やっぱり読書 おいのこぶみ

2019/05/01(水)20:52

昭和、平成、そして令和

世間様の騒ぎはよそに見ているわたしでも、何か書いておこうかなと思わぬでもない。 この頃は西暦しか使わないので、必要な時に元号に換算するのが(2019年ー1988=31年)面倒くさく、今じゃこんがらかって電卓でしかできなくなってしまった。こんどは(2019年ー2018=1年)となるのでちょっとは楽のようだが。 それはさておき、人生生活を振り返ってみるのに、元号はくくりとして便利ではある、何の根拠もないのだけれども。 わたしの昭和は生まれて成長して教育を受け就職をして結婚をし、子供を産み中年になった。戦後のモノが何もないのが当たり前の生活から、高度経済成長期の流れに沿って、家を買うのから始まって家具やら家電を揃えることやら、モノがどんどん増えていったという感じだ。 平成になると子育ては終わり、自分たちが楽しもうとなる。バブル崩壊後それでもわたしたちの世代は、残り香があって中年から老年を楽々通過という次第。しかし、はっと気が付けば膨大なモノに囲まれ、いろいろ持ちすぎているのである。 断捨離、この4月の終わりに最後の整理、一軒家の処分が済んだ。これも縁というものだろう。令和には身軽になりながら足るを知り、楽しく生きて、死んでゆきたいものである。 そういえば平成の時は当然だけど静かに過ぎて、感想はもうすっかり忘れている。もちろんこんなネットもなかったし。 あの頃千葉敦子さんの『ニューヨークの24時間』を読んでアメリカでは通信したり、調べ物をしたり出来るのだと知り、別世界のことに思っていたのに、平成に入るとあれよあれよという間のネット世界の浸透。やっぱり情報があり過ぎているようで。

続きを読む

このブログでよく読まれている記事

もっと見る

総合記事ランキング

もっと見る