本読みのひとりごと

2007/12/29(土)18:08

結婚式、ぶじに終わりました。

花嫁日記(48)

長らくご無沙汰をいたしました。 先週末、ぶじに結婚式を終え、北国の家に帰ってまいりました。 空白になっている1ヶ月ぶんの日記は、時間がゆるせばのんびりと清書して掲載するつもりなので、来年もこれまで同様、どうか気長にお付き合いくださいませ。  * さて、今週は急ぎの仕事(年賀状とか、お金のこととか)を済ませ、冷蔵庫に残っていたりんごで、やわらかめのりんごジャムを煮ました。 やさしい、甘い香りの湯気がたちのぼって、心も体もゆっくり日常に戻ってゆく感じ。 ああ、終わったんだなあ、結婚式。  * 式当日は心配していた雪も降らず、3日連続で温泉に通ったのでお肌のコンディションもベスト。 くま母さんが作ってくれたひとくちおにぎりとサンドイッチを手に、いざ出陣! 身支度をしている間は家族が出入りしたり、美容師さんと話したりして気がまぎれていたのだけれど、支度が整って控え室に入ったら途端に緊張がせり上がってきて、さまざまな気持ちと入り混じって涙が出そうになる。 心臓が口から飛び出しそうなほどどきどきしながら控え室を出たら、式場の扉の前で、お父さんがわたしを待っていた。 「お父さん、どうしよう。緊張するよ」と泣き声を出したら、 「だいじょうぶ。落ち着いて。ほら、行くよ」とお父さん。 胸のあたりにずっと引っかかったまま、今日まで言えずにいた言葉を口にする間もなく、ゆっくり開かれた扉の隙間から、拍手と歓声、それにやさしい暖色の光が見えた。 マリアヴェールは両親の愛に守られて育った少女時代の象徴。 そのヴェールを上げて、指輪を交換して、ふたりで考えた誓いの言葉を読み上げて。 見守ってくれた人たちからいただいた拍手のあたたかさに、一度引っ込めた涙がまたこみ上げてくる。 フラワーシャワーに見送られてほっとひと安心…と思っていたら、4人がかりで純白のドレスを脱がされ、すごいスピードで和装にお色直し。 前撮りでは、胸の締め付けとかつらの重さに貧血を起こしたので、今日は脱脂綿をたくさん仕込み、気持ちゆるめに着付けてもらう。 しかし、苦しい… 白無垢で親族の記念写真を撮り終えた時点で、立っているのも苦しいほど。 お辞儀をしたらそのまま前のめりに倒れてしまいそうだったので、迎賓はかすかにひざを曲げて目線を下げることでお辞儀に代える。 これから結婚式を挙げる姫たちには、和装の時間をできるだけ短く、かつ座っていられるように設定することをおすすめします。 ラウンジの一角に設けられた秘密のスペース(!)で白無垢から色打掛にお色直しして、ついに披露宴が始まる。 高砂に座ってからも時折意識が飛びそうになるので、腹にぐっと力を入れる。そして笑顔。どんなにたいへんでも最後のお客さんが帰る瞬間まで笑顔、とふたりで決めたことを思い出し、流れてくる冷や汗をナプキンでそっとぬぐう。 次のお色直しは、ウェディングドレス。 着物を脱いだら、ふたごを生んだ後みたいに体が軽くなった。 座る場所も、高砂から友達のいるテーブルに変わって、このあたりでようやく会場を見回すゆとりが。 くまの職場の人たちが用意してくれた余興も最高におもしろくて、げらげら笑っているうち気持ちもリラックスしてきた。 ふと見ると、友達も、家族も親戚もみんな笑っていて、「ああ、よかった。楽しんでもらえてる」と思ったら、すっと気持ちが軽くなった。 ベリーのウェディングケーキにナイフを入れたら、今度はピンクのドレスに衣装替え。 結婚式の舞台裏って、本当に戦争みたい。 「さあ、これで最後だよ。行ってらっしゃい!」と肝っ玉美容師さんに背中を押してもらい、「最後だから楽しもうね」とくまと頷きあって、大好きなクイーンの曲で入場。 結婚式の曲は、BGMも含めすべて自分たちで選んだのだけど、そう言えば終盤に差しかかるまで、音楽に耳を傾ける余裕もほとんどなかったな。 キャンドルサービスの後は、何週間も前から緊張していた両親への手紙朗読。 最初はスライドで流すか、司会の人に読んでもらうつもりだったのだけれど。 結婚式の前、わたしが下書きした手紙を読み上げるのを聞いていたくまに「涙で読めなくなっても、しどろもどろになってもいいから、自分の声で感謝の気持ちを伝えたら?」とすすめられたのです。 さらに司会者の方と打ち合わせのときに手紙のことを相談したら、「伝えるのは言葉じゃなくて気持ちですよ」とにこやかに、けれど強く言われ、ぐうの音も出なくなる。 それってわたしが、さまざまな機会に、いろんな場所で自分に言い聞かせてきたことだから。 「bisさんは話し方もはきはきしているからだいじょうぶ。それに、わたしが今まで担当した結婚式で、途中で手紙が読めなくなった花嫁さんはひとりもいません。みんなご自分で最後まで読まれるのですよ」 とにっこり笑った司会者さん、打ち合わせの紙に「新婦手紙はご自分で朗読」とさらさら書き込んでしまった。 …という顛末で、本当に読めるのかな…と不安を抱えたまま、立ち上がって手紙を渡され、ステージの両親を見る。 わたしは絶対泣かないからね、と言っていたはずのお母さん、わたしが読み始める前からうつむいて、ああ、泣いちゃってる。 ここ数年で急に涙もろくなった父は言わずもがな、目を押さえて肩を震わせているみたい。 なんだかわたしまで目が潤んできてしまって、震える声で読み始めたら、隣でマイクを差し出していたくまが、ハンカチを出して涙を拭いてくれた。 美容師さんに教えられた通り、お化粧が崩れないように、ちゃんと気をつかって。 そうか。わたしはひとりぼっちで立ってるんじゃなかった。 これからは、この人と一緒に生きてゆくんだ。 そう思ったら少し勇気が出て、べそをかきながらなんとか最後まで読み終わることができた。 わたしの手紙を、両親はとてもとても喜んでくれた。 父は帰りの新幹線の中で、手紙を読み返しては涙を拭いていたらしい。 後でわたしが実家に電話したときも、「手紙」という言葉を発しただけで声を詰まらせてしまった。 考えてみれば、両親にきちんと感謝の気持ちを伝えることができたのも、くまが背中を押して励ましてくれたおかげだな。 結婚する前のわたしなら、たぶんひとりでさっさと司会者さんに任せることを決めて、最後までそれを通してしまったはず。 ひとりとひとりがふたりになって、今までできなかったことができるようになったり、思いつきもしなかったことを試してみたり。 結婚って、おもしろいなー。 そんなこんなで3時間半に及ぶ披露宴も終わり、支度部屋で衣装を脱いで椅子に倒れこむ。ぐったり。 運んでくれてあった披露宴の食事も、疲れすぎて2、3口しか手をつけられず。事前に試食しておいてよかった! それでも、二次会の衣装に着替えて、遠くから式のために集まってくれたみんなの笑顔を見たら、まだまだ幸せな気持ちがあふれ出てくるのでした。 ありがたいなあ、ほんとうに。 わたしがまだ少女だったころ、まだ見ぬ「結婚式」は砂糖菓子のように甘い、守られた人生の象徴だった。 でも、自分が式を挙げてみて、思っていたのとは少しちがうんだな、とわかった。 守られる側から、守り育んでいく側に脱皮する、その覚悟をお世話になったみんなにお披露目するための儀式が、わたしたちにとっての結婚式だったな。 明日からまた、いつもの生活が始まる。 式を挙げる前とほとんど変わらない、当たり前の、平凡で穏やかな暮らし。 ひとつだけ違うとしたら、たぶん、きっと。 夢のような出来事のひとつひとつを何度もまぶたの裏によみがえらせながら、眠りの海に深く、深く潜ってゆく。

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