2022/04/26(火)08:58
「だれも信じていないはずの出来事が起きる。」
「だれも信じていないはずの出来事が起きる。」
昨日読み終わった町屋良平さんの最新作『ほんのこども』の一節です。(P237)
なんとなく近々の「ロシアのウクライナ侵攻」の驚愕?憂慮?を想起してしまいます。
予言的ととってしまいそうです。まあ、文学は普遍性が感動を与えるものですから。
その続きの文章はこうです
だれも信じていないはずの出来事が起きる。出来事が世界を圧倒し、信じるためのフィクションが戸惑う。物語の現実性が、現実の物語性とぶつかって、ありえてはいけない場が山脈のようにうるうる浮きあがる。こんなのは物語の空中交換が孕んだ悪辣の延命というか、そののびた大地で果たされる妄言の現実化といった、フィクション化された現実の間隙をつく自暴自棄と憎悪のまざった歴史的忘我なのでは?
なんだかわかりにくい文章で、ほとんど全編このようでしたから読むのに苦労(時間がかかり、図書館借り出し期間ギリギリ)でしたが、妙に惹かれてもいくんです。わたしは文間から立ち上るものを読むのが好きですが、そんな余裕がないくらいびっしりと書かれた文面、よーし読みこなしてやれって! 笑
ストーリ展開は、語り手の友人あべくん(主人公?)は成長過程に虐待児だったので、長じて暴力的に生きるのですが、そのあべくんの志向(嗜好)がホロコースト関係の書を読むのを好み、語り手も彼を知りたくて同じように読んでいき、哲学するように、あべくんを読み解いていくのです。しかも、私小説にして書きたいという、書き手(小説家)という設定ですからややこしいのでした。
傑作なのかどうか、わかりません、でも、ぼんやりわかればいいんじゃありません!?
ところでこの本の前に深緑野分さんの『ベルリンは晴れているか』を読んだのですが、それぞれの本のカバーイラストを描いたのが同じ小山義人さん。何とも言えないぞわっとした印象をうけます。
何を読んでも「現況」を連想してしまうループにはいってしまったのか!と思っています。