本読みのひとりごと

2011/03/24(木)17:36

生きがいについて

読書日記(367)

学校が春休みに入り、止まっていた電車が動き出して、勤め先の図書館もにわかに活気づいてきました。 老若男女が切れ目なく訪れては、たくさんの本を借りてゆく。 たぶん、これから、今まで以上に、本や花や音楽が必要とされる時期が来ると思う。 ガソリンはないけど、わたしもてくてく歩いて、電車に乗って、図書館に通っている。 みんな無理しなくていいと言ってくれるし、おなかの人が最優先なのはもちろんだけど、結局本のある場所にいるのが好きなんだろうなあ、わたし。 神谷美恵子「生きがいについて」をこの機会にじっくり読みかえす。 神谷美恵子は精神科医で、教師であり母でもあった。そしてすぐれた文筆家だったことは、この本をほんの1ページ読めばすぐにわかる。 もともと英文学を学んでおり、ハンセン病の療養所を訪れたことが医学をこころざすきっかけになったという人だから、苦しむ人びとに寄り添うまなざしはどこまでもあたたかい。 「いったい私たちの毎日の生活を生きるかいあるように感じさせているものは何であろうか。ひとたび生きがいをうしなったら、どんなふうにしてまた新しい生きがいを見いだすのだろうか。」(「はじめに」より) ハンセン病の患者たちと接するなかで、こんな疑問を心に抱くようになったことが、7年がかりで執筆されたという本書の出発点だ。 著者も記しているとおり、「あるひとにとって何が生きがいになりうるかという問いに対しては、できあいの答はひとつもない」(「はじめに」)。 この本にも、手っ取り早く生きがいを見つけて楽しく生きるための方法は書かれていない。 けれど、悲しみや絶望のふちで「生きがい」をつかんでゆく人びととの、血のかよった交流から生まれた一行一行が、それぞれの不安や悩みを抱えた読者の心に、玉露のように染みこんでくる。 たとえば、「新しい生きがいを求めて」と題された章では、アメリカの女性作家パール・バックが、自らの娘に精神障害があることを知ったときの悲しみと、「悲しみとの融和の道程」が紹介される。 絶望のどん底にあったパール・バックは、ある日、「娘のためによい学校を探そうと決心」する。 「私はそれまでのように、『なぜ』という疑問を次から次に持たなくなりました。しかしそうなった本当の秘密は、私が自分自身のことや悲しみのことを考えるのを止め、そして子供のことばかり考えるようになったからでした。…私が自分を中心にものごとを考えたり、したりしている限り、人生は私にとって耐えられないものでありました。そして私がその中心をほんの少しでも自分自身から外せることができるようになった時、悲しみはたとえ容易に耐えられるものではないにしても、耐えられる可能性のあるものだということを理解できるようになったのでありました。」   * わたしがこの本を買いもとめたのは震災の前で、心にある不安が巣食っている時期だった。 かたわらに置き、たとえば上に引用したような文章をくり返し読んでは、心がおだやかに凪いでいくのを感じた。目の前の霧が晴れて、いますべきことが見えてきた。 本書の付録に、小児がんで息子をなくした佐藤律子さんが「慈雨のような一冊」という一文を寄せているが、ほんとうに、かわいてひび割れた土地に降る恵みの雨のような本だと思う。 巻末に添えられた「『生きがいについて』執筆日記」には、著者のこんな言葉が残されている。 「どこでも一寸切れば私の生血がほとばしり出すような文字、そんな文字で書きたい、私の本は。」 「体験からにじみ出た思想、生活と密着した思想、しかもその思想を結晶の形でとり出すこと。」 「ああいっそ自分の血でかけたらいいものを!」 神谷美恵子が文字どおり心血をそそいで書き記した言葉たちは、40年経っても古びるどころかいっそう光を増して、際限のないなやみと苦しみの中にいる人びとの、生きがいへの歩みを照らしている。

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