やっぱり読書 おいのこぶみ

2023/09/17(日)15:14

そうだったのか

読書メモ(479)

​丸谷才一『忠臣蔵とは何か』​ 暮れには早いが、今年もどこかでやるだろう「忠臣蔵」劇。 あらすじは知っている「忠臣蔵」が、何だったのかとは考えたこともなかったが、この本はそれが狙いだ。 わたしは歌舞伎も映画もTVドラマも消極的だったのだけれど、積読本の一冊だからという理由で読み、目から鱗。がぜん興味がわいた。 1984年発行、当時は話題になった文学史的研究の書。丸谷才一の旧仮名遣いは有名で、名文なのだが構成や表現も少々読みにくいけど。 「忠臣蔵」が、単なる事件のお芝居ではなく何か、だったというこの研究文章の趣旨をわたしなりにまとめると ***** 元禄14年(1701年)に「刃傷沙汰・敵討ち」事件があって、その事件が「仮名手本忠臣蔵」という浄瑠璃、歌舞伎になったのが、約50年近くたった時(寛延元年1748年)である。 その人形浄瑠璃や歌舞伎の芝居が江戸時代になぜこんなに流行ったのか?続いたのか?その当時の日本人全体や3都(江戸・大阪・京都)の人々の思いを分析すれば、わかるという。 「忠臣蔵」事件のあった時代も天災(地震、大風、洪水、疫病...。あら、現代もそうだ!)が絶え間なくあり、江戸では大火事、加えて圧政(徳川綱吉時代「生類憐みの令」など)に苦しめられていた封建時代、反抗するなどもってのほかであった。 もともと太古の昔から人知の及ばないことは、呪術的に祈るしかない、神楽など芝居奉納はその一つであった。魂静めと同時に鬱屈した人々を慰めたのは、身代わりのような登場人物にお芝居させ、それを見て想像力をひらめかし、解消させた。 「忠臣蔵」事件はその素材にうってつけだった。 ひと時代前の歌舞伎の題材「曽我兄弟の敵討ち」の下地もあって、より芝居が洗練された。 両事件のパロディ芝居をやった(怨霊を鎮めるための奉納)後に、「曽我兄弟の敵討ち」は鎌倉の頼朝、「忠臣蔵」は綱吉という暴君の為政者が滅びる(偶然としても)経験をしたので、人々は密かに溜飲が下がって、加えて娯楽としても大いに流行ったのであった。 ***** まとめてしまうと、丸谷才一氏がたくさんの資料を読みこなして、したためた名文はどこへやらだが、なかなか読みごたえがあってかつ、その推理のような研究に満足した。 ​丸谷氏の研究は研究として、そんなことを頭に入れながら今年の暮は「忠臣蔵」観るかな。​

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