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誤解を恐れず言うならば、「スピリチュアル」が苦手です。
早く、ブームが終われば良いのにな。と思ってます。 と言うのも、 いつもは普通のヨガをやってるのですが、 先日うっかり、 「スピリチュアル・ヨガ」 と言うレッスンを受けてしまいました。 「あなたの弱さ、それもあなたの個性なのです。」 「無理をしないで、体をピンクやオレンジのオーラでいっぱいにしましょう!」 「もう自分に厳しくするのをお休みして、自分自身を褒めてあげて下さい。」 とうわごとのような文句を散々聞かされた挙句、 「さあ!がんばった自分へのご褒美に、 しっかり呼吸して酸素を体いっぱい取り入れましょう。」 頑張ったご褒美が酸素かいっ! とか心の中で突っ込みながらも、なーんか感じるこの違和感。 みんな、そーんなに自分に厳しく生きてるのかなあ・・・。 そんな具合で、先生のぬる~~い台詞を1時間も聞いてると、 なんだかプラスのパワーまでも吸い取られてしまう気がして、 「あほらしー。私はしっかり生きよう・・・。」と強く思うのであった。 私の子供の頃はとにかく、 「頑張れ!頑張れ!」 という時代で、 小学校の時の担任の中には、戦前生まれも少なくなく、 「戦中、いかに苦労したか。」 「戦後、どれだけ日本が飛躍したか。」 そして、 「現代の子供は、いかに恵まれた日常を送ってるのか。」 と言う事ばっかり聞かされたように思います。 「おしん」 なんかが流行ってたし、 「小公女セーラ」 は、毎週毎週、胸をかきむしられる思いで見たものでした。 それが、最近BSで再放送をやっていて、何十年かぶりに見たのですが、 やっぱり、胸をかきむしられる思いがしました。 「お・・・おだまりっ!」 「はいっ!院長先生!」 と、1年間で何度聞いた事でしょう。 セーラという富豪の少女が親を亡くした為に、 女中としてこき使われるのですが、 オトナになった今、見たら、 背景から察するに、ロンドンの気温はこの季節、何度くらいで、 セーラの年齢も合わせ考えると、 次回あたりでセーラは死んでしまうのではないか・・・。 と具体的に心配になります。 手を変え品を変え、毎週毎週セーラに困難が降りかかります。 ある時、ペーターという少年が、 「もう、こんな所から出よう!ウチに来るといい!」 と助けに来るのですが、 そこでも、セーラの台詞は凄い! 「私、ここで逃げたら、自分に負けたような気がするの。」 ですって・・・。 けなげです。 ええ、とっても・・・。 けなげで、気高さを忘れないお嬢様。うふ。 このアニメ、 「セーラはかわいそう・・・。私は幸せでよかった。」 という心理で惹きつけられるのだと思ってましたが、 もしかして・・・。 と、ある思いが私の胸によぎります。 視聴者は、自分をセーラに投影させてるのではないだろうか・・・。 そして、 「私ってかわいそう・・・。」 と思う時には、きっと脳内にかわいそ物質(仮名)が分泌され、 陶酔状態が続くに違いない。(仮説) その証拠に、 ↑ 緑の服を着たセーラは髪が黒(厳密には紺) それ以外の生徒はみんな茶色か黄色。 つまり、黒髪の日本の良い子のために作られたアニメだという事です。 また特筆すべきは、オープニングとエンディング。 オープニング エンディング さらに涙と同情を誘います。 こんな歌詞、現代の歌手に書けるでしょうか。 さらに、エンディングの編曲は先日札響をお振りになった服部先生です。 先に申し上げたスピリチュアルの件ですが、 昔は苦しい事にも耐えたのにスピリチュアルは甘いと思ってましたが、 「かわいそうな私」 という観点から考えると、 案外、人の心理と言う物は、普遍的な物なのかもしれませんなあ。←他人事 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009年07月23日 08時45分02秒
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