夢を紡ぐ徒然日記

2006/07/11(火)18:47

戦雲の夢/司馬遼太郎

趣味・読書(14)

 土佐の武将・長曾我部盛親の関ヶ原から大阪/夏の陣までの波乱の生涯を描いた作品。  長曾我部盛親は、実父である長曾我部元親の後を継ぎ、土佐一国(二十二万石)を率いていた。関ヶ原の合戦が生じた時、土佐という地理的不利により期せずして西軍に組み込まれてしまい、ほとんど戦わずして敗軍の将となってしまう。  そして、山内一豊に土佐を奪われ、当人は牢人の身に堕ち,長曾我部家代々の家臣達も散り散りとなる破目に・・・・・。  牢人となった盛親は、捲土重来の日を夢見ながら鬱屈した日々を送る。  やがて、時は満ちて、東軍(徳川家)と西軍(豊臣家)が再び戦端を開いた時、西軍に勝ち目はないと冷静に判断を下しておきながら、西軍に付いて大阪城に篭城する盛親の姿があった・・・・・。  本作品の全編を通じて底流にあるテーマは、作品中の言葉を借りると、  『人間の一生が仕合わせであったかどうかは、息を引き取る時、自分の一生が納得出来るかどうかで決まる』  という一節に要約されていると思う。  すなわち、どう生きたかという生き様(過程)が大切であって、どう死ぬかという死に様(結果)はその付随物に過ぎないという考えだ。  但し、本編の主人公である長曾我部盛親が、その生涯の最後においてどのような感慨を抱いたかは、作品中で明らかになることはなかった。  寧ろ、旧家臣団の中で誰よりも盛親を慕っていながら、大阪/冬の陣の合戦場において、藤堂高虎の武将として旧主と対峙し、盛親の勇猛果敢な大将振る舞いに涙を流して喜びながら、自らは旧主に刃を向けることはせず、昔と変わらず盛親を主と仰ぐ旧長曾我部の武将達の手にかかってその生を全うした桑名弥次兵衛にこそ、悔いのない死に様を見たように感じた。

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