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テーマ:■南の島の過ごし方■(815)
カテゴリ:旅日記
グリーン島のビーチ。夕方5時半。
午後いっぱい、浜辺で過ごした。 暑くなったら海に入って火照った肌を冷やし、寒くなったら部屋に戻って熱いシャワーを浴びる。眠くなったらデッキチェアで寝てしまう。そうやってずうっと、波の音を聞いていた。 耳を澄ますと、波の音は2種類の音で構成されている。 ざざーん。砂に水が当たる音。 ぶくぶく、ちゃぷちゃぷ。水の砕ける音。 合わさるとなつかしい、安心する音になる。おそらく、生まれる前に聞いていた音に似ているんだろう。 海からの風にずっと当たっていたので、頭がぼんやりする。 * 昼にはステーキをはさんだ巨大ハンバーガーと山盛りのポテトを、プールサイドで食べた。 プールでは、飛べない鳥がさかんに水浴びをしている。 白い人たちは皆、大人も子どももおじいちゃんも、巨大なハンバーガーとポテトの小山をひとり一皿食べている。われわれはふたり一皿でおなかいっぱいなのに。 午後にも一度、シュノーケリングをやった。 だいぶコツをつかみ、くまに手をつかんでもらわなくても、ひとりで泳げるようになった。 まあ、ライフジャケットを着ているから、溺れるほうが難しいくらいなのだけど。 ゴーグルは、目がつり上がるくらいぎゅうっと締め付けると鼻に水が入ってこない。 そうして水に入り、ゆっくり足ひれを動かしながら海中に目を凝らす。 サンゴ。肌色や紫や茶色。キノコみたいな形のもある。 イソギンチャク。にょろにょろが無数に集まったみたいだ。水の底でぐにゃぐにゃ揺れている。一体どうしてこんな形になるんだろう。 それから、楕円形の形をした生き物。平たくて、岩の表面に張り付いている。真ん中のところが、息をする口みたいに開いたり閉じたりする。よく見ると、いろんな色のやつがそこら中にいっぱいある。ちょっと気持ち悪い。 (後で調べたら、オオシャコガイという貝の「外套膜」なんだそう。手を入れてみなくてよかった…) 魚。見回す首が追いつかないほどたくさん。 青緑色のでっかい魚。 5色の蛍光ペンででたらめに塗りつぶしたみたいに派手な魚。 白黒しま模様の中くらいの魚。 黄色や青や銀色の小さい魚。 背中に黄色いすじのある魚。 大きめの魚の口元をつつく小さい魚。 魚の気持ちになって一緒に泳ぐ。 水族館は、こうやって魚になることの代替手段として都会に存在しているのだな。 水面から顔を出したくまが、魚がたくさんいすぎて、きれいを通り越して何だかこわい、と言った。 わたしはこわくはなかったけれど、このまま無数の、水の生き物たちと長い時間を過ごしたら、陸の生き物に戻れなくなるような気がした。 * ふたたび、夕方の海。 昨日味をしめたサンセットカクテル、今日も飲んでいる。 ホテルの人がビーチにテーブルとグラス、シャンパンとスナックを運んで、サーブしてくれるのだ。 シャンパン1杯で、ずいぶん酔っぱらった。 帽子をかぶり、ときどきシャワーも浴びていたから、昨日みたいなひどい頭痛にはならないけれど。 人が少なくなったこの時間の海がいちばん好きだとくまが言う。 首と足の長い白い鳥と黒い鳥が、少し離れて波打ち際に並び、じっと海を見ている。 魚を探しているのか、物思いにふけっているのか。 小鳥たちが夕方の漁を終えて森へ帰っても、二羽の鳥は一定の距離を保ったまま、夕闇の中に佇んでいる。バカンスかな? 白い鳥と黒い鳥を見ながら、少し前に読んだ「海からの贈物」を思い出し、夫婦について考える。 ふたりであること。ひとりであること。そのバランス。力を抜くところと、意識しつづけるべきところ。 この海辺の夕景と一緒に、折に触れて思い出そう。 南の島の日没は遅い。時間にして、冬の雪国より2時間くらい。 明るい昼間の光が長く続いて、あとはだんだん薄暗くなる。 日本の午後みたいな、切ない感じの暮れかたではない。やっぱり幕切れに似ているな。 …などと言っている間に黒い鳥はひとりになり、それでもやっぱり海を見ている。 お前もサンセットを待っているの? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.01.24 14:25:21
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