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2018.07.08
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カテゴリ:つぶやき
This world was never meant for one as beautiful as you.

この世の中は、あなたほど美しい心を持つ人には ふさわしくなかっただけなんだよ。


Quoted from "Vincent (Starry, Starry Night)" by Don McLean




5月末日のことです。

NHKの21時台のニュース『ニュースウォッチ9』で、ある若き歌人のことが紹介されていました。


“非正規”歌人が残したもの


この若き歌人とは、萩原慎一郎さんという方で、昨年32歳にして自ら命を絶たれたのだそうです。

将来を期待された若手の歌人だったそうなのですが、中学時代にいじめにあい、その後遺症から精神科に通う日々が続いていたそうです。

通信制の大学を卒業されたのち、非正規で働きながら、歌を詠む日々が続いていたようです。

“シュレッダーのごみ捨てにゆく シュレッダーのごみは誰かが捨てねばならず”


“夜明けとはぼくにとっては残酷だ 朝になったら下っ端だから”


死の半年ほど前から、仕事も休みがちになってしまったという萩原さん。

会社で見かける同世代の若者の姿―新卒の正社員が仲良くランチしていたり、同じ年頃の人に子どもが産まれた・・・なんて話を耳にしたりしてしまうとつらい、とこぼしていたそうです。



・・・・・・



この特集を見て、私もとてもつらい気持ちになりました。

萩原さんの感じたつらさが、とてもよく伝わってきたからです。



・・・・・・



私もこれまでいろいろな雇用形態で働いてきていて・・・



私が大学4年のときに就職活動をしたのは2000年のことで、その頃はものすごい就職氷河期だったんです。それでも、新卒時はなんとか正社員として働き始めました。・・・が、その会社は、ブラック企業とまでは言いませんが限りなくダークグレーな感じの会社で。

その後、職を転々とすることになるのですが・・・



ある大企業の子会社に就職したときは悲惨でした。

私はその大企業の子会社に正採用されたのですが、職場は親会社へと派遣されまして・・・。

そこは、一言で言い表すとすれば、「いやー、日本にはまだ身分制度があったんですね・・・」という感じの職場でした。

親会社様の正社員の方々に、いばられて、見下されて、本当に身も心もボロボロにされました。

・・・そこって、今でも毎日CMを目にしない日はないほどの大企業なのですが、その企業のものすごく素敵なCMが流れるたびに、そのCMに描かれている世界観とあの会社の実態を比べてしまい、私は思うのです。

「ケッ!あんなクソ会社、とっととつぶれちまえ!」

・・・と(笑)。まあそれはちょっと言いすぎだとは思うのですが、それでもまあ、その会社のCMを目にするたびに心がチクリと痛むのは今でも変わりません。




その後のフリーランス時代も、つらかったことはたくさんありました。

特に、2年間続けさせてもらえるという前提で採用された仕事を、いきなり半年で打ち切られたときはものすごくショックでしたね・・・。

その頃は、朝から晩までその仕事だけに専念して働いていたので、先方の都合でいきなり収入源がなくなるっていうのは本当にきつかったです。



30代になって派遣社員として働いたときも、正職員の方々にはひどい利用のされ方をしました。

ハケンという期限付き労働者であった私は、彼らにとっては本当に都合のよい存在だったらしく。

職場における英語・日本語間のコミュニケーションの橋渡しをするのが私の主な仕事だったのですが・・・。

彼らは、私が「通訳」であることを建前に、摩擦が起きそうな言いにくいことは全て私に言わせ、そのことで問題が起きたら(そしてたいがい問題が起きていた)、私に対して怒りをぶつけてきました。それでいて、彼らはお互いが顔を合わせるときは何事もなかったかのように、ものすごく慎重に、丁寧に接するのです。

使い捨てのハケンに過ぎなかった私は、彼らにとって、体のいい気持ちのはけ口だったんだろうなあ。

結局私は、ただただ、彼らのサンドバッグみたいな役割を演じていました。

・・・しかしながら、いかんせん私も人間ですから、やっぱり毎日サンドバッグにされていたのではきつかったですよ。

私自身に二枚舌を使い分けられるような要領のよさがあればよかったのかもしれませんが、かつての上司から「生真面目」と評されたような、こんな性格ですからねぇ・・・。

結局、かなり上の職位にある方から「この侮辱だけは見過ごせない・・・」という発言を受け、私は仕事を辞める覚悟で、直属の上司にその不当性を訴えました。・・・そして、結局はその職場を去ることになりました。

ハケンの小さな反乱。

それは、そのハケンが辞めてしまえば、簡単に火消ができてしまうんだよなあ。



・・・・・・



そして私も、20代の半ばからずっと病院通いで。

それだけを理由にするのはちょっとずるいかもしれないとは思うけど、結婚なんて遠い現実で、考える余裕もありませんでした。

・・・そうこうしているうちに、気が付いたらもういい年で。

なーんにも手にしていないのに、病気だけは増えてきて。

なんだかもう、ほんとやんなっちゃうよ・・・。



・・・・・・



だから、最近はずーっと落ち込んでいました。

40年近くも生きてきて、何一つ手にしていない自分は要領が悪いし、不器用だし、情けない・・・その上健康状態まで悪いとは。

現世でそれほどの悪行をした覚えはないから、だとしたら前世では相当な悪人で、今はその罰でも受けているんだろうか・・・?

・・・なーんて、そんなわけもないんだろうけど。



・・・でもなあ。


私はひとつだけ、確信をもって言えることがあるのだけれど、それは、自分は頑張ってきたってことです。


なんにも手にしていないけど、でも、ずっと頑張って生きてきたじゃん。


頑張ってきたこと。


それだけでも、認めてあげようよ。



・・・・・・



今私は、生きるというのは、つらいことなのだと思っています。

思うようにならないことやダメな自分を受け入れることも、人生には必要で、それができるようになることも、またひとつの成長なのだと思います。

ただ。

自分がどんなにダメな奴だとしても、そして運命がひどい仕打ちをしてきてくじけそうになってしまったとしても、それでも、自分は自分を見捨てないでいてあげないと。

自分で自分を見限ってしまったら、それはもう本当におしまいなわけで。



・・・・・・



32歳という若さで、この世から旅立っていった萩原さん。

そして、彼の遺作となった歌集『滑走路』。

ずっと読んでみたいと思っているのですが、今の私にそれを読む勇気はありません。

読んでしまったら、彼の思いが伝わりすぎて、きっとつらくてしかたがなくなってしまうと思うから。



ただひとつ悔やまれるのは、彼がもし私の身近な家族や友人であったとしたら、手を取って励ましてあげたかった。


つらくても、なんとかふんばろうよって。
私もふんばるからさって。



ずっとつらかった人生にあっても、幸せを追い求め、生き抜いてきた萩原さん。

あなたのご冥福を、心よりお祈りいたします。


​“あらゆる悲劇咀嚼しながら生きてきた いつかしあわせになると信じて”​



 歌集 滑走路 [ 萩原 慎一郎 ]






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最終更新日  2019.02.03 23:43:13
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