡くださいな。
1人で問題を抱え込もうとするかしないかは、
とりあえず話した後でもいいじゃないですか。
自分じゃなくても、身近な人に話をするだけでもいい。
逆に身近じゃないから話せることもあるかもしれないよ。
とにかく、その方向しか向かなくなる前に誰かに話しなさい。
死んだとか、ネタにしか思えなくて「浜田、アウト」とかドッキリすら出てきそうで、
お通夜で名前を見ても意味がわからくて、そいつのフルネーム見ても涙も出なくて、
焼香しても、やり方分からなくて「どうやれば?」とヘラヘラと質問して、
顔見て、現実突きつけられてもまだ嘘だと思って「カット」と言っても起きなかった。
いつも演技下手くそだったのに今だけ名演技だった。 カットかけたから起きろと。
何年ぶりに出会った自主映画仲間がたくさんいて、ぼーっとして、
「はい現実です」ってやっと受け止めた時に
「こんな同窓会なんか嫌や!」と言って泣いた。
”ぽっかり空いた心”ってのを、はじめて知った。 なんだこれ。
日本人は死すら遠慮するんだから、バカげたことだ。
これだけ欧米化した日本なのに、カウンセリングだけが発展していないのは何故なんでしょうね?
自主映画仲間だったから、映画の話をします。
4年も前、「桜桃の味」というイラン映画を紹介した。
病気の中年のおっちゃんがそれを苦に自殺を手伝ってくれる人を探す。
「お金をやるから、明け方に睡眠薬を飲んで地面に寝ている私に土をかけてくれ」
もちろん普通の人は断る。そこに酸いも甘いも噛み締めた老人が了解するというストーリー。
自殺を通して生きることの意味を語るという。
その最後の老人が言った言葉がこうだ。
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一つ、わしの思い出を話そう。結婚したばかりの頃だ。生活は苦しく、す
べてが悪くなるばかりだ。わしは疲れ果て、死んだら楽になると思った。も
う限界だとね。ある朝暗いうちに、車にロープを積んで家を出た。わしは固
く決意してた、自殺しようと。1960年のことで当時はミネアに住んでい
た。わしは家の側の果樹園に入っていった。1本の桑の木があった。まだあ
たりは真っ暗でね。ロープを投げたが枝に掛からない。1度投げてだめ、2
度投げてもだめ。とうとう木に登ってロープを枝に結んだ。すると手に何か
柔らかいものが触れた。熟れた桑の実だった。一つ食べた。甘かった……。
二つ食べ、三つ食べ……、いつの間にか夜が明け、山の向こうに日が昇って
きた。美しい太陽!美しい風景!美しい緑!学校へ行く子供たちの声が聞こ
えてきた。子供たちが木を揺すれと。わしは木を揺すった。皆、落ちた実を
食べた。わしは嬉しくなった。それで、桑の実を摘んで家に持って帰った。
妻はまだ眠っていた。妻も起きてから桑の実を食べた。美味しいと言って
ね。わしは死を置き忘れて桑の実を持って帰った。桑の実に命を救われた。
桑の実に命を救われた。
あんたはトルコ人じゃないから一つ笑い話をしよう。怒らないで……。ト
ルコ人が医者に言って訴えた。“先生、指で体を触るとあらゆる所が痛い、
頭を触ると頭が痛い、足を触ると足が痛い、腹も痛い、手も痛い、どこもか
しこも痛い。”医者は男を診察してこう言った。“体はなんともない、た
だ、指が折れている。”と。あんたの体はなんともない、ただ考えが病気な
だけだ。わしも自殺しに行ったが、桑の実に命を救われた。ほんの小さな桑
の実に。あんたの目がみてる世界は本当の世界と違う。見方を変えれば世界
が変わる、幸せな目で見れば、幸せな世界が見えるよ。
すべてを拒み、すべてを諦めてしまうのか?
桜桃の味を忘れてしまうのか? ……
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いい映画です。 これをそのまま奴に言っても良かったぐらいだ。
将来のこと。 将来のことなんて誰も他人も、ましてや自分自身もわからない。
今まであんまり悩んだことがないからアレなんだけど、
生まれた瞬間から、死のカウントダウンが始まってるとか考えちゃいけない。
「どう死ぬか」より、「どう生きるか?」を考えてください。
そして「楽になりたい」より「楽しく生きる」を考えてください。
あと、僕なりのコツを。 「最悪や。」って声に出してよく言う人がいる。
でも「しあわせだ。」って頭に思っていても、声には出さない。
声に出すと自分でも幸せだってことが確認出来ます。
美味しいものを食べた時、ゆっくり風呂につかった時、
いろんな幸せな時に「しあわせ。」ってちゃんと声にして言ってみましょう。
あなたはきっと、しあわせに充ち溢れた毎日にいるから。