|
テーマ:コーラス(2855)
カテゴリ:時には真面目に
本当は、明日の日記・・・いや、さらに本当のことを言うと明後日に書くべき日記ですが、
書き留める余裕が、それぞれの日記の内容と違っちゃうので、ここに書いときます。 ちなみに、今、大晦日の日付にかわって数時間ってとこです。 夜中に、アッコさんが、ゴスペルの本場に行く・・・・そういった番組がありました。 NYのスラムのあたり。 沢山の教会と、沢山の信者。 そして、「ゴスペル」という名の説教と、賛美歌。 あれは人々の「魂」の叫びだと、そう感じます。 私は高校のクラブ活動で、当時ちょっと有名な合唱部に所属していました。 3年目にはつまらない理由(今考えると)でやめてしまったのですが、 2年の時は長野の全国大会に参加でき、すごい感動を味わう事が出来ました。 歌って、ほんとうにすごいパワーがあるんです。 人の声って、神がかってるんです。 でも、普通の合唱とゴスペルって、似て非なるもののような気がしてなりません。 合唱は、詞。合唱は、オーケストラ。合唱は、完全なる調和。 一方、ゴスペルは、言葉。ゴスペルは、祈り。ゴスペルは、感情。ゴスペルは、不調和の中の調和。 やはりビミョウにちがってる気がします。 もちろん、発生過程が違うのだから、当然といえば当然なのですけどね。 今日、本場のクワイヤの方が歌い、会場の人も歌い踊り、全身で表現しているのを見ていた時。 そして、「歌うことで、心が軽くなるのです」という、メンバーの言葉を聞いた時。 その時、なんとなく思ったのです。 なんだか「民謡」みたいだなぁって。 日本のもそうだけど、世界中に「民謡」や「わらべ歌」ってあると思うんですよね。 その内容って、「仕事」がテーマだったり、豊作を喜ぶ歌だったり、 自然をたたえたり、父母や故郷を思う歌だったり・・・・そういうのが多いと思うんです。 だから、声は腹から出してるし、大地に、天にとどくような響きになってるもんね。 それはきっと、飾る事のない、素のままの人間・・・心が叫んだから。 そして、心の形がそのまま言葉になり、言葉で足りずに節がついて、それがメロディーとして固定した・・・ナンチテ(^^ゞ まぁ、私、民俗学者でもないし、参考文献を当たってみたわけでもないので、全くの推量なのだけど、 少なくとも私にとっての歌って、まさにそういうものだったよなぁ~~と、再認識したのは事実です。 その場その場で、心に大きな負担がかかった時、大きな喜びを感じたとき、 よく、人のいない場所へ行っては、その時々のイメージに合った歌を歌ったものでした。 クラッシックや童謡、歌謡曲や民謡。耳に残ってる曲なら、そらもう、なんでもです(^。^) その時、そんな気持ちを持ったまま、皆と歌って良い場「ゴスペル」があったら、 きっと、本場のクワイヤの人のように、表情豊かに、目一杯大声を張り上げて歌うのだろうなぁって、 ・・・・なんだかそういう自分が見えるような気がしたのでした。 だからこそ合唱とゴスペルは違うのかなぁ~と。 合唱のように、計算をしつくした美しい発声を紡ぎ出すというスタイルでは、ゴスペルは歌えないかも。 どちらかというと、ウィーン少年合唱団のような「賛美歌」スタイルになっちゃう?(~_~;) ゴスペルは、やっぱり、おもいっきり叫ぶように歌うのが、ほんとなのかも。 そうじゃないと、心の扉は開かない・・・・そんな気がするなぁ。 もう一度いっときますが、この日記の見解は、私個人の意見でしかありませんので、ご了承くださいませネ! ゴスペルじゃなくても、カラオケで目一杯歌ったり、大声で怒鳴ってみたり(爆) 声、音、歌を、おもいっきり出してみませんか? (もちろん、迷惑のかからない時と場所に限りますヨ(~_~;)) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[時には真面目に] カテゴリの最新記事
|