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様々なストレスを受け自身の極限を感じている場合。
極限とは、自分は死ぬしかないとか、得体のしれない恐怖心劣等感から、他者への殺意などが頭をよぎるとき。 それを踏みとどまらせることができるのは、自分の存在を少しでも認めてもらえること、いくばくかの愛。 自分の存在を否定されたときに「生きている価値がない」と感じてしまう。 親が子を愛することは当然のことだが、子が実感を持って日々生きているのか。 親はその一点に心を配らなくてはいけないと思う。 親から愛されていると心から感じられる生活であるか? 自分が必要とされているのだと感じられる生活であるか? 愛を感じる能力は人それぞれであり、親は独りよがりではいけない。 私はこんなに愛しているのにという考え方は言い訳に過ぎない。 微笑み、言葉、ハグ、手紙、サイン。 伝わるように伝わるように子をよく見て、子に合わせること。 子の顔を見ればいかに愛すべき美点があるのか感じずにいられない。 いらだちを持った目で見てはいけないと、子から顔をそむけることもあるだろう。 そんな時こそ子の顔を見れば、子が傷ついている様に気づき抱きしめずにいられなくなるだろう。 見ること。みつめること。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年11月17日 21時58分12秒
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