入院、手術(副鼻腔の)、退院してきた
命にかかわる病気ではないが、全身麻酔は命の危険がある
ともかくも生還したことを嬉しく思おう(大げさ)
お産を除いて入院手術はこれで3度目
そのたびに同病室の患者さんで印象に残る人々がある
同病相哀れむもということもあるけれども
病んでいる時にこそ、垣間見える人間性に惹かれるのである
最初の手術は12歳の時の盲腸
昭和20年代で入院中は母が付き添い
食事は自炊というレトロ時代
小学生故、お見舞い品がなにしろ嬉しかった
幼く人の機微には気が付かなかったようである
そういえば、先日その6年生の同期会に60年ぶりに出席した時
すっかり名前も印象も薄れてしまったクラスメートの男性に
「会っているうちに思い出したよ、盲腸したでしょ、
僕お見舞いに行ったよ、わずかなお小遣いで飴など買ってね」
なんて懐かしがってくれたのに恐縮してしまった(汗
二度目は35歳の時、駅の階段から落ちて
左のおでこを強打し、左目が網膜剥離になり入院手術
東京の順天堂病院だった
この時はもしかして失明もあり得るという精神的にも苦痛な状況
6人部屋の人々もみな重篤な目の病気だった
自分の不安でそれどころではなかったのだが
時間が経つにつれて、皆の様子がわかってくる
15歳くらいの美少女が先天性の「そこひ」だった
わがままいっぱい、あれこれ言いたい放題
看護師さんも気をつかっているし
見舞いに来る母親も甘やかし放題
見聞きしているわたしは一発張ってやったらいいのではないかと思った
でも
で高級なヨックモックのチョコレートクッキーを(当時は今のゴディバくらいランク)
ひとり次から次へ紙をはがして食べている横顔の寂しさ
それをを見てしまい、と胸を付かれてしまった
あれから37年、どのような人生をすごしているのだろうか
隣のベッドの女性は私と同じ網膜剥離、しかも両目
同年代でもあったので幼い子供が家にいてだんなさんも仕事を休まざるをえない
妻の看護もままならず、いつも誰の見舞いもなく、一人でじっと耐えていた
わたしはやはり幼子が居たけれども、姑、母が交代で介助してくれていた
毎日見舞いに来る母がわたしにあれこれと看護してくれるのが
隣にいて感じられ、とてもつらかったのではないかと思うと
今でもわたしはすまない気持ちになる
朝、起きるなりお経をあげていたふたりのおばあさんたち
きっと、なにかの宗教信徒だったのだろう
完全に失明されてしまったが
「お灯明のような光」だけは見えると喜んでいたのが印象的
それなのにとても親切なひとたちで忘れがたい
幸い
わたしの左目の網膜剥離はその時点より変化はない
そして今回また
2名、忘れがたい人に巡り合ったのであった
退院して間がないのでいろいろ症状が出る
疲れるのでこの辺でまた