2009/02/18(水)20:57
雪どけの朝
くまのおじいさんが亡くなった。
お葬式に参列するため、くまの実家へ。
前日の夕方、駅に着いたら、ひと足先に来ていたくまと、くま母さんがふたりで出迎えてくれた。
朝から降りはじめた雪で、外はいちめんの白。
駅前に停めた車まで歩くうちに、髪の毛にもコートの肩にも、びっしり雪がつく。
式では孫を代表して、くまがお別れの言葉をのべることになった。
こたつに入って、原稿を見せてもらう。窓の外には、降りしきる雪。
「ここはちょっと変えたほうがいいかな」なんて話し合いながら、ふと、4年前のことを思い出した。
それは春、わたしのおばあちゃんが亡くなったときのこと。
年上の従兄が、やはり弔辞をのべることになった。
お嫁さんとふたり、夜遅くまでテーブルに向かって文章を考える従兄の姿を見て、夫婦っていいなあ、となんだかうらやましく思ったのだ。
おばあちゃんが亡くなったあのころは、わたし自身にとってもひとつの転機だった。
しがみついていたものを手放し、新しい一歩を踏み出すための。
あれはやさしかったおばあちゃんが、おばかな孫娘を見かねて手を差しのべてくれたのだと、わたしは今も信じている。
おじいさんが亡くなったことは、くまにとって、たぶんひとつの曲がり角になる。
ということは、わたしにとっても。
*
翌朝は雪が止んで、よく晴れた。
弔辞をのべるくまの背中を見ながら、このひとと結婚して、わたしは年をとることがこわくなくなったな、と思う。
くまはどんなおじいさんになるのか、わたしはどうか。わたしたち、どんな家をつくって、それぞれどんなふうに歩いてゆくのか。
考えると、とても楽しみ。遠足の前の晩みたいにわくわくする。
くまのおじいさんが、わたしのおばあちゃんが、そしてわたしたちのお父さんやお母さんがくり返してきた当たり前のこと。
働いて、ごはんを食べて、笑って、泣いて、けんかして。
そういう毎日を、36度の体温をもつ、同い年のこの若ぐまと一緒に重ねてゆくのだと考えたら心がしんとなった。
わたしをたったひとりの相手に選んでくれて、その幸せを教えてくれてどうもありがとう、と思う。
ちょっと涙が出た。
*
「ありがとう」とくまがおじいさんの遺影に話しかけたら、溶けはじめた屋根の雪が、どさっと軒下に落ちてきた。
舞い上がる雪の粉が、日に照らされて、プリズムみたいにきらきら光った。