ザ・最終回
さて いよいよラストを迎えました防災くらぶ通信 ラストメッセージはやはり つるん&J ですなぜなら 隊長J企画部長つるんだからであります防災くらぶの初代メンバー防災くらぶ通信の初期の頃は この二人の出番が かなり多かったこの二人が あまりにも 面白くて私一人で 笑っているのは もったいないと思ったのが始まりだ 防災センターに行きたいといった Jの言葉から始まりいつも イベントの時には 予約が必要な物には 電話をいれ皆にメニューを聞いたり 予定を聞いたりの 取りまとめをしてくれたのはつるんJの言葉がなければ 防災センターには行かなかったつるんが 動いてくれなければ 防災センターには行かなかった数々の 防災行事はなしえなかったつーか 防災くらぶ通信のネタが なかった彼女ら二人の 防災くらぶ通信への 貢献度は 濃い名誉隊長と名誉企画部長の 称号を与えられても 過言ではない隊長のお仕事は防災センターへ行きたいのそれっきりだったけれど(笑あとは たまに イベントの 最初の挨拶を しなければならないのだがいつも あやふやな 挨拶で終ったので隊長というのは あまり 仕事はないのかもしれないが防災くらぶ通信を読み返すと ある意味 仕事をしている気がする すっごい仕事をされていて 防災くらぶ通信には 欠かせない存在でした しかし 防災くらぶが結成されるまでは私は やはり 自分の殻に閉じこもっていたし自分で壁を作って それを 壊す事などなかったのだがつるんは その壁を 爆破しそれでもなお 私は 穴の開いた壁のむこうにはいこうとしなかったけれどJが 知らない人達ばかりだけれど そういう所に顔を出すことでなれてくるもんだと思うと壁の向こうの穴に 押し出してくれた穴を抜けると そこは 防災くらぶや その他のお友達が 沢山いたちょっとずつ話を しはじめて白虎幼稚園の夏休みのお祭りだったかにつるんから 初めて 携帯に電話がかかってきて今どこ?何時にいく?と 誘ってもらえたのが すごい緊張したのと 嬉しかったのとでえ?一緒にってこと?って 確認したような思い出があるそうよと 当たり前のように 私が戸惑ってるのが わけがわからん的なお返事だったつるん一緒に遊ぶようになってどんどんどんどん 壁が取り壊されましたつるんが オッケーを出す人は 私も 大好きな人達となりJは 万人にうけるので Jの交友範囲は把握できないのだが(笑スケールのでかい 女である Jってば。 防災くらぶは このお二人によって 結成されましたその後 ぷにちゃんの力を借りて皆にも この世の中に こんな おかしな人達がいるってことを伝えたかったからブログとして 防災活動の記録を 書き連ねてきました一人では 出来なかった事です皆がいたから皆と一緒に遊んで 一緒に笑ったから沢山 日記をかけました頂いた メッセージ集には防災で 出かけた 思い出の写真が いっぱいあってそこでは とっても楽しそうに笑ってる私もいて数年後に離れてしまうとは 夢にも思ってないよな と 思いながら 皆と一緒に笑ってる 自分の写真を見つめていました 多分もう 防災くらぶのメンバーや その友達の皆様以上の人達とは出会えないだろうなとこんな ばっかよね~って 笑いあえる時間は ないだろうなと思います 何度も言います 防災くらぶ通信を 書いてよかったです私が 死んでも よっぽどがない限りは 永遠にこれ残るんだよね子々孫々までジュニア防災くらぶの時代になってもこの 防災くらぶ通信を元に 語り継がれていくのかなって(笑 皆の側を 離れて 防災くらぶ通信を読むのは 寂しくて苦しいかもしれませんだからしばらくは 見ないと思います でも またいつか年をとって読み返す日が来ると思う そうして やっぱり あの人達は おかしいと 再確認をするだろうなと思います 後半更新が 滞って申し訳ないです遊んでないわけじゃなかったんだけどね ちゃんと活動していたけれど ご報告できませんで 書記長 クビでありますわ(爆 つるんは 更新が滞ると 日記はまだ? 楽しみに待ってるのよ!! と 嬉しい催促をくれました ああ 楽しみにしてくれてる人がいるんだな~って つるんは 企画や連絡だけでなく防災くらぶを 本当に愛して防災くらぶ通信の 愛毒者なのでした自分が できる事は これなんだなあ 待っててくれる人がいるんだなあと 嬉しかったのも覚えてます お付き合いしてくださった皆様ネタ提供してくれた皆様ありがとう ございました の 一言に 尽きます たまに 思い出して 読み返していただけると 嬉しいです私達の 青春の一ページですので永久保存であります また どこかで お会いしましょう。 平成23年 3月26日 隊員R