カテゴリ:日記
■英語のお話
tearという単語があります。 これをティアーと読めば日本でもわりと有名な涙という意味になります。 実は別にもうひとつ読み方があって、テアーと読めば引き裂くという意味になります。 語源はたぶん他にあるのでしょうが、なかなか興味深い。 tearはうれしさというよりもむしろ悲しみで心をtearされたときに使うような気がします。 ■百人一首そのほかのお話 今日は百人一首大会があった。 冬休みの宿題で百人一首記憶が課題となり、それを活かす場を、との先生側の配慮だったらしいが、 これが相当に要らない。 まず、LHRの時間を使うとか気が狂っている。 国語のことなんだから国語の時間にすればいいのに、どうしても授業時間は減らしたくないようだ。 名目上生徒主催ということにして総務副総務に仕事を押し付けるのもうざさ12割増しに一役買っている。 誰が無報酬に自分の仕事の増加を喜べるだろうか?(反語) だいたい今日のLHRは生徒会からの配り物をする時間にしようと思っていたのに、それすら叶わない。 1年全体でやりだしたからね。 ついでにいうなれば、百人一首の存在自体いらない。 藤原定価とか墓穴から掘り出してもう一回殺してやりたいわ。 そのせいで現代の若者がどれだけ困ったことになっているか……。 そんな百人一首大会であったが、結局下の句を聞くだけで10枚弱取ることに成功。 班としてもその85%を我が物とした。 正直、相手が可哀想だった。 まぁ、そんなフルボッコをしてしまったためか、わが班は学年全体の優秀賞をいただいてしまった。 だが、俺は表彰よりも早く解散にして欲しかった。 だって昼休みだぜ? もうチャイム鳴ってるんだぜ? 弁当食べないといけないし、そして何より…… このHRに配ってもらう予定だったプリントを各クラスに配布しないといけないんだぜ? そのためにはこの昼休みに放送をかけて各クラスの総務を召喚しないといけないんだぜ? お前らのせいで配れなかったのにまだ引き伸ばすつもりですか? こんなことを思っているやつがいるとも知らずに、クラスの表彰に移る。 なぜか1位を取ってしまう我らが5組。 総務である以上5組を代表して表彰されに行かねばならない。 しかし、やっぱり表彰なんてどうでもいいからさっさと終わって欲しいというホンネ。 耐えたさ。耐えましたよ。 同時に昼休みは過ぎていったけど。 結局放送をかけられたのは昼休みも半分終わろうかというときだった。 集まってくれた総務の人たちには本当に申し訳なかった。 ■昔の話。 どうも人格の完成は少なくとも中学以降のようで、今の日記と昔の日記は全然違う。 なにが違うか端的に言うと、もうそれはすさまじくセンスが違う。 昔の俺は感受性と、それを表現する言葉と、なににも縛られない心があったように思う。 昨日の晩、百人一首も覚えずにそう思った。 以下、ひとつの例を挙げてみる。 ○vs法の守護者 ルールにより互戦。静寂の中黒石を握る。まずここで先番を取れるかが勝利の鍵だ。戦いは戦いの前から始まっている。 そして管理人は黒石を一つ握る。1以外の選択肢は無い。1が自分であり自分が1なのだ。 そして相手の握った石を数える。二個ずつに分けられたはずであった石達の中に一つ孤独の中にたたずんだ者がいた。 こうして管理人は先番を得、試合は始まった。管理人がテンポよく打つのに対抗するように敵もうまく打ってくる。 序盤で地の分かれ方はハッキリとしたものになった。上辺から左上隅、左辺にかけてが管理人の地。 中央はまだ定まらず右辺と下辺が敵の地だ。さらに敵の地を分断するようにして管理人の兵たちが点在している。 とにかくまずは生きの定まらない分断する兵たちを生かさなければならない。管理人はそう思いつつ打つ。 しかし敵も負けじと右上隅に勝負を仕掛けに来る。ここはさすがに味方勢力があまり無かったのでなるべく被害を小さくしようとする。 ところが管理人のものであったはずの右上隅の石がてきの進入によって怪しくなってしまった。こちらにも手を打たねばならない。 その間にも相手は未確定である中央を確保しにくる。管理人も負けたままというわけにはいかない。 分断用の兵士たちを今度はフルに活用し、相手の地を両断、さらに中央を荒らしにいく。 けれどもさすがに法の守護者、堅実に守りつつも分断勢力たちを圧迫してくる。 そちらの方にも気を使わねばならなかった管理人はそこまで勝負に出れなかった。 しかし、このままで引き下がるわけにはいかない。荒らされそうな左上隅をなるべく大きく、そして確実にものにしていく。 終わってみれば差は20~30目。管理人の敗戦後の巻き返しが始まった。 (2006/5/15より抜粋) 囲碁の戦線解説をこれだけのボキャを用いて書くことができるだろうか? 今の自分にはできない。というか対局を思い出せない。 これを見てるとその対局しているときの考えがありありと思い浮かぶ。 対局者名の法の守護者だってその自由な発想から生まれたものだし。 今はネタだなんだと固定された場所から固定されたものを取り出す画一的なところで生きているからそんな力が失せてしまっている。 なんかもったいない気がするなぁ…… お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Jan 18, 2008 10:34:37 PM
コメント(0) | コメントを書く
[日記] カテゴリの最新記事
|
|