★ 藤原帰一 『映画の中のアメリカ』 朝日選書 (新刊)
政策決定者に限定した政治分析は、狭く痩せたものになりがちだ。社会意識とその変容にまで、政治分析の手を広げるには、どうすればいいだろう。そんな疑問から出発。社会の共通了解と時代精神の変容を理解するため、20世紀の代表的メディアである映画を素材としてとりあげることを宣言。アメリカ社会とアメリカ政治を映画を通して考えようとする、かなり刺激的な著書が、朝日選書から上梓されています。これが実に面白いのです。章立ては以下の通り。兵士の帰還大統領の陰謀東部と西部市民宗教の暴走理想主義の戦争高貴な日本人観客の逆説隣の殺し屋失われた未来悪女の系譜人種のサラダ・ボウルマスコミぎらい魔法の王国忘れられた戦争アメリカの影 「兵士の帰還」では、『我等の生涯の最良の年』と『野良犬』の、第二次大戦帰還兵における、日米の対照的な描かれ方が論じられる。「帰還兵」は愛で迎えられ、幸せが約束されてなければならない。そのため、帰還兵を殺人者にしようとしたチャンドラー原作『青い戦慄』は海軍省の横槍が入り脚本がねじ曲げられてしまう。ベトナム帰還兵を描いた『タクシードライバー』は、帰還兵の狂気・社会の狂気を描く。かつてベトナム従軍後反戦運動に投じながら、軍歴を誇るケリー上院議員の姿に、著者は≪職業軍人のみが戦い、帰還兵が社会に戦争をもちこまなくなった≫≪戦争を美化できる≫時代の到来を見てとろうとする。「大統領の陰謀」では、偉大な大統領のイメージが所詮、選挙参謀によって作られた虚像にすぎないことを語る映画が、興行的に失敗続きであることが語られる。国民統合の象徴として期待と幻想を一身に背負う大統領。偉大な大統領とアメリカを信じたい人々には不評らしい。「東部と西部」では、東部のリベラル民主主義と西部の開拓者民主主義が対比されている。1950年代、根拠地と荒野の境目で展開された様式美の極地(闘わねばならない運命を自覚する男、男を見守る女性)西部劇の終焉によって、いったん東部に組み伏せられたはずの西部(正確には中西部)が、産業構造の変容と新保守主義の台頭によって、現在、東部リベラリズムを時代遅れにしていっていることが読み解かれる。「市民宗教の暴走」では、宗教と政治がまさに制度的に分離して早くから信仰の自由を獲得したが故に、逆説的に「政治の世俗化」を免れてしまった社会アメリカが映画で読み解かれる。神の意志が民主的手続きを通して実現される、と考えられていた福音主義の大地アメリカ。「宗教はアヘン」といった描かれ方をしたハリウッドも、1980年代以降、宗教との結びつきを強め、「アメリカVS反キリスト」の『エクソシスト』『オーメン』、信仰の回復により力をえる『ロッキー』、『パッション』など急速に台頭しているという。「理想主義の戦争」では、市民の政府を樹立することが永遠平和の条件というカント以来の自由主義的ユートピアにもとづき、参戦を正統化するアメリカにあっても、「正義の戦争」「正義が疑われる戦争」と描かれ方に違いがあることが論じられる。後者では、プロフェッショナルな兵隊と、戦争に疑問をもつ兵隊の2類型しか描かれず、理想主義にもえる兵隊が描かれることはない。そんな中で、高潔な理想主義者の逆説をえがいた『愛の落日』は異様なリアリティをもっているという。「高貴な日本人」は、表題で騙されてはならない。「謎」「自分たちではないもの」=東洋人は、「異質の脅威」だろうが、「高貴な未開人」だろうが、理解されて描かれたものはない。風変わりな日本人と、心が通いあう安易な作品が横行。そんな中で『ロスト・イン・トランスレーション』は、ごく普通のアメリカ人がみる日本の心象風景を徹底して描きぬいた怪作という。 「観客の逆説」では、「まるで本物みたい」な舞台設定の中で救いと安全を保証する仮想現実を提供した映画作品にばかりアカデミー賞を受賞させてきたアメリカ社会は、ニュース・報道番組まで「安全なドラマ」提供を求めていないか警鐘が鳴らされている。フォックス・ニュースの台頭は、安全な世界への回帰を保証する回路がなければ、視聴者が納得しない時代の到来ではないのか? 「隣の殺し屋」では、サスペンス映画における、アメリカ人の生活空間に入りこんだ、映画の中の殺人者・テロリスト・怪獣の系譜を追う。「われわれ」の中には暴力も陰謀も存在しない前提の政治性の指摘もさりながら、「やつら」と「われわれ」の対立を無効にするサスペンス映画は、失敗に終わってしまうらしい。これは、対立を誇張することなくしてアメリカそのものが存立しえない状況にあると整理され、たいへん面白い。「失われた未来」では、日米の核兵器の描かれ方の違いが述べられる。アメリカでは、核による汚染は大災害の一種にすぎない。 「悪女の系譜」では、40年代、70年代の「暗い」アメリカ映画の時代、共通して彩りをそえた、ファム・ファタールの系譜が描かれる。自立して「悪」を為しえ、女性が勝つのも当たり前の時代になったとき、フィルム・ノワールと悪女の時代は終焉して、不安を表現する媒体としての映画も終焉したという。 「人種のサラダ・ボウル」では、人種の描かれ方をとりあげている。ナチから『国民の創生』まで執拗に繰りかえされた、差別する側の論理としての「○○人から××人女性を守れ」という言説。ハリウッド映画は、黒人と白人という、既存の秩序を崩す、「なりすまし」(白い黒人)には、悲劇的結末を与えてきた。そんな中で、低所得者層スラムにおいて、黒人の堅実な暮らしとコミュニティを描いた『青いドレスの女』は、白人社会に溶けこまず抵抗もせず、ありのままの黒人生活空間を描き出す時代の到来を感じさせる映画だという。「マスコミぎらい」も面白い。ハリウッドで描かれる新聞記者像は、扇情・誇張・捏造を厭わないばかりか、『地獄の英雄』では記事のために人殺しをする記者として描かれているが、メディアが政府の侍女としてお先棒を担いでいるという認識は乏しいらしい。「魔法の王国」では、ディズニーによって、アメリカ白人ミドルクラス以外の感性まで、作りかえられてしまっていることが赤裸々に明らかにされる。王子と王女のラブロマンス、敵役は非白人(ドイツ語を語ることも)、非白人系は白人の世界にあこがれる…そんな、あからさまなディズニーの人種意識・民族意識から逸脱してつくった『ムーラン』は、世界中で興行成績が悪かったらしい。「忘れられた戦争」では、第二次大戦直前までとベトナム戦争期、反戦映画がアメリカのスタンダードだったことがのべられる。正戦思想に彩られ戦争賛美に走るのは、第二次大戦直後と、1990年代以降らしい。「アメリカの影」では、映画に写されてこなかったものにスポットをあてる。具体的には、郊外に白人中産階級が逃げだし、タフな「やつら」、黒人しか住めない都市のインナーをどのように描くべきなのか。「われわれ」と「やつら」を反転させた映画に堕してしまうだけなのではないのか、という懸念にとらわれながらも、希望を捨てようとはしない。総じて映画評論としても、重厚な作りになっていることが理解できるでしょう。細かく背景説明が挟まれており、映画に詳しくない人でも、入っていける配慮がなされています。再上映しても収益が下がらないアニメ映画の特性を利用して、作品の権利を手放さず、得た収益を次回作に湯水のように投入したディズニー。ヒッチコック、ハワード・ホークス、ニコラス・レイ、オーソン・ウェルズ、キューブリック…アカデミー監督賞を受賞できなかった錚々たる面々には驚かされてしまう。取りあげられたハリウッド作品だけで、200をこえる規模。映画評論だけでなく、ちょっとしたハリウッド映画紹介をかねた本になっていて、映画に興味のある方には、ぜひご購読いただきたい面白い本になっているのです。ただ、いささか難点をあげるとすれば、『映画をダシに政治を講釈するとは何だ、という批判は半ば覚悟せざるを得ないのだが、社会を捉える鏡として映画をかんがえる意味は、今もなお存在する』(本書6頁)という、本書冒頭のこの下りかもしれない。映画をダシに政治を講釈することは、悪いことではない。社会を捉える鏡として映画を考えることも、まったく悪くない。悪いのは、映画をダシにすることで、映画のもつポテンシャルを損なってしまうことではないか。社会を捉える鏡として映画を捉えることで、映画のもつ可能性そのものを取り逃がしてしまうことにあるのではないか。なにより、藤原氏が批判されるべき点が有ったとするならば、その地点にあるのはあまりにも自明だろう。残念ながら実際は、この懸念の通りになってしまっている。ハリウッド映画の評論としては、大したものとは思えない。すでにある言説の焼き直し、コピーにすぎない。それだけでなく、既存の政治分析を食い破るような何かもまったく提示できていない。既存の政治分析に従って、映画を当てはめただけにすぎない部分がとても多い。「われわれ」と「やつら」、「新保守主義の台頭」、「宗教に回帰するアメリカ」…手垢がついた枠組に従って、政治を手際よく解説する手腕は見事だ。しかし、「映画」そのものを使って、既存のアメリカ政治、アメリカ社会の分析に部分的にでも異議を申し立てるという、もっとも肝心な作業はどこにもなされていない。「異議を申し立てる必要はないだろう」って? それは違う。映画をもし虚心坦懐にみれば、政治分析の枠組に回収できない何かが、残っているはずだ。その何かを言語化すること。それが評論・分析でなくて、何だというのか。この評論には、映画そのものへのリスペクトがない、と言わざるをえない。政治分析の枠組にしたがって、映画を並べてしまっている。これは、映画の分析ではない。「映画の殺害」に感じられるのは、私だけであろうか。まあ、ジョン・フォード『静かなる男』を「とてもジョンフォードとは思えない」などと無茶苦茶を言われ、カチンときただけなんだけどね(笑)それなりに参考になるので、ぜひ皆さんにはお薦めしておきたい。評価 ★★★☆価格: ¥1,155 (税込) ←このブログを応援してくれる方は、クリックして頂ければ幸いです