2007/02/25(日)09:59
もし、○○になってしまったら
高齢で車椅子の生活になってしまった姑、訪ねる度に不便と無聊をかこち、うったえる。若いうちに夫を亡くしあの戦争中3人の子を育て、生き抜いた98歳の明治人。ぼけてはいない。
不自由はある程度仕方がないこと、もし、楽しみ、やりたいことに興味があれば生きがいも湧いてこよう。いっしょに考えてあげようとしたのだけれど、なにしろ明治生まれのがんこな、かたくなな人、聞く耳持ち合わせない。案をだしても反応が今ひとつ。
自分用に考えてみる。
1.読書
もうこれは私の一部となっている習慣だから、きっと超高齢になっても読めると思う。もし目が悪くなってしまったら、大きな文字の本もあるし、CDもあるからそれで我慢しよう。
2.インターネット
パソコンが出来るようになって12年、アイコン発明のおかげ、最初の頃の文字ばかりのコンピューターで悪戦苦闘投げ出したしまったことを考えると、車の運転が出来るようになった時より嬉しかった。これもからだの一部、小型で簡単、文字の大きいのがこれから出来ると思うから、楽しみの一つとなるし、行動範囲(知識、購買等々)も広くなろう。
3.編み物
これも好き。編み棒といろとりどりの毛糸。場所をとらず座って出来る。ただし現在、根気がなくなりし続けていないのが不安材料。
4.はがき絵、絵手紙
水彩画をやっていたのだが、ここ5年、仕事と移動と畑で時間がなくなり一枚も描けていないのを残念に思っている。小さい絵で実現。
5.パッチワーク
裁縫は苦手なのだけれど、四角いものをちくちく縫うのは私に合っている。ぞうきんでもいい。
6.カメラ
デジタルカメラの出現で、自分で処理できる楽しみ。「車椅子の目線から」なんていう写真集。
7.小説を書く、創作をする
これは夢。というか目も悪くなり上記が出来ないとなると文章か、俳句などを録音してもいいかなと思った。もしそれも出来なければ、想像力を発揮して物語を頭の中で創るのはどう?
たちどころに7つも出てきたのだが、これはわたし用。姑の好きなものではない。
姑は55歳から山岳会に入って山登り、旅行を30年してきた趣味。責めるわけではないけれど、その思い出を整理して残しておけばよかったのに。整理整頓が苦手でしていない。頭の記憶も98になればあやふやで(大昔の思い出ははっきりしているが)聴いてあげたくもはかばかしくない。
とそこで読書記録と読書感想はしておくべきだ、と私への教訓だ。ただしぼけなかったらの話、ぼけたら何の心配も無い。だから姑はぼけてないのが悩み!?