2008/12/26(金)10:37
文語体が気になる。
先日の演奏会で、
「きよしこのよる」を歌いましょう。
というのがあって、客席にいた私もなんとなく歌ってみた。
というか、歌おうという意思がなくとも、
これくらい、聴きなれ、歌いなれた曲になると、
口が勝手に動く
のである。
そこに脳の働きはない。
こういう歌は物心付く前から口ずさみ、
その後も特に歌詞の意味を考えたりすることもなかった。
だから、
♪救いの御子は御母の胸に~
という歌詞の「救いの御子」というのは、
救いのみー子さん
と言うありがたい女性がいて
我々を救ってくれるのだと思っていた。
そう、24時間テレビ風に言うならば、
「愛ではなくて、みー子が地球を救う」
レッツせかいへいわ。
('▽'*)ニパッ♪
最後の、
「夢やすく」
と言うのも、
夢は安い。
もしくは、
夢は安く手に入れる。
ドリーム イズ チープ
宝くじの季節だし、
年末で物入りだし、安いに越した事は・・・。
クリスマス・ソングというのは宗教色強く、
これって難しい歌詞だな~~。
と最近感じたのが、
「もろびとこぞりて」
だいたい、題名からして呪文的。
歌詞
諸人(もろびと)こぞりて 迎えまつれ
久しく待ちにし ←ここの印象が薄い
主は来ませり
主は来ませり 主は、主は来ませり
「久しく待ちにし」
の部分がさっぱり覚えられないのだが、
やっぱり、その後の
♪シューワッキマーセエリィーーー
シューワッキマーセエリィーーー
シュワシュワーーー
の部分があまりにインパクトが強すぎるせいだと思う。
これくらいリズムも軽快、発音もしやすいとなれば、日本語でなくたって構わないとすら思う。
アーノルド・シュワルツネッガー知事はこの現象について、
どのような見解をお持ちであろうか。
私は特に宗教教育を受けたわけではないので、
主
とか
汝
とかが、
不動産の規約の「甲」とか「乙」みたいな形で連呼される聖書は、
とにかくちんぷんかんぷん、すっとこどっこいなのだが、
こういう
文語体
の歌詞は適度に意味も分からず、
適度にありがたみもあって、
適度に無宗教な民にも歌いやすくて、
うまいことできてるっ!
と感心してしまったりする。
文語体萌へ。
この「もろびとこぞりて」をもし、
「諸人こぞりて」→みんな集まって!
などと現代風に訳してしまったなら、
神様信じてる人のコミュ。
みたいなかる~いノリになってしまう気がする。
そういえば、映画の題名でも、
「風と共に去りぬ」
これは、秀逸。
特に、
「去りぬ」
あたりが萌え。
「ぬ」←この一語にどれだけの深い思いがつまっていようか。
スカーレットがこの題名を知ったなら、
「ぬ」←この一語だけで、どれだけの涙を流すであろうか。
「ぬ」と言えば、
夏は来ぬ
という歌もあるが、
これって
「夏はきぬ」
と読むから良いのであって、
これを
「夏はこぬ」
と読んでしまったら、
夏は来ない。
春も来ない。
あなたの人生、冬オンリー ジャジャーン♪
( ̄□||||!!
みたいな歌になってしまうので、気をつけたい。
文語体、萌へ。