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カテゴリ:読書日記
仕切りなおして2009年。あけましておめでとうございます。 ようやく体調も落ち着いて、朝、ふつうの時間に起きたり、布団を干したりできるようになりました。 熱が下がった後、いつまでも咳がとまらなくて、夜も眠れないほどなので病院へ行ったら、先生が言った。 「熱が下がった時点で、インフルエンザのウィルスはもう体内にいないのです。でもね、ウィルスは体の中にいる間に、気管支をめちゃめちゃに傷つけて、それから去るのです。だから咳が抜けないのです」 めちゃめちゃ…かわいそうな気管支… こうしている今も、わたしの体の中では、何千、何万、何十万の細胞が大活動して、めちゃめちゃの気管支を修復しているのだろうなあ。 と、いうようなことを、「生物と無生物のあいだ」を読んで以来、何かと想像するようになった。 そう言えば、初詣で引いたおみくじにも健康のことが書いてあったし、体を大切にすることは今年のテーマになりそう。 毎朝起きて、三度の食事をして、すこしは仕事もして、夜になったら眠る。人の営みは、ほんとうは奇跡のようなバランスの上に成り立っているのだと、病気をするたびしみじみ思う。 2009年の読み初めは、池澤夏樹「静かな大地」。 明治時代の北海道に入植した移民(和人)たちと、アイヌ民族の物語。 章ごとに語り手がつぎつぎ移りかわる重層的な文体のおもしろさは、考えてみると、アイヌの民話にも通じる。 ひとつの文化、歴史、生活様式、言葉を持って生きてきた人びとが、その誇りを奪われ長く暮らした土地を追われてゆく様を、池澤夏樹はあえてアイヌではなく、和人の兄弟とその周辺を描くことで浮き彫りにしようとする。 著者は和人。そして読んでいるわたしも和人だ。和人には、和人の歴史しか語ることができない。アイヌの歴史を語るための言葉を、和人は持っていないから。 そのことを自覚して筆をすすめる作家の謙虚さは、そのまま、この大河小説の主人公である三郎、志郎兄弟の生きる姿勢でもある。 ふたりは和人の子供でありながら、アイヌの子供と仲良くなり、その家族とも親交を結んでゆく。支配でも隷属でもない、ともに生きる道を探そうとする。 物語がはじまって間もなく、兄の三郎が、札幌の農業学校から弟の志郎に書き送る手紙がある。 若さと希望、力に満ちた書簡を、そのときは何気なく読んでいるのだけど、小説の後半、「チセを焼く」のあたりまで読みすすめてからもう一度戻って読み返すと、一言一句、胸の張り裂けるような思いがする。 小説の最後に添えられた「熊になった少年」という小さな物語を、わたしは初め、別の雑誌の中で読んだ。 そのときは、この民話ふうの物語が何を言いあらわそうとしているのか、つかみきれずに首をかしげたのだが、「静かな大地」を読み通した今なら、理屈ではなく、言葉のひとつひとつが深く胸に刺さる。 少年は、トゥムンチにはなれなかった。熊にもなりきれなかった。 それはなんて悲しく、なんと残酷なことだろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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