カテゴリ:読書メモ
この新書はプルースト『失われた時を求めて』の紹介とおっしゃっていますが、やはり作品(抄訳でも)を読みながら読んだのでよかったですよ。またはこの新書を読み始めたら、作品を手に取らずにはいられなくなるのかもしれません。
小説を書きながら文学を追求しているプルーストは贅沢と言えるのかもしれません。そして全訳をなさった鈴木道彦氏も(わたくしの読了した)抄訳版を三冊にまとめながら研究に励むことが出来てよろしかったのじゃございませんか。いえこの新書版の著書をお書きになったから抄訳版が出来たとか? 解説を読んでわかったのですが、『失われた時を求めて』七篇のうち「第五編囚われの女」「第六編逃げ去る女」「第七編見出された時」はプルースト死後、弟や関係者が遺稿をまとめたものとか、とするとこの長い小説の半分近くは未完だったわけで、下書きの草稿やメモなどがあったとしても作者プルーストとしてはまだまだ書き足りない、刊行した四篇だって手を入れたかったでしょうね。 それも 「私にはこの未完成が、人生そのもの姿のように映る。どんな生涯も未完のまま終了するものだし、どんな人でも、意欲的に生きようとすればするほど、かならず業半ばで倒れるほかない。」 と鈴木道彦氏はおっしゃってます。 それにしても『失われた時を求めて』は密度の高い示唆に富んでいてストーリーの意外さは凄いですね。「何度も読みたくなる」という中毒性もあります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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どういうわけか、俄然小説らしくなってくるのは、恋の顛末を描いた未完部分なんです。たしかに不整合な個所はあるのですけど、登場人物の性格もよりくっきりとしている気もします。これは主観なので他の人はどう感じるかはわかりませんけど…。
(2019年03月18日 07時09分57秒)
七詩さんへ
おっしゃるように、アルベルチーヌ登場によって「私」の「他」に対する意識、働きかけがわかってきますね。それまでは観察していて自分の中で消化しているような感じでした。それが文学になるのですけど。 ちなみに、ほんとこの「私」は隠れて他人を見るのが好き(笑) 「私」は現実に直面しても自分の中で「ああか、こうか」とひとりずもうばかり、めんどくさい人ですねぇ(笑)リアル社会にも居そうですね。 (2019年03月18日 11時44分46秒) |
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