2009/01/30(金)09:49
ポール・オースター『幻影の書』
ポール・オースター「幻影の書」を読む。
圧巻。
いったんページをめくりはじめたらもう止まらない。
読んでいる間じゅう、一文字たりとも読みのがしたくない気持ちと、早くページをめくって先を知りたい思いがせめぎあう。
本読みにとって至福のとき。
いちばんの魅力は、もちろんストーリーのおもしろさ。
人生のなかばで、すべてではないが自分の大部分を失った男が、ある無声映画俳優に魅せられたことから、物語が動きだす。
男の執筆する本がある出会いをもたらし、男は自覚しないまま、人生をその手にとり戻す旅をつづけることになる。
最初の一行から最後の一行まで、一分の隙も感じさせない構成。
伏せられていたカードが次々とひっくり返るようなラストシーンにもため息が出る。
大胆なストーリー展開を支えているのが、細部の精緻な描写。
その積み重ねがあるから、肝心な場面で、違和感なく感情移入することができる。
ときどきすべりこむ非現実的な領域が、またはっとするほど生々しいのだ。生と死の境、自分と他者の境界があいまいになる瞬間。
「小説中映画」とでも呼びたいような、無声映画の映像と物語を文章で追いかけてゆくシーンも読みごたえがある。
さらに柴田元幸の訳文がほんとうにすばらしい!
読者が作品世界に没頭することをじゃましないどころか、背中を押して積極的に助けてくれる。
ぎりぎりのラインで自分に妥協をゆるさず、最後の最後まで推敲をかさねて、この文体が完成したのだろうなあと思う。翻訳はやっぱり職人芸だ。
*
こんなにうまいひとがいるなら、わたしなどが書くべきことはもうこの世界に残っていない。
いい小説を読むと、ときどき、そんなふうに感じることがある。
でも、「幻影の書」の読後感はちがった。
焦りとか羨望を通りこして、「ああ、ほんとうにすばらしいものを読んだなあ」という恍惚感だけが心にのこった。
ささやかでも、つましくても、自分にしか書けないことがあると信じて(それがたとえ錯覚にすぎないとしても)、前にすすむしかないのだ、と素直に思えた。
それはもしかすると、この小説の登場人物たちが、ほとんど狂気じみた情熱で自分の仕事に没頭してゆくことと何か関係があるかもしれない。
与えられた場所でベストを尽くすだけだ、と思わせる力が、オースターの小説にはある。
さて。迷っているひまはない。
わたしもがんばらなくっちゃ。